虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

国宝に落書き

2010年08月20日 | 歴史・文化
三重塔に800年前の落書き? 京都の浄瑠璃寺(共同通信) - goo ニュース
2010年8月19日(木)20:41

(共同通信)
 京都府木津川市の浄瑠璃寺にある三重塔(国宝)で、最下層の天井板の裏側に、帽子をかぶった人物の落書きがあることが19日、府教育委員会への取材で分かった。天井板には鎌倉時代以降、数回にわたり模様が描かれており、最も古い場合は約800年前の落書きの可能性がある。府教委によると、落書きは縦横約10センチ。ピエロのような帽子をかぶり、手に棒のようなものを持って笑っている人物が墨で描かれていた。



国宝に落書きしたら、怒られちゃいますが、それも時代をさかのぼれば、歴史的な価値がある・・のか?(笑)
それにしても、この絵、達者でおもしろ~い!!

職人さんが仕事の途中で落書きし、親方に見つかりそうになって、あわてて描くのやめたとか・・・まさか(笑)
いろいろな情景が浮かんでくるようでそれも面白いです。(笑)



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トキのミイラ、2000年の時を超えて

2010年04月23日 | 歴史・文化
ミイラは2千年前のトキと判明 京大保管、X線で撮影(共同通信) - goo ニュース
2010年4月19日(月)21:37
1916年に英国から寄贈され京大総合博物館が保管していた鳥のミイラ2体をエックス線で撮影したところ、約2千年前のトキであることが分かり、同博物館が19日発表。ミイラは1914年ごろに英国の調査団がエジプトで発掘。調査への寄付の謝礼として「日本考古学の父」浜田耕作京都帝大教授に贈られた。長さは約40センチで褐色の麻布に巻かれ、博物館は種類を特定しないまま保管していた。



時は1914年、イギリスの調査団が、エジプトで発掘した鳥のミイラは、2年後、調査の寄付の謝礼として、「日本考古学の父」に、贈られていた。
それがこのたび、その鳥が2000年前の「トキ」であったことがわかったという。

私自身もトキと言えば、つい、日本のトキを思い浮かべてしまうけれど、この記事を書くにあたり、改めて調べたら、今はもうエジプトでは絶滅してしまったけれど、古代エジプトにもかつてアフリカクロトキが生息しており、神聖な鳥として崇められていた、ということがわかった。
古代ギリシャのヘロドトスの『歴史』には、エジプトではこの鳥を殺した者は死罪とされた、とあるから驚きだ。

     


ウィキペディアによると、クロトキは、書記と学芸の神トートの化身とされていた。

純粋な日本のトキ、学名ニッポニアニッポンの日本のトキは、もう絶滅してしまったけれど、戦後のある時期まではありふれた鳥だった。
同様に、サハラ砂漠以北のアフリカで唯一の生息地だったエジプトのアフリカクロトキも、18~19世紀までは、ありふれた鳥だったのだが、1850年頃エジプトからいなくなり絶滅してしまった、という。古代エジプト人が知ったら、さぞかし嘆いただろう。



     
     村田エフェンディ滞土録 (梨木香歩・著/角川文庫)

文明の交わる場所では、人々の連れてきたそれぞれの土地神たちは、うまく折り合いをつけながら新たな文明を創造していった。はじめは、ぶつかり合いながらも、最後にはみんな折り合いをつけて・・ね。
神や自然への畏怖心が育っていればこそ、自分の神も他者の神も同じように尊重できたからではないか。
そういう懐の広さをなくしたものが、やがて戦争を起こすのぢゃろか。


