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命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

パレスチナに落書きアーティストのバンクシーがホテル開業

2017年03月07日 | パワーな人々・パワーな本
落書き画家バンクシー氏からのメッセージの、コメント欄でひろみさんから教えていただきました。



上の写真、イギリスの世界的落書き覆面アーティスト・バンクシー氏がパレスチナ暫定自治区にホテルを開業。
しかもイスラエルがパレスチナ人隔離のために作った壁のすぐ目の前に建てられたものです。
有名な高級ホテルの名前に「壁に隔てられた」を意味する英語をひっかけて、「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」と名付けられています。



「壁」を一望 “世界一眺めの悪い”ホテル パレスチナに開業
NHK 2017年3月5日
イギリスの覆面アーティスト、バンクシーがパレスチナ暫定自治区に突如、ホテルを開業し、パレスチナ人を隔離するためイスラエルが建設した「壁」を客室から一望できる、「世界一の眺めの悪さ」をうたって注目されています。
パレスチナ暫定自治区のベツレヘムに突如、開業したこのホテルは、神出鬼没、正体不明の覆面アーティスト、バンクシーが14か月かけて秘密裏に準備してきました。

有名な高級ホテルの名前に「壁に隔てられた」を意味する英語をひっかけて、「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」と名付けられています。

ホテルがあるのは、イスラエルがパレスチナ人を隔離するため建設した「壁」のすぐ脇で、客室からはうねるように連なるコンクリートの壁や、イスラエル軍の監視塔が一望できることから、「世界一眺めの悪いホテル」をうたっています。

ホテルの内部はバンクシーの作品で飾られていて、客室のひとつには、イスラエル兵とパレスチナ人が「まくら投げ」をしている壁画が描かれているほか、催涙弾のガスに口元を押さえる人物の胸像なども置かれています。

バンクシーはこれまでも、この「壁」を題材に多くの風刺画を描いています。

ふだんはメディアの取材を受けないバンクシーですが、イギリスのテレビ局、チャンネル4は「最近、壁がアツいでしょう。でも、私はトランプが流行(はや)らせる前から注目してたんだ」という本人の発言を伝えています。



ホテル全体がミュージアムです。



ホテルロビー 覆面の少年の右手には花束





窓から見える壁と みんなの落書き





枕投げするイスラエル兵とパレスチナ人





ゼブラ柄のソファの上でくつろぐチーター一家




上の写真掲載サイトより以下抜粋

この地域は観光と巡礼者の訪問で経済が成り立ってましたが、イスラエルとパレスチナの領土間の旅行に関するイスラエルの統制がますます厳しくなっているために、それも荒廃しつつあります。
そのような背景から、今回のプロジェクトの本当の理由が見えてきます。それは、このThe Walled Off Hotelをオープンすることにより、雇用を生み出し新たな観光客を増やすこと。イスラエル政府は自国民にベツレヘムとその他の有名な観光名所を訪れることを禁止していますが、このホテルのある場所はイスラエルの管轄下にあるため、合法的にイスラエルの人々も利用することができます。
ホテルマネージャーであるWisam Salsaaさんも「このホテルを通してイスラエルの人々もパレスチナについて学んでほしい、そして、私たちの中にあるステレオタイプな思考を取り除いてほしい」と語っています。

さらに、ホテルではパレスチナ人アーティストの作品も展示され、社会情勢や政治的な理由から注目が浴びることが少ない人々にも光を与えています。



前の記事にも紹介しましたが、

「強者と弱者の紛争から手を引けば、
 私たちは強者の側に立つことになる。
 中立になるわけではないのだ」


という言葉を実践されていますね。トランプ氏のアメリカが、イスラエル寄りの政策に露骨に傾いている今こそ、このホテルの意義は深いです。
バンクシー氏を芸術テロリストという人もいます。
私は当初、彼の活動を、テロリズムと同じにしちゃいかん、とも思いましたが、「人類の和解に向かって攻めている」という意味なら、とてもわかるような気がします。
バンクシー、どこまでも只者ではない人です。


★バンクシーHPが一新されていました http://banksy.co.uk

バンクシー523
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軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を生む by メリル・ストリープ

2017年01月11日 | パワーな人々・パワーな本
9日の夜、NEWS23を見ていたら、ゴールデングローブ賞授賞式で、ハリウッド女優メリル・ストリープさんのトランプ氏へのメッセージ?を伝えていた。切々と語るその気持ちが、見ているこちらの胸にも強く迫ってきて、私も涙目になってしまいました。

