十返舎一九 善光寺草津道中記 甲斐関係記述
去年の金の草鞋身延まで著わしたれは、今年、版元の注文により身延よりすぐに善光寺・草津までの道
中を書くなり。欧州の二人の狂歌師、今年はこの道へ出かけ、まず甲州の府中より始まり、韮崎の宿に至りける。この甲斐道より木曽の諏訪へ出るまで平道にして、至って良し。結局江戸より甲府へ行く道中よりこの道中は山坂も無く宿やなども綺麗にて、満ちの景色も至ってよし。
是もまた楽しみなれや旅の者
牛に牽かれて善光寺行
韮崎の宿に休みたるに、茶屋の女の汚げなるが、遠慮もなくべらべらと口を聞くを、
くさいもの身しらずなれや韮崎の
茶屋の女の嫌味絡みは
「あの田に居る奴は忌々しい。女が好きだと見えて、他人の聞いているのも構わず、女のことばっかり云っていやがる。おいらはあいつらの様なしみったれじゃあない。どんな美しい女が来ても振り返っても見やあしないが、その替わり直に腰が抜けて立たないには困り果てる。
「今日はとんだ温かな日で、歩くといっそ汗を掻いて着物が腐る。いっそのこと、この背負っている桐油(とうゆ)を、着物の下へ来て行こうか。」
「ほんにそれが良い。しかし貴様の桐油は薄いから汗を上通すだろう。わしの桐油(とうゆ)を貸してやろうから、貴様の桐油(とうゆ)と二つ重ねて着るが良い。そしてもし雨の降る時は、又その替わりかはりわしが二つ重ねて着て、やりましょう。
【桐油 きりゆ アブラキリの種を摂油して得られる。これを麻の着物に浸した着物 雨除け】
「これをしまったら昼飯にしよう。貴様、甲府で弁当をつかっている内、俺はちょっと嬶衆(女衆)の顔を見てきたい。
「さっきから馬の尻を嗅いで気持ちが悪くなった。おらが嬶衆(女衆)は馬の糞の臭いがする。
馬
「宿六殿は、何を戯言云うやら。こなたより俺には家の嬶衆(女衆)が惚れていて、俺が太鼓を打つ度に、涎を垂らして嬉しそうに見ていらァ。
韮崎の宿より、野道を過ぎ行くに、四里行きて台ヶ原の宿。ここに御関所あり。まるや弥源治という宿に泊まる。明ければ二里半ほど行きて蔦木の宿に至る。この宿にも大坂屋源右衛門という良き宿屋あり。
豊年の冬には雪の貢物
載せるしら木の台ヶ原なれ
名にめでて蔦木の宿や旅人に
からみつきたる留め女ども
「今後の宿で、若井女の抜け参りが三人、どれも渋川の剥けた奴らであったが、路用が尽きて晩の泊り錢もないと云うから、あんまり可哀想だと、一人前錢に百づつやってきたが、大きな功徳をしたと、雲助どもへ話したら、それは旦那の成り形、顔つきまで悪党めいて御座るから、ひょっと、取り付かれようかと思ってわざと錢のないようにいったものさ。遠い国から出てくる女は皆そうさ。金はたんともって出ても、わざと汚いなりをして錢のないふりをして歩くは、寝るものが恐ろしい故、それを本当だと思って錢を百づつやったとは、お前よっぽど鼻毛の伸びたお方だと、笑いぁがった。忌々しい。
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