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サインはD

2010年03月04日 | 歴史・文化

奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土(読売新聞) - goo ニュース
奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土
2010年3月3日(水)17:58(読売新聞)
 兵庫県朝来市和田山町、南但ごみ処理施設建設予定地の「高田遺跡」から、奈良時代のものとみられる漆で漢字やアルファベットと似た文字か記号が書かれた須恵器の破片約30点が見つかり、2日、朝来市教委が発表した。
 1か所で同様の須恵器が見つかったのは但馬、丹波両地方で最多で、一般集落からの出土例はなく、市埋蔵文化財センターは「経済的にゆとりがある人物が漆を使ったと思われる。自分の所有物を示すために書いたのでは」としている。
 施設整備事業に伴い、昨年12月から円山川沿いの丘陵地約3230平方メートルで発掘。これまでに、市内全体の遺跡の分布調査で踏査した結果、土器が見つかったことから本格調査した。
 見つかった漆書きの須恵器には、漢字の「木」を書いたようにみえる破片(縦7センチ、横12センチ)や、アルファベットの「D」に似た柄が入った破片(縦3・5センチ、横4センチ)などがあり、筆や木の先端、ブラシなどで書いたとみられる。


わざわざ、漆を使っているのだから、何か意味があるのでしょうか。
記事のように、持ち主を示すマークだったのか、模様のつもりだったのか、メッセージ性があるのかないのか、ただのいたずら書きだったのか・・・
できるなら、奈良時代に戻って確認してみたいなあ。
わかれば、多分、「なあんだ」っていうことなのでしょうが・・・はたまた?
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猫の女神様

2010年01月28日 | 歴史・文化
写真:共同通信

エジプトで猫の女神発掘 プトレマイオス朝で初(共同通信) - goo ニュース
2010年1月19日(火)21:45 (共同通信)
 【カイロ共同】エジプト考古最高評議会は19日、同国北部アレクサンドリアの神殿遺跡から、古代エジプト・プトレマイオス朝の王、プトレマイオス3世(紀元前246~同221年)時代とみられる猫の姿をした女神「バステト」の像を発掘したと発表した。母なる女神とされるバステトの像は紀元前2890年ごろのエジプト初期王朝時代の遺跡からも見つかっているが、プトレマイオス朝時代では初めてという。


この像は、神というより猫そのものですねえ。口元のかわいらしさが・・たまらにゃいですにゃー
この猫ちゃん・・じゃなくて、この女神「バステト」は、初期のころのバステト像よりずっとあと、時代的には約2700年くらいたったプトレマイオス朝時代のものであり、この時代では初めての発見だそうです。
体は人で顔は猫、というような象徴的なバステト神より、よりリアルな猫神です。
畏敬の念というより、猫に対する愛情から作ったような女神のようにも感じられます。


■追記



ナショナルジオグラフィックニュースに、この神殿遺跡にあった別の猫の像が紹介されていました。
同じポーズですが、こちらはより女性的で猫らしく見えますね。上のバステトは、ライオンの子供のようにも見えますから。
記事によると、

考古学者のモハメド・アブデルマクスード氏は、「古代エジプト人は、この神殿の像を数多く作ることでバステトのさまざまな姿を表現したかったのだろう。例えば、バステトは猫の女神であると同時に人々に幸福をもたらす神でもある」と説明している。

と書かれています。バステトは猫の女神であると同時に人々に幸福をもたらす神でもある・・という言葉に、うんうんと、うなずく愛猫家の人も多いかと思います(笑)。



★参考サイト
 バステト(ウィキペディア)




21世紀の東京 バステトみっけ!  写真by「だから東京が好き!」




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弥生人はしょうゆ顔

2009年02月27日 | 歴史・文化
ウルトラマン?ビリケンさん?弥生の人面土器、京都で出土(読売新聞) - goo ニュース
京都府埋蔵文化財調査研究センターは26日、同府与謝野町の 温江 ( あつえ ) 遺跡で、弥生時代前期(紀元前400年頃)の人面付き土器が見つかったと発表した。
 同じ日本海側の松江市で出土している土器と並び国内最古級。高さ8.5センチ、幅7.6センチ、奥行き7.1センチ。目は切れ長で、頭頂部から後頭部がまげのように膨らんでいた。後頭部には直径1センチ程度の穴があり、くしなどで髪を留めた姿とみられる。両耳にも穴が開いていた。
 「前から見るとウルトラマンかビリケンさん、横から見るとモアイ像に似ている」と同センター。表情やまげの部分は松江市の土器ともそっくりで、大野薫・大阪府文化財センター南部調査事務所長(考古学)は「どちらも写実的な表情。大陸からの渡来人が日本海側に新たな文化を広げたのだろう」と話している。