11日の東京新聞にも詳しく出ていたので、ご紹介します。




メリル・ストリープ 623


「軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を生む」 ストリープさんに共感の声
(東京新聞2017年1月11日)
 【ニューヨーク=北島忠輔】米ハリウッドを代表する女優メリル・ストリープさん(67)が八日のゴールデン・グローブ賞授賞式で、トランプ次期米大統領の差別的な言動を「軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を駆り立てる」と痛烈に批判した。トランプ氏はツイッターで、ストリープさんを「ハリウッドで最も過大評価された女優の一人だ」とののしったが、ハリウッドではストリープさんに共感する声が広がっている。

 ストリープさんはスピーチで、トランプ氏を名指しすることは避けつつ、「わが国で最も尊敬されるべき地位に就こうとする人が、身体障害のある記者のまねをした」と非難した。米紙ワシントン・ポストなどによると、トランプ氏は二〇一五年十一月、南部サウスカロライナ州の支援者集会で演説中、以前取材を受けた記者を批判。その際、関節拘縮症のため腕に障害のある記者をからかうようなポーズを見せた。
 ストリープさんは時に声を震わせながら「権力者が自分の立場を利用して他の人々をいじめれば、われわれは全員敗者となる」と強調。「信念を持った記者がわれわれには必要だ」と権力を監視するメディアの重要性を訴えた。
 トランプ氏は九日、ツイッターで「からかっていない」と反論。さらにストリープさんを大統領選で敗北したヒラリー・クリントン氏の「召し使い」とやゆした。
 ストリープさんのスピーチ後、ハリウッドの俳優らからは称賛の声が相次いでいる。アナ・ケンドリックさんは「彼女より素晴らしい人がいるだろうか」、アリッサ・ミラノさんは「あなたの発言は私に力を与えてくれた。ありがとう」とツイッターに書き込んだ。

 <メリル・ストリープ> 1949年、米ニュージャージー州生まれ。エール大学演劇大学院を修了後、77年、「ジュリア」で映画デビュー。2作目でロバート・デニーロさんと共演した「ディア・ハンター」(78年)でアカデミー賞助演女優賞に初ノミネートされて以来、喜劇から社会派作品まで幅広く演じ、アカデミー賞に計19回ノミネートされている。
 このうち「クレイマー、クレイマー」(79年)で助演女優賞、「ソフィーの選択」(82年)、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(2011年)でそれぞれ主演女優賞を受賞。他にも「マディソン郡の橋」(95年)、「プラダを着た悪魔」(06年)など人気作品に出演。大ヒットミュージカルを映画化した「マンマ・ミーア!」(08年)では、美しい歌声を披露し、「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」(16年)では、ソプラノ歌手を目指す「絶世のオンチ」を演じた。昨年7月の民主党大会でヒラリー・クリントン氏の応援演説をした。


◆<ストリープさんスピーチの詳報>「権力者が他の人々をいじめれば、われわれは全員敗者」
 【ニューヨーク=北島忠輔】米女優メリル・ストリープさんのゴールデン・グローブ賞授賞式でのスピーチ詳報は次の通り。

 (グローブ賞を主催する)ハリウッド外国人映画記者協会のみなさん、ありがとう。まさにここにいる私たち全員が今、米国社会で中傷されています。考えてみてください。ハリウッド、外国人、そして記者…。私たちは何者か。ハリウッドとは一体何なのか。それはただ、さまざまなところから、多くの人々が集まっているだけなんです。

 ハリウッドには部外者と外国人があふれています。もし、彼らを全員締め出したら、フットボールとマーシャルアーツ(総合格闘技)以外に見るものはなくなるでしょう。それはアーツ(芸術)ではありません。

 俳優の仕事はただ一つ、自分たちと異なる人生に入り、見る人がどう感じるか感じてもらうことです。そしてこの一年間、情熱的で力強い、息をのむようなパフォーマンスが数多くありました。

 しかし、私はある一つのパフォーマンスに衝撃を受けました。それは私の心に突き刺さったままです。決して素晴らしかったからではありませんが、それは人々の目を引きました。
 意図的に集められた聴衆を笑わせ、敵意をむき出しにさせたのです。

 わが国で最も尊敬されるべき地位に就こうとする人が、身体障害のある記者のまねをした瞬間でした。記者よりも特権、権力があり、反撃する能力もはるかにしのぐ人物が、です。

