玄 峰 集 春之部
精選版 日本国語大辞典
朝日日本歴史人物事典 「服部嵐雪」の解説
没年:宝永4.10.13(1707.11.6)
生年:承応3(1654)
江戸前期の俳人。幼名久米之助,長じて孫之丞,次いで彦兵衛と改める。治助は名乗り。
別号,嵐亭治助,雪中庵,不白軒,寒蓼堂,玄峰堂,吏登斎など。松尾芭蕉門。
江戸湯島に生まれ,元服後約30年間,転々と主を替えながら武家奉公を続けた。
芭蕉への入門は延宝3(1675)年ごろ。元禄1(1688)年1月,仕官をやめ,宗匠として立ち,榎本其角と共に江戸蕉門の重鎮となった。
芭蕉は,同5年3月其角と嵐雪を「両の手に桃と桜や草の餅」と称えているが嵐雪は師の説く「かるみ」の風体に共鳴せず,晩年の芭蕉とはほとんど一座していない。
しかし,師の訃報に接し西上して義仲寺の墓前にひざまずき,一周忌には『芭蕉一周忌』を編んで追悼の意を表すなど,師に対する敬慕の念は厚かった。青壮年期に放蕩生活を送り,最初は湯女を,のちには遊女を妻としたが,晩年は,俳諧に対して不即不離の態度を保ちつつ,もっぱら禅を修めたことからもわかるように,内省的な人柄であり,それが句にも表れ,質実な作品が多い。
「出替りや幼ごころに物あはれ」(『猿蓑』)
「蒲団着て寝たる姿や東山」(『枕屏風』)
などがよく知られる。なお,嵐雪の門からは優れた俳人が輩出し,なかでも大島蓼太の時代になって嵐雪系(雪門)の勢力は著しく増大した。<参考文献>堀切実『芭蕉の門人』(加藤定彦)
芭蕉没後も其角と江戸蕉門の勢力を2分し,その一派を雪門という。
編著『其袋 (そのふくろ) 』 (1690) ,『或時 (あるとき) 集』 (1694) ,
『若菜集』 (1695) ,『杜撰集』 (1701) など。
嵐雪……秋の部 菊花 九唱 嵐雪
素堂亭にて人々十日のきく見られけるに
かくれ家やよめ菜の中に交ル菊 嵐雪
九月十日菊のかへりとて、集のふくろからげて、立よられけるに
秋のくれ井手の蛙のからをみん 舟竹
といひて、土産ねだられけるに、人丸の柿の實
山ノ邊の栗のから今日の得ものゝあまりなりと笑ひ興じて
朝のからよしのゝ山の木の實見よ 嵐雪
素堂……九月、『餞別五百韻』立吟編。発句一入集。
すみ所を宮古にと聞えければ、我あらましも嵯峨のあたりに侍れど、
かの池に蓮のなき事をうらみ申す
いづれゆかん蓮の實持て廣澤へ 素堂
玄 峰 集 春之部
其角と嵐雪とは庵中の桃桜なりと蕉翁の称し申されしは、天下の桃李ことごとく公が門に在りといひけむ心ばへなるべし。かゝれば此ふたりは一隻の名家にして、世人も人丸赤人のやうにおぼえたれど、その中にも聊かの勝劣はなきにしもあらざるべし。そも/\嵐雪は、風雅に禅味をかねて無門の關もさはる事なく世理の外に遊び、千里蜀歩の気性あり、晋子(其角)は志學の年より功をつみて、はたちばかりの頃は既に次韵の作者に許されたり。
かく?諬の心あつき上に、酔郷に入りてはいよ/\奇語人を驚かす。おのづから松の尾の神の助あるにや、こやとも人をいふべきにとよみしやうに、人の思ひ及ぶまじき妙處に至る。