紀元前400年、ほぼ2400年前の国内最古級という人面土器が見つかったそうです。
当時の髪型を想像すると、長くなった髪を束ねて、まげのように上に乗せていたらしい?
リアルに表現された平安貴族を思わせる、ひき目かぎ鼻の面立ち。やがて、日本を支配したのは、このころの渡来人の子孫だったんだろうと想像できますね。
縄文人に比べ、かなりおしょうゆ顔だと思いますが、現代のしょうゆ顔より顎ががっちりしているのは、当然のことでしょう。
あれ?誰かに似ている?(*^m^*) ムフッ
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ストーンヘンジは、治療場?

2008年09月26日 | 歴史・文化

ストーンヘンジは治療場 英調査チームが新説(共同通信) - goo ニュース
【ロンドン22日共同】世界遺産に登録された英南西部の巨石遺跡群ストーンヘンジは紀元前2300年ごろ造られた治療センターだったとの新説を現地調査している英大学教授チームが明らかにした。BBC放送が22日報道。天文観測や宗教儀式など諸説あった。造られた時期も紀元前2500-2000年などと不明確だったが、地中から採取した物質を放射性炭素年代測定法で分析し、時期を特定したという。

なんとなく、わくわくするようなニュースです。
ラジオでも山田五郎さんがこのニュースについて話していたんだけど、この巨石は、ドロマイトっていう石で、この場所にもともとあった石ではなくて、200キロくらい離れたところから運んできたらしいんです。

この近くにある墓地からは、大けがなどの痕跡がある「異常な数」の遺骨が見つかり、歯の分析によって、遺骨の半分は地元住民のものではないことも分かったのだそうです。
それが治療所であったという説の根拠の一つになっているようですが、同感です。
以前、マオリ石のこと書いたことがありますが、ある種の鉱物には、癒しの力があるのではないかと思っています。

紀元前2300年ごろの人々は、ここがパワースポットであることをわかっていた。
このパワースポットにこの石をぐるりと囲んで立てることによって、外との結界を作り、さらに癒し効果を高めた。
遠くからけが人や病人がやってきて、ここで治療してもらった。
治療といっても、現代のように、体を切ったり化学薬品を飲ませるのではなくて、体の免疫力を高めさせ、自然治癒させた。

・・・・と想像するのもまた楽し。

玉川温泉、みたいな?

omake
Enya - Smaointe


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14~16世紀の猿と犬の人形出土

2008年03月29日 | 歴史・文化

犬と猿の土製品が出土 福岡、安産祈って埋めた?(共同通信) - goo ニュース
福岡県朝倉市の中世黒川院関連遺跡群で、犬と猿の形をした小さな土製品が相次いで見つかった。平安時代から修験道が栄えた中世彦山の高僧にかかわりの深い遺物とみられる。土製品が見つかったのは、14-16世紀に信仰を集めた中世彦山の最高位の僧、座主の居館跡と伝えられる場所。「犬は多産の象徴とされており、座主の関係者が安産などを祈って埋めたのではないか」(市教委)という。

うふふ。こういうの大好きなんです。素朴でかわいいですねえ。
このお人形は手びねりで作られたものだそうです。こういうの作ってる時の人の顔を想像するとまた楽しいものですね。

さらに詳しいニュースによると、お猿さんの方は、約350メートル離れた寺院跡とされる場所から出土し、神道などに見られる、つま先を立てて正座する跪座の姿勢を取っているのだそうです。猿を神の使徒として、座主が14世紀に広めたといわれる山王信仰に関連があるとみられる。とのこと。