 それを見たとき、私の胸は張り裂けそうになりました。今でも頭から離れません。それが映画ではなく、現実世界の出来事だからです。

 こうした衝動的な侮辱を公の舞台で権力のある人物が演じれば、それはすべての人々の生活に浸透します。なぜなら他の人々も同じことをしていいという、ある種の許可証を与えるからです。

 軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を駆り立てます。権力者が自分の立場を利用して他の人々をいじめれば、われわれは全員敗者となります。

 これは記者にも通じる話です。説明する力を持ち、権力者のあらゆる横暴を批判する、信念を持った記者がわれわれには必要です。だからこそ、建国の父たちは報道の自由を憲法に記したのです。


 ですから私はこれだけはお願いしたい。裕福で知られるハリウッド外国人映画記者協会と、すべてのハリウッドコミュニティーのみなさん、どうか私に加わって(世界の言論弾圧を監視する民間団体の)ジャーナリスト保護委員会(CPJ)を支援してください。われわれが前進するには彼らが必要になるからです。彼らは真実を守るためにわれわれを必要とするからです。

 私の友人で、亡くなった親愛なる(映画スター・ウォーズの)レイア姫(故キャリー・フィッシャーさん)は、かつて私にこう言いました。
 「傷ついた心を芸術につくり替えていきましょう」
 ありがとうございました。



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追悼・安保徹先生

2016年12月13日 | パワーな人々・パワーな本

自律神経免疫療法の安保徹先生が突然亡くなられました。

思えば、昔は病気になれば病院に行くと、疑っていませんでしたが、個人的な体験を申しますと、家族の体調不良の原因が特定できないばかりか、間違った治療で、むしろひどい目にあってしまったことが続き、現代医療の限界と不誠実さに嫌気が差していました。

その後、信頼できるお医者様を探して、漢方の故・藤平健先生に出会い、薫陶を受け、また、図書館や本屋さんの書籍の中で、何人かの医師との出会いが、医療に関する私どもの見方を肯定的に変えてくれました。

当ブログの幾つかにも、安保先生の著書の紹介などさせていただいておりましたが、突然の訃報に、また一人、大事な方が鬼籍に入られ、寂しい限りです。

病名は、「急性大動脈解離」ということです。
個人的なことながら、私の母も、まったく同じ病名で突然倒れ(その日の午前中は友達と旅行の相談をしていて、夕方倒れた)、救急車で運ばれました。
あと、30分遅かったら、命はなかったと担当医師に告げられました。
その時に言われたのは、「この人は、何か重労働をしていたのですか」と。
血管が、重労働をしている人のようにボロボロだったそうです。
(私達家族と違い、父も母も普段から、現代医療のお世話に普通になっていました。)

安保先生は、現代医学に、真っ向から批判的な立場でしたから、逆風の中、矢面に立って、無理されたり、苦しいこともあったのではないかと、お察しします。
運動もお好きだったようですが、屈強なスポーツマンが意外にあっけなく病気になって亡くなる事例も多々あるので、ご自分でも気づかぬうちに無理されたのかなあと。

しかし、象牙の塔の中で、いくらでも悠々自適に過ごすこともできましたのに、批判を覚悟であえて、患者さんたちのために、別の方向を明るく照らしてくださったことに感謝申し上げます。 

心よりご冥福をお祈りします。


以下、安保徹オフィシャルブログより

ありがとうございます。

安保徹先生を長い間ご支援していただきありがとうございました。
お忙しい中、ご会葬いただきました方、
飛行機でキャンセル待ちをしながらも何とか葬儀にいきたいと思いながら来ることができなかった方、
遠くから冥福をお祈り下さった方、
読者の皆様
安保徹名誉理事長は、12月6日、急性大動脈解離により享年70歳にてその生涯に幕をおろしました。
通夜・告別式にはたくさんの生花(120以上)、弔電(150以上)を賜りありがとうございました。
通路から会場四方を生花に囲まれ、安保先生のご親交の深さを感じました。