されば嵐雪が下にたゝむ事かたくなむあるべき。翁も俳諧の定家卿なりと賞誉し、さわやかなる事は此人に及ばすと向井去来もぬかづきぬ。すべて潤達の中にほそみありて、句々みな自在をつくせり。誰の人か世に敵するものあらむや。此ごろ句集を板に刻むに、懐にひきいるばかりに殊にちひさくしたてゝ、學者に使あらせむとす。牛をたづねて跡を求め、魚をうらやみて網をむすぶ輩、この書をはしだてとしてただちに百尺竿頭に歩をすゝむべしと也。
髄斎成美 序
改 正
四海波魚のきゝ耳あけの春
元日ややう/\動くいかのほり
元日やはれて雀のものがたり
年すでに明けて達磨の尻目哉
面々の蜂をはらふや花の春
三つの朝三タ暮を見はやさむ
今朝春の奥孫もあり彦もあり榾を富
若水に智慧の鏡を磨うよや
五十にて四谷を見たり花の春
あら玉の馬も泥障(あわり)をおしむには
初空や烏をのする牛の鞍
楪(ゆづりは)標の但阿佃祭りや青かづち
惟茂と起しに来たる二日かな
此句は睦月二日にあさいせしを
人の来て起せしにかく申されしとかや
寶ぶね詞書有 爰に略
須磨明石見ぬ寝ごころや寶舟
夢明けて浪のりふねや泊瀬寺
む月はじめのめをといさかひを人々に笑はれ侍りて
よろこぶを見よやはつねの玉はゝき
若菜七つがいを判する詞略
七草を三べんうつた手首かな
ぬれ縁や蕎こぽるI土ながら
霜は苦に雪に渠する若菜かな
憶翁之客中
据折て菜をつみしらむ草枕
とゝ(夫)ははやすめは聲若しなつみ歌
春 朝
蔀(しとみ)あげてくゝだち買はむ朝まだき
風渡つて石にすがれる薺(なずな)かな
題しらす
ほつ/\と喰摘(くひづみ)むあらす夫婦かな
鶯
鶯にほうと息する山路かな
うぐひすや書院の雨戸はしる音
鶯をなぶらせはせじ村すずめ
鶯の宿とこそ見れ小摺り鉢
梅
梅一輪一りん程のあたゝかさ
此句ある集に冬の部に入りたり又おもしろきか
輪に結ぶ盲をぬけたる月夜かな
臥龍梅
白雲の龍をつゝむや梅の花
荏柄天一奉納
こぼれ晦かたじけなさの涙哉
北といふ二字題
手のゆかぬ背中を海の木ぶり哉
梅ちるや歯のない馬に恥しき
桐雨のぬし京うち参りとて出ぬ行くか仁の覚束なく
知る人はそこ/\に道のほどはかう/\と言ひふくめて
出したてつ仰の花の雪消え五月雨のくもらぬほどに
帰り来べきなれどいと名残をしくて
梅にさむる朝け忘るな辛きもの
翁の春もやゝけしきとゝのふと申残されし句意を味へ侍りて
この梅を遥に月のにほひかな
梅干じゃ見知って居るか梅の花
椿
鋸のからき目見しを花つばき
柳
目前に杖つく鷺や櫛かけ
中納言藤房
於馬場殿龍馬に肘て直諌を奉られしが
其言行未如鏡
亂るべき風の柳をさすの神子(みこ)
春の水に秋の木の葉を柳鮠(やなぎばえ)
題しらす
正月も廿日に成七難煮かな
一鹽の聲さぞあらむ南部雉(きじ)
せはしなき身は痩せにけり作り獨活
蕗のとうほうけて人の詠かな
狗背(ぜんまい)の塵にえらるゝわらび哉
きさらぎや火燵のふちを枕もと
春風の石を引切るわかれかな
此句は門人なにがしが旅立けるに
蝸石をおくるとてかく申されしとなり女にかはりて
なれも戀猫に伽羅焼てうかれけり
燕
簾に人て美人に馴るゝ燕かな
柳には吹かでおのれ嵐のタ燕
帰 雁
巡礼に打ちまじり行く帰雁かな
箱根にて
かへる雁關とび越ゆる勢なり
紙 鳶
糸つくる人と遊ぶや風巾(いかのぼり)
惜暫別
虚空(おほぞら)引きとどめばやいかのぼり
蚊足が鄰かへたるに申しつかはしける
此夕ベ軒端へだちぬいかのぼり