かつて私たちの国は、動物たちを神の使いとして敬い、野生動物と人間は共存していたんですよねえ。
ニホンオオカミは、明治以降、西洋から持ち込まれた犬の伝染病などによって絶滅してしまったということですが、害獣として駆除されたという話も聞いています。宮沢賢治の「注文の多い料理店」に出てくるハンターのように、当時の西洋かぶれの人たちの間では、ハンティングなんかも流行ったことでしょうし。
ニホンオオカミの絶滅は、生態系のバランスを壊し、天敵をなくした鹿や猿やいのししなどの害を増やしました・・・・。

ところで、修験道といえば、沖縄にサンゴを植えるのに参加するため、「gooホーム」というのに登録してほっぽってたんですが、先日「修験者」さんという方からお友達申請のメールをいただきました。写真見て、びっくり。本当に修験者さんだった!!
おまけにお友達が900人以上いらっしゃる、すご~~い。おかげ様で私もやっと一人お友達ができました(笑)

■修験者さんのブログ
天照柱源修験道教会~しあわせに暮らすために~地球温暖化防止、ジュセリーノ氏の予言、スピリチュアル、真理の探究
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よみがえった玉虫厨子

2008年03月10日 | 歴史・文化
最近、とんとタマムシに出会えません。数年前、某渓谷で見かけたきりです。
ゴキブリなら、冬でも同居してるのにね・・・

子供のころ、初めて見た時は、作り物ではないかと思ったくらいの衝撃的な美しさでした。
今のように、ホログラムのような印刷技術もなかったころに見たメタリックな深い輝きは、子ども心に神様がえこひいきしたんじゃないかいなと思うくらい。本当に神秘的でした。
アトランティスのオリハルコンもこんなふうに輝いていたかも・・・なーんて想像するのも楽しいもんです(笑)


写真:「まるぼランドのフリー素材写真」さんより

飛鳥人も思うことは同じだったんですね。タマムシは死んでしまっても羽の輝きは失われないので、タマムシの羽を集めて大切な厨子の飾りにしたんですね。

 *たまむしのずし【玉虫厨子】
法隆寺につたわる飛鳥時代の厨子(仏像などをおさめる箱形の容器)。周囲の装飾金具の下に,タマムシの前羽をはってあるのでこの名称がある。須弥座(しゅみざ)の上に宮殿形がのった厨子で,高さは233cm。宮殿部のとびら,須弥座の上下部の四面の壁にえがかれた絵画は飛鳥時代を代表する貴重な遺品である。国宝。


 国宝・玉虫厨子(法隆寺)

昔、修学旅行で見た玉虫厨子は、既にタマムシの羽が落ちてしまっていたので、想像するだけだったんですけど、このたびリアルな復刻版と、新たに3万枚以上の羽を使った平成版が2基作られたそうです。

国宝・玉虫厨子を再現 羽3万6千枚使用の「平成版」も
2008年03月02日03時03分
1基は「復刻版」として国宝を忠実に再現。宮殿部の透かし彫り金具の下に玉虫の羽6622枚をはり付けた。もう1基は「平成版」。金具の下だけでなく、四つの面に描かれた自己犠牲の教えを説く「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」などの仏画にも3万6000枚以上の羽を使って豪華に仕立てた。

  B

写真A 公開された復刻版の玉虫厨子(手前)と平成版の玉虫厨子(奥)=1日午後、奈良県斑鳩町の法隆寺で
写真B 復刻版・玉虫厨子の金具の下で緑色に光る玉虫の羽=1日午後、奈良県斑鳩町の法隆寺で


3万6千枚以上の羽という平成版もすごいけど(養殖したのかな)、やっぱり古人と同じ目線になって復刻版を見てみたいものです。

なお、タマムシは成虫になって2ヶ月くらいで天寿を全うするそうなので、仏教の教えの通り、命を終えた虫の羽を再利用したと絶対に思いたい。

タマムシ(「虫ナビ」さんより)