ご遺族になりかわり御礼申し上げます。
ご遺族からの会葬御礼を引用させていただきます。

「お世話になった皆様へ 謹んで御礼申し上げます」
夫 安保 徹は、平成28年12月6日、享年70歳にて信念を胸に歩んだ、その生涯に幕をおろしました。

夫は研究者として、長く、医学の道を突き進んでまいりました。
新潟大学にて免疫学に没頭した幾歳月…苦労多き道のりだったと思いますが、志を同じくするかたがたやお力添えくださった皆様の
おかげで励み族けることができました。素晴らしいご縁を結んでいただいた すべての方々へ、この場をお借りして改めて深く感謝を申し上げます。
自身を信じて どこまでも真っ直ぐに生きた夫の姿は、家族だけでなく多くの方のお心にも刻まれていることと存じます。
在りし日の面影を振り返り、ともに過ごした日々を皆様にも忍んでいただけましたなら、夫も喜ぶことでしょう。
最後になりましたが、生前賜りました多大なるご厚誼に、家族一同心より感謝申し上げます。

日本自律神経病研究会事務局


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包み隠さず見せたうえで、全力をつくすことで、信頼は、初めて生まれる

2016年09月19日 | パワーな人々・パワーな本
初めて会った人に、私を信用してください、私を信頼してください、っていきなり言われても、その人の「人となり」がわからなければ、そう簡単には信じることはできませんよね。

先日見た、テレビ番組。1979年の航空機事故。離着陸の際、必要な左側の車輪が出てこないまま、着陸に成功した東亜国内航空の機長・塚原利夫氏のことをドラマ仕立てで放送してました。その番組を見てとても考えさせられました。



 

詳しくはこちら→http://www.tbs.co.jp/program/urawideshow_20160914.html

羽田を飛び立ってすぐに、車輪トラブルに気づきました。
着陸先の空港より、羽田のほうが広いし整備体制も整っている、着陸の安全確保のためには、羽田に引き返すべきと、塚原機長は決断します。
何度も、飛行中に車輪を出し入れする扉の開け閉め確認をしたため、座席の下から響く音と突然の方向転換に、乗客たちは不安になり、機長に説明を求めました。

その時、乗客の不安を回避するために、羽田に戻るための別の理由をつける、という選択もあったのですが、彼は、機内放送で正直に車輪のトラブルを話したのです。
なぜなら、正直に話さなかったら、もし、着陸の際、万が一の火災などのトラブルが起こった場合、乗務員への信頼が壊れ、信用されなくなり、乗務員の話も誘導もを聞く耳を持たなくなるだろう、パニックになって、さらなる大災害が起こる可能性もある、と思ったのです。

なるほどなーと思いましたよ。瞬間に、先の先まで、想像する力。さすがですね。

車輪を格納した扉が開かなくて車輪が出ないのか、あるいは扉が開いても車輪が出ないのか、それは飛行機の外側からの目視でなければわからない。
後者であれば、手動で車輪を下ろすこともできる。
その確認を、一番近くを通っている旅客機と編隊を組み、こちらの機の腹を見せて、確認してもらう・・・とかアクロバットのような操縦もします。
残念ながら、危険を犯してまでやってみたその結果、扉は開いていなかったのて、手動で車輪を下ろすことも無理だとわかりました。

次に、車輪の扉を開かせるため、重力を利用して、飛行機の急上昇急降下を繰り返す飛行をしてみることに。しかし、それは乗客にとっては非常に怖い思いをさせてしまうことにつながる。

優秀であったがために25歳にして機長となった塚原氏は、事故当時も30歳。

自ら客室に出向き、71人の乗客の一人一人に、車輪トラブルを解決するために、これから少し乱暴な操縦をしますが、これこれこういう理由からです、と説明して回りました。大方の乗客の信任はえたが、それでも、若いがゆえに「こんな若造に」という年配客の不安は消すことができなかった。

それならば、と、乗客たちを、グループごとに、コックピットに呼んで操縦している様子を見せた。あえてお茶を飲んだりしてリラックスしている演出をし、同様に、「ここでこうやって運転しています。車輪が出ないこと以外は、機体にはご覧のとおり、何の問題もありません。」と説明した。
はじめてコックピットを訪れた乗客たちは、一様に驚いたり感心したり、そして最後には機長への励ましの言葉を述べた。

そのように、乗客たちの信頼を得られたことを確認した上で、ついに、その方法を試すことに。

「無料のジェットコースターをお楽しみください」

そういった機転のきいた機長の機内放送もあって、急降下も急上昇もパニックにならなかったが、残念ながら、それでも車輪の扉は開かなかった。

そうこうしているうちに、機は羽田に近づき、いよいよ着陸態勢に入る。
車輪をすべて出さずに着陸させる胴体着陸のほうがより確実性はあったが、下の貨物室の中に放射性物質を含んだアイソトープが積まれていたので、腹をこすらせて、万が一のことがあればさらに大惨事になる可能性もあり、あえてバランスの取りにくい難しい片足着陸に挑まなければならなかった。

you tubeに、その時の片足着陸の動画がありました。機長の卓越した判断と技術で、無事着陸に成功。
乗客たちも必ず無事に着陸できると、思いを一つにしていたことでしょう。