行脚惟然へ申しおくり侍る
木の枝にしばしかゝるや風巾(いかのぼり)
蛙 合
よしなしやさでの芥とゆく蛙
上野より帰り侍るとて
酒くさき人にからまる胡蝶かな
朧 月
中川やほうり込んでも朧月
我等今日聞佛音教歓喜踊躍と読誦し奉りて
嬉しいか念佛をどりの柄木夕ふり
出かはり
出かはりや幼心にものあはれ
出かはりや其門(かど)に誰辰の市
接
見たい物花もみぢより接穂(つぎほ)かな
苗 代
なはしろに老の力や尻だすき
青精飯
桐柳民濃(こまやか)に菜飯(なはん)かな
上 巳
隣々雛見廻るゝ小家かな
うまず女の雛かしづくぞ哀なる
鶯の来て染めつらむ草の餅
汐干に
水莖の馬刀(まて)かき寄せむ筆の鞘
しほひくれて蟹が据引くなごり哉
桃
おの/\の挑の席や等持院
桃の日や蟹は美人に笑はるゝ
花
あらおそや爪あがりなる花の山
白鳥の酒を吐くらむ花のやま
花に風かろくきてふけ酒の泡
桜川はほそくながれて青柳の
一かまへうちかすめり
膝木よる長女(をりめ)いやしや糸桜
殿は狩りつ妾餅うるさくら茶屋
手習の師を車座や花の兒
兼好の筵おりけり花ざかり
逍遥鵬喘之間出入是非之境
花の夢此身をるすに置きけるか
花はよも毛虫にならし家桜
はなを出て松へしみ込む霞かな
新発意が花折るあとや山嵐
頼光山人之讃
なまくさき風おとすなり山桜
小町讃
我が戀よ目も鼻もなき花の色
原の宿を通るに勅使の帰京ましますとて
海辺も塵をはらひ山も殊更に恥しけに
けふを晴とつくろひたてり砌のすだれ
はね上げけられたるにゑぼうしの用意なんどき
だら/\と見ゆ恐らくはいまだ聞かず
富士に雲ゐの客人を見る人は什合なる旅に參り合ひたり
富士を見ぬ歌人もあらむ花の山
雪雲と仇名も言はじ花ざかり
筆とるは硯やほしき兒ざくら
花片々鼓にあたる舌の先
月花の其ひとふしや火吹竹
女中方尼前は(あまぜ)花の先達か
大和廻りの東淵めぐれ/\風車東風ふかば西へ行き
西吹かば戻れ前後興す
箱根は手形あり大井は川越あり左右廣し
空吹く凰の何が吹くやら
逢坂は關の跡なりばなの雲
大井川船有るごとし花の旅
躑 躅
白つゝじまねくやうなり角櫓(すみやぐら)
藤 詞書あり略す
ふぢ浪に鶚(みさご)は得たりいらこ崎
小奴吉齊に花を見せて
小坊主よ足なげかけむ松に藤
立志追善
山吹のうつりて黄なる泉哉
ばせを翁は普化の師晉は臨臍の怨子三十年来は
面にから竿をならして他のつらを出せるなし末期に及て
半句を吐かず
さらに遺跡を止めざるは若夫それもしらす
大悲院へ齊喰(とこくひ)に行く歟
中陰廻向
晋化去りぬ匂ひ残りて花の雲
亡 跡
菜の花や坊が灰まく果てはみな
三七日
鶯や弓にとまりて法の聲
墓 參
山吹の實を穴掘の鍬ひとつ
飯焚の輔は筆師よ釈尊(をぎまつり)
雷や油のまじる春の雨
雷の姑なれや花の父母
羽子板や只にめでたき裏表
名月を家陸にゆるす朧かな
草餅にあられを炒るやほろ/\と
男もすなる俳諧は女もすなり童もすなり誰もすなり
鋤立もすなり我もすなりとて
それの日も硯とりけむ土佐の海
武蔵野八百里といひし頃を思ひ合せて
武蔵野の幅にはせばき霞哉
名取川笠は持ちたりさくら魚
草庵と捨てしも秋や花の庵
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