北杜市偉人館 成島栄懐 須玉町若神子
『峡北物故文化人集』堀内(田力リク)一郎氏著 一部加筆
文政三年(一八二〇)浅神村下神取皆川栄治郎家に生れ、後当村成島大兵衛の婿となり、総平と改め名主となる。八代健保につき医学を修め業とすり、傍ら国学者落合真澄について国文和和歌を学び、「宝の舎」又は「喜翁」の雅号を以て知られる。
明治二十九年(一八九六)九月十二日、七十七歳にて病没す。
詠首二萬首に及ぶ、門弟遺稿を玉園遺光と名つけせに世に伝わる。
夕富士
村山はかけほのくらく暮はてて
夕日かかなふふしのたか山
萬年橋を渡りて
橋の名にちなみて老の身なからも
萬代かけて渡りてしかな
辞世
言の葉の花を心の友として
かへらぬ旅に今日そいてたつ
《註》この成島翁の著作物がネットに見える。
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