東亜国内航空YS11機が羽田空港で片脚着陸




無事着陸できたことは結果ですが、その裏には、次々にピンチがあったわけです。機長の機転、冷静さ、操縦技術があって、乗客の気持ちが「信頼」に動き、一つになって、乗り越えられた。
一つ間違えば大惨事になる可能性もあっただけに、無事着陸できたことは、客観的に見れば奇跡的な出来事でもありました。

画面では、当たり前のように止まっていますが、上から見ると左側に急旋回しています。本当に危機一髪。
「人事を尽くして天命を待つ」エゴを捨てた高い意識のエネルギーと天のエネルギーがつながった時、人智を超えた奇跡は起こるのではないか、とも思いました。



真実を包み隠さず見せたうえで全力を尽くすこと。
そういうことがあった上で、信頼とは初めて生まれるもの、と改めて思います。


 塚原利夫氏 523愛


嘘がまかり通る世の中には、信頼も奇跡も生まれません。
今、問題になっている豊洲市場の地下空間の件も、包み隠さず情報公開していれば、もっと傷は浅かったのではないかと思いました。


★付記
 時々、白字で意識レベルの数値をメモしているのですが、「携帯から見ると普通に読めちゃいますよ」と教えていただいて・・・。私はPC画面からしか見ないので、わかりませんでした。意味ないので、これからは、普通に表記します。
なお、数値に関しては、信じる信じないはご自由です。
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新代表は「れんちゃん」

2016年09月16日 | パワーな人々・パワーな本
蓮舫議員が、民進党の新代表になった。

 

民進新代表に蓮舫氏=女性初、党勢回復へ「先頭に立つ」―野党共闘、従来路線を尊重

彼女は、早口で一気に話すので、一見きつい女性に見られるけど、何も見ないで短い時間に言いたいことを全部言うせいかもしれない。いつもすごいなと思う。とても賢い頭の回転の早い女性なんだと思う。

今回の党首選、意識レベルの視点では、前回に比べて、蓮舫議員以外の選択肢がなかった。蓮ちゃんの圧倒的な勝利で終わったことは、正直ほっとした。
男性陣が、なぜか涙目になっていた。彼らは、まだ弱いのだ。
今回の選挙では、何があっても明るく前向きに進んでいく、その高いパワーは、残念ながら、今の時点で蓮舫議員にしかなかった。

以前、わが町の議員の応援演説にやって来た。案外華奢で小柄な彼女に、声をかけたら、いつもの笑いジワを顔中に溢れさせ(失礼!)、握手してくれた。
気が強く見えるけど、意識レベルの視点なら、平和を何より大切にするやさしい子なんだよ、あの子は。そして、やっぱり強いんだよ。(笑)……だから、一般的には誤解を受けやすい数値でもある。

我が家では、キャスターしていた頃から、「れんちゃん」と呼んでいたので、これからも「れんちゃん」と呼びたい。
言葉がたくさん溢れてきて、過去には気持ちと裏腹な誤解を招く表現もありましたので、それだけは気をつけてね。


蓮舫新代表挨拶
 
 皆様方の選出により、新代表になりました蓮舫です。改めて党員・サポーターの皆様方、総支部長の皆様方、両院国会議員の皆様の思いに対して、この重責をしっかりと受け止めて、「必ず選んでいただける政党に立て直す先頭に立っていきたい」と改めてお誓いをさせていただきます。

 先ほど(の最終演説で)言えなかった言葉から言いたいと思います。両候補を褒めたいと思います。前原誠司候補、ずっとまぶしく思っておりました。2005年の郵政解散で、惨敗をした我々の政党で、誰も(代表に)手を挙げなかったとき、真っ先に手を挙げて、まっすぐに政策を訴えたまぶしい背中を私はずっと見てきました。若い人が(代表選に)挑戦できる政党に入れたことを誇りに思ってきました。その前原さんと戦えたこと、本当にうれしかったです。学ばせてもらいました。

