俳諧 人名事典 猿雖 えんすい
寛永十七年(1640)~宝永元年(1704)
猿雖は本名、窪田惣七郎。伊賀国上野の内神屋という商人。
芭蕉と親交のあったことは意専(元禄二年五十才の時剃髪した後の法号)宛の芭蕉の数度の書簡によって知られる。
芭蕉は元禄七年(1694)五月末帰郷しているが、
下掲(I)の句はその時の吟である。同年また帰郷したが、同月二八日猿雖亭において土地の俳人猿雖・配力・望翠・土芳・卓袋・苔蘇等と歌仙を巻いている。
下掲(2)の句は、その連句の発句と脇である。芭蕉はそれから九月はじめまで郷里に滞在したが、九月四日猿雖亭において支考・猿雖・雪芝・惟然・卓袋・望翠等と七吟歌仙を巻いている、
下掲(3)はその表三句である。芭蕉はこの郷里滞社中文代亭で、芭蕉の「松茸やしらぬ木の葉のへばりつき」を発句とする九吟歌仙(芭熊翁俳諧集収載)を巻き、望翠亭で足早の「つふ/\と掃木をもるゝ榎実哉」を発句とする八吟歌仙(壬生山家取載)を巻き、土芳の蓑虫庵で惟然の「松茸や都にちかき山の形」を発句とする四吟(惟然・土芳・猿翠・翁)十六句(俳諧一葉集収載)を
巻き、同じく蓑虫庵で土方の「いなずまに額かゝえる戸口かな」を発句とする三吟(土芳・猿雖・翁)表六句(俳諧一葉集収載)を巻いているが、これらの連句に猿雖は芭蕉と同座している。芭蕉と四才年長の猿雖の私的関係は、同郷のことだから早くからあったようであるが、俳諧関係は芭蕉の晩年になってからである。発句としては次に示すように、特にすぐれた句は見られない。
みの白しの茶の往ゆへに折(ら)牡ける 猿 蓑
ほそぼそとごみ焼(く)門のつばめ哉 炭 俵
いざよひいに圖の圓もなしそばの花 続猿蓑
(I) 猿雖宅にて
柴つけし馬のもどりや甲うへ樽 元禄七年―芭蕉翁全傳
(2) 戊七月八二八日 猿雖亭夜席
あれ/\て末は海行(く)野分哉 猿 雖
鶴の頭あぐる栗の穂 芭 蕉
元禄七年七吟歌仙…今日の昔
(3) 九月四日会猿雖亭
松風に新酒をすます夜寒哉 支 考
月もかたぶく石垣の上 猿 雖
町の門賠はるゝ鹿のとび越えて 芭 蕉
元禄七年七吟歌仙…蜜柑の色
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