** 芭蕉と素堂を結ぶ資料 **
芭蕉庵再興及び素堂勸化文
芭蕉庵再興の勸化文(*勧進の文章)を作りしは山口素堂にして、芭蕉の徳に服するものは普く喜んで寄進に就けり。文に曰く、
『(前略)廣くもとむるは其おもひやすからんとなり。甲をこのまず乙を恥ること勿れ。各志のあるこゝろに任すとしかいふ。之を清貧とせんや將た狂貧とせんや。翁みづからいふ、ただ貧なりと。貧のまた貧、許子の貧、それすら一瓢一軒のもとめあり。雨をさゝへ風を防ぐそなへなくば鳥にだも及ばず。誰か忍びざるの心なからむ。是れ草堂建立のより出る所也。天和三年秋九月竊汲願主之旨濺筆於敗荷之下、山口素堂。』
右は嵐蘭の姪孫九皐(上州館林の人)の家に其眞蹟を藏する由『隨齋諧話』に見えたり。其勸化簿の連名凡そ數十。重なるものは、楓興十五匁、枳風二朱、嵐雪二朱、文鱗銀一兩、嵐調銀一兩、嵐蘭破扇一柄、北鯤の大瓠一壺等なり。疑はしきは第一の施主たるべき杉風、卜尺、其角等の名見えざれども、もと僅に勸化簿の一部に過ぎずして、殘紙は悉く散逸せしなるべし。
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