 玉木さんは若いふりをしていますが、私と1歳しか違いません。大きく違うのは、天才です、秀才です。提案力がある。素直に聞き入れる力がある。こういう(国会議員の)期数が若い人も手を挙げる民進党であること……改めてこの3人で一緒に戦えたこと、代表選管のお骨折りで全国11カ所で、多くの党員サポーターの皆様方の前で公開討論会をして堂々と議論ができたことを、私は一生忘れません。3人そろって次の世代へ、人への投資、前原さんがおっしゃった「all for all」、政策も党も「all for all」、この考え方を踏襲させてください。

 これから先、私たちが向かうべきは巨大与党です。大きな大きな与党と対峙(たいじ)する。人気の高い今の政権と向き合う。そして堂々と、批判ではなく提案、私たちの提案力、創造、国のあり方を持って、しっかりと戦って選択していただける政党にぜひ一緒にしていきたいと改めてお願いを申し上げます。

 これからもいばらの道かもしれません。まだまだ険しい道かもしれません。それでも、登り続けて、登り続けて。私たちは我々が今、同じ思いを持っている国の政権をしっかり担っていきたいと改めて思います。みなさんの力を貸してください。みなさんの労力を貸してください。一緒になって民進党を立て直して、選んでいただける政党にするために、これからも一生懸命頑張って参りますので、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。



それから、二重国籍の件、まるで鬼の首をとったみたいに口角泡を飛ばして責める人もいるけど、犯罪者でもないのに誰かに迷惑をかけたわけでもないのに、日本はいつの間にか、息苦しい監視社会みたいな感じになって、違和感を否めない。
代表戦がきっかけになって、今回、二重国籍が判明したのだから、「間違っていたからきちんと修正します」それでいいことではないでしょうか。

オリンピック見たでしょう。陸上のケンブリッジ飛鳥選手。柔道のベイカー茉秋選手。
ダルビッシュだって、日本を背負いながら(・・かどうかはわからないけど)、大リーグで頑張っている。

世界が狭くなり、多くの外国人と日本人のハーフが生まれている。きっとこれからもそういう人たちは、増えていくだろう
日本で暮らして、日本人として選挙権を持って生きてきたのに、突然、もう一つ国籍あったね、と言われて、そうだったんだ、と初めて気づくことだってあるのではないかなあと思う。今回の件はそういった意味でも、一石を投じたのかもしれない。


(なに人、なに人、と、区別するけど、スピリチュアルの視点では、私たちの魂は世界中の国に、生まれ変わる。・・と思えば、人種にこだわるのはばかばかしいなとも思う。すべては個人個人の意識の問題だとも思う。法律は守らなければいけないけれど)

蓮舫 623 平和

★関連サイト
 蓮舫さんの心の痛み
 共生と多様性は、政治の世界だけじゃなく、この世界全部が目指すものではないかなと思います。


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反骨のジャーナリストむのたけじさんの訃報

2016年08月22日 | パワーな人々・パワーな本
むのたけじさん死去 反戦活動、ジャーナリスト 101歳

 太平洋戦争の報道で新聞記者として国威発揚に加担した反省から、戦後は故郷の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発刊し、反戦を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(本名武野武治)さんが21日午前0時20分、老衰のため、さいたま市中央区の自宅で死去した。101歳。葬儀・告別式は未定。しのぶ会の開催が検討されている。 東京外語大卒。戦時中、朝日新聞などで中国や東南アジアの従軍特派員を務めた。「負けた戦争を『勝った』と言い続け、うそばかりを書いていた。けじめをつけたい」と1945年の終戦時に朝日を退社。48年、秋田県横手市で「たいまつ」を創刊し、反戦・平和や農村、教育などをテーマに評論活動に取り組んだ。 78年に休刊後も講演や執筆で発言を続け、沖縄県内でも度々講演し、反戦を訴えた。2007年に那覇市で開催された講演会では「戦争が始まってから反戦を言うのではなく、戦争をやらせないことが大事だ」と強調した。 100歳となった昨年は記者会見で安全保障関連法案や安倍政権を批判。今年5月の憲法記念日、護憲集会に車いすで登壇し「憲法9条は70年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。道は間違っていない」と語ったのが公の場での最後の姿となった。著書に「詞集たいまつ」「たいまつ十六年」など。



戦争を体験した世代が、だんだんいなくなってしまう。
だからこそ、人生のぎりぎりまで、自分の魂をかけて、反戦を訴え続けたむのたけじさんの生き方、尊敬します。
魂の松明を燃やし続け、最後まで100歳を過ぎても、現役を貫いていた。