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国内最大級の石室

2008年02月11日 | 歴史・文化

6世紀半ば、最大規模の石室=「渡来系東漢氏の地位示す」-奈良 (時事通信) - goo ニュース
奈良県明日香村真弓の真弓鑵子塚古墳は6世紀中ごろの築造で、この時期としては最大規模の石室だったことが分かったと、同村教育委員会が7日、発表した。同古墳は渡来系氏族の東漢(やまとのあや)氏の墓との見方が有力。
村教委は「東漢氏は蘇我氏に従属していたというイメージが強いが、6世紀半ばにはそれなりの地位の高さ、安定した地盤を持っていた可能性が高い」としている。
同古墳は1962年に石室内の実測調査が行われ、6世紀後半の築造とされていた。今回、村教委が国史跡指定を目指して初めて本格的に発掘調査したところ、出土土器から築造時期は6世紀半ばで、墳丘は直径約40メートルの円墳、石室の床面積は約28平方メートルと判明した。
石室北側には、長さ約4メートル、幅約2メートルの奥室が設けられていた。石室内には奥室を含め、2つの石棺と1つの木棺が納められていたとみられる。渡来系の特徴とされる非実用的なミニチュア土器も出土した。


古代史に造詣が深い訳ではないけれど、この時代の話は、なんとなくわくわくします。この石室は、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半、同村)をしのぎ、床面積が約18畳分と国内最大級だったことが確認されたそうです。

・・・当時はもちろん、クレーン車なんかないから、えんやこらと、たくさんの人力で、しかもばっちりとこの巨石を組み合わせて室にする・・・一体どうやったのでしょう。第一この巨石をこの数、集めてくるだけでも大変。
巨石文明は世界各地にあるわけだけど、もし、現代人が人力だけで作れといわれたら、どうやってどこまでできるでしょうか。

ところで、ニュース記事には「渡来系の特徴とされる非実用的なミニチュア土器も出土した。」と書かれていますね。
「非実用的」って何かしら?
ミニチュア土器って、お墓としたら副葬品みたいな意味合いがあったのかなあ。
ミニチュアの小物って、現代の日本人も大好きですよね。(食玩の野生動物たちに一時はまって大人買いしていた私れす。)
副葬品に名を借りて、古代人も遊び心いっぱいでミニチュア制作してたかも。(笑)

明日香村には、たくさんの巨石の遺跡がありますね。



亀石なんか、愛嬌があって大好きです。でもこれ絶対蛙石だよね、と初めて見たとき思ったものです。
この石をここにおいたのも、きっと何かわけがあったのでしょう。そんなことをいろいろと考えるのも、楽しいものです。
  


真弓鑵子塚古墳(明日香村公式HPより)
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古墳時代の猫

2007年11月20日 | 歴史・文化
ちょっと話が古くて恐縮ですが、といっても、たかだか1400年ほど前のことですよ。
(≡^∇^≡)ニャハハ

猫の足跡が付いた須恵器発見

兵庫県姫路市の市埋蔵文化財センターは31日、同市四郷町の見野(みの)古墳群(6世紀末~7世紀中ごろ)の横穴式石室から、猫のものとみられる足跡が付いた須恵器=写真=が見つかったと発表した。副葬品に動物の足跡が残るのは極めて珍しい。
共同調査する立命館大の学生が杯身(つきみ)と呼ばれる食器(直径15センチ)の内側に、白く丸い肉球らしき跡が五つ並んでいるのを発見した。
センターの担当者は「器を焼く直前に偶然、動物の足が付いたと思われる。埋葬当時は気付かなかったのでは」と指摘。地元の同古墳群保存会メンバーからは「猫好きの権力者のために作ったのかも」との声も。(2007年09月01日 読売新聞)


 にゃにゃにゃにゃんと・・・!1400年のときを隔てて見つかった須恵器に、はっきりと昨日ついたばかりのような、生々しいにゃんこの証の梅の花の足あとが・・・
それにしても、猫は一体いつごろから日本にいたのでしょうか。
猫の渡来は、奈良時代がこれまでの通説だったそうですから、これは日本の猫の歴史を塗りかえる大発見であるかも!ですよ。

見野古墳群にゃんにゃん分析するとこんな猫かにゃ?
   ↓
  ★見野(みの)古墳群保存会
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