ミスユニバースでの審査は、プロポーション、顔立ち、自己アピールの仕方など、世界で認められるようにするためには、以前の日本人女性のイメージからは遠のいてしまう。
謙遜や恥じらいとは真逆の部分に焦点があてられる。
ミスユニバースに出場するのは、如何に世界的レベルの大人の女性になっているかと言うことで「カワイイ」の否定から始まっている。
その「カワイイ」は一部の外国人からは支持されている。
大人の恋愛と言えば、フランスであるが、フランスのメイドカフェの映像では、地元の男性たちが、サービスを受けて、日本人男性と同じように嬉しそうにしていた。
日本の「カワイイ」文化大好きな彼らは、自国の大人優先文化に馴染めず、居場所が無かった。
それが「カワイイ」文化に出逢って、気持ちが楽になって自分の居場所を見つけられたらしい。
外国人でも皆、大人文化を受け入れられるわけではないのだ。
優勝した彼女達の努力には敬服する反面、賞を取るための戦略があると聞くと、
どうも胡散臭く感じられるので、コンテストそのものが、一体、何の意味があるのか?首をかしげてしまう。
綺麗な女性を見るのは楽しいから単純に美人コンテストならわかる。
内面という外見ではわからない判断基準を示されると、「あーーそうですか」と言うしかない。
どんな人が選ばれても、審査結果には共感出来ない。
優勝した女性以外の各国代表は内面がいまひとつだったというわけで、それは「上位の人より貴方は美人ではない」と言われるより屈辱的ではないだろうか?
外見だけではなく、世界一になるほど人間的に素晴らしいのなら、歴代のミス・ユニバースの入賞者の、その後の活動が大々的に宣伝されてもいいはずなのに、殆ど耳にした覚えがない。
このブログを書くのに、歴代の優勝者をネットで調べてみた。
名前は勿論、顔も知らない女性ばかり・・・美しい容姿を活かしてモデルになった人は多いけれど、殆どの女性が途中で消えているではないか!!
つづく
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