101歳大往生でした。本当にありがとうございました。


昨日の訃報と同時に、以前書いた記事に、アクセスがありました。

 →「そもそも総研」むのたけじさんのインタビューと、義父が大陸から持ちかえった写真のこと



ジャーナリストの皆さんは、後悔を引きずらないように、むのさんの志を引き継いでほしい。

繰り返しになりますが、映画「太陽の蓋」からスピンオフドラマ「報道の行方」です。


映画『太陽の蓋』スピンオフ第1話 報道の行方



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陛下のお気持ち 象徴天皇・摂政の否定・喪のあり方

2016年08月09日 | パワーな人々・パワーな本
天皇陛下、お気持ち表明 生前退位に強い思い

思えば「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれた天皇が、人間宣言をされ、戦後「国民の象徴」となった。
憲法に書かれたその言葉の重さを、もしかしたら日本でいや世界で一番、考え続けてきた、その方こそ、今上天皇ではないかと思いました。

天皇は国民の象徴でなければならない。

では、「象徴」とは?・・・戦前は、神だから、国を守るために古来の神事をとり行うお役目があった。
今も行事としてそれらは行われているのだろうが、一般にはわかりにくい祭式は、憲法に書かれた象徴とは程遠い、庶民とかけ離れた世界にあるもの。
天皇として務めてきたこれまでの28年間、国民の喜怒哀楽に寄り添える天皇であること、それが「象徴」としての天皇である、という事を身を持って示された。

気候変動や天変地異で、災害が増えて国内でも多くの場所で、被災者が生まれたが、天皇皇后両陛下は、必ずお二人で、被災者へのお見舞いをされ、傷ついた人々を励まされてきた。
また、第2次世界大戦で亡くなった多くの人々を慰霊するために、日本各地、世界の激戦地まで出向いて、追悼されてきた。

おそらく、国民とともに、国民に見える形で、国民を励まし祈り続けること。それが象徴としての天皇の役割だとお考えになったのではないだろうか。

陛下の負担を減らすために「摂政」を置きましょう、という意見も承知のうえで、「それは違う」というニュアンスで言われたのも、印象に残りました。

「象徴天皇」は、国民とともにあらねばならない。だとしたら、国民に寄り添うそれらの行動が年齢に伴いできなくなるなら、「象徴天皇」ではありえなくなる矛盾・・・それは、象徴天皇として、出来る限りのことをしてこられた陛下だからこその思いであり、自負であるのでしょうか。

そんな陛下だからこそ、昭和天皇崩御の際のご経験から、自分の終焉の際の儀式も、大仰にしてほしくなかったのでしょう。2ヶ月の殯(もがり)の行事、葬儀に関する行事も1年間続くといいます。
平安時代ならともかく、現代には現代の仕事もあり、残された家族もへとへとになる。
昭和天皇崩御の際は、テレビから色が消えたようになり、芸能人の結婚式やイベントが延期されたり、国内全体が自粛ムードに溢れ、そういう意味でも、ご自分のせいで、国民生活が停滞して欲しくない、という思いもあったのではないでしょうか。


「象徴天皇として、勤めを果たしてきた自負」
「摂政をおけば憲法に記された象徴天皇でなくなってしまう」
「喪のあり方」


陛下の言葉から、私は上の3つのことが心に残りました。
誠実に憲法を守ろうとするその姿勢にも感動しました。

未だ余力のあるうちに、おっしゃっておきたかったお気持ち、国民に直接伝えてくださってありがとうございました。


天皇陛下お気持ち全文→http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html



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僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、何より大切なこと by イチロー

2016年08月08日 | パワーな人々・パワーな本
イチロー三塁打で決めた!メジャー通算3000安打!史上30人目
イチロー 生みの苦しみに「これだけ長い時間は僕にとってのプレゼント」


天皇陛下のお気持ちのことも書きたいのですが、イチロー選手の快挙も書きたかったので。

折しも、オリンピックのメダリストたちに焦点が合わさって、彼らの家族もピックアップされて、家族や家庭の数だけ、それぞれの価値観があるもんだ、と思っていた矢先。

「人生は、敵に勝つことじゃない、自分に勝つことだ」

不思議人間が突然言ったりするので、そりゃそうだなあ、とも思っていた矢先。


「3000という数字より、僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大切なことだと改めて認識した」と語った。


自分との勝負をし続けるイチローのコメントは、パワーの発言だと思いました。
彼にとっては、数字は通過点にしか過ぎない、自分の生きている限り、自分への挑戦を続けているだけなんだと思いますが、応援してくれる人が喜んでくれる。それが自分の喜びにつながっている。

そうです、自分以外の他者へ思いが至ること。それは、パワーの人の証です。
なんでもないことのようですが、フォースの谷に落ちてしまうと、自分中心のあまり、それができなくなってしまうんです。
敵味方の対立構造では、いつまでたっても、平和は構築できません。





すでに、頭に白いものが混じっているイチロー選手の年月を思い、同じ時代に生き、喜びを共有できて幸せです。



★関連記事
 小国寡民・人々の無事を守る政治

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人の話をよく聞く人がいい・追記あり

2016年07月17日 | パワーな人々・パワーな本
聖徳太子は、文献によると、生きておられる頃は、厩戸皇子(うまやとのみこ)とも、あるいは、豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)とも呼ばれていたそうです。
彼には一度に10人の話をいっぺんに聞いたという、スーパーマン伝説もありますが、私は豊聡耳「とよと耳」とは、沢山の人の話をよく聞き、理解し、忘れずにいた人ではなかったか、と想像してしまいます。

聖徳太子の時代でも、政争も、多くあったろうけれど、十七条の憲法を作って、あの時代に、力ではなく、法律で世を治めるということを初めてした人ではないかと思う。

「和を以て貴しとなす」も有名です。これは今の自民党のように、「批判をいってはならない」という意味では決してないと感じます。
聖徳太子のように、「多くの人の話をよく聞き、理解し、忘れず、それぞれが少しずつ譲りあって、納得できる一点を探しだす」という意味じゃなかろうか。
「和を以て貴しとなす」、殺生を禁じた仏教を中心にして、日本の平和を作ろうとしたのではなかろうか、と思うわけです。

聖徳太子の時代から、幾時代かがありまして、茶色い戦争もあったし、冬の疾風も吹いたけど、為政者が民のことを顧みず独断専行する時代は、不幸な時代だったんだと思う。


ですからね、人の話をよく聞く、という都知事選に立候補された鳥越俊太郎さんの言葉に、私は好感を持ちました。





意識レベルの視点でも、鳥越さんには、強い愛のパワーのエネルギーがあります。




★スピリチュアルな追記

渡り鳥は、誰がリーダーというのではなく、全体で動いて渡りをします。魚の群れにおいて、それぞれの個体が細胞のように動いて、全体として一つの大きな塊として、うねりを作って泳ぎます。そこには、目には見えない力が働いており、全体が、その力に共鳴して、それぞれの役割を分担しながら変化しているのです。
今回の鳥越さんの出馬にも同じような感覚を持ちました。前述の記事のコメント欄にも書きましたが、
石田純一さん、元経産官僚の古賀茂明さん、弁護士の宇都宮健児さん、そして鳥越さん。
皆が、それぞれの役割があって、共鳴していたから、それぞれが一歩を踏み出し、変化を起こした。バラバラのようでいて実は、統一のあった一つの動き。出馬を巡る混乱ではなく、それぞれが共鳴しあって、バトンタッチしながら、大きなパワーのうねりを起こす。
人々を一つにする大きな力が、働いているためだと感じました。

こちらのブログ記事も参考になります
 →ONE FOR ALL, ALL FOR ONE(3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=) 

 
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菅前総理のドイツ「脱原発勇敢賞」受賞理由

2016年06月06日 | パワーな人々・パワーな本
今年4月末に菅直人善総理がドイツから贈られた「脱原発勇敢賞」に関して、マスコミはまったくと言っていいほどスルーしたけど。(日本の脱原発は、大手マスコミにおいては終わったことになってるの?)

賞は、シェーナウ電力会社から贈られたが、企画したのは、核兵器と原発に反対してきたプロテスタント教会だということだ。
読みながら、ドイツの市民の力と教会の力がバランスよくて、うらやましいなあと思いました。
日本では、仏教界の中に、脱原発を表明しているところもありましたが。
 →永平寺も脱原発

オルタナが記事にしてくれていたので、やや遅まきながらですが、ご紹介。




ドイツが菅元首相に「脱原発勇敢賞」を授与した理由
(オルタナニュース)

4月30日、菅直人元首相がフランクフルトで「脱原発勇敢賞」を受賞した。「2011年の東京電力福島第一原発事故の後、首相として、脱原発と再生可能エネルギーの推進を政治決断した」という理由からだ。挨拶をした菅元首相は、満場の客席から総立ちで鳴り止まぬ拍手に讃えられた。ドイツ人は、この賞を通じて日本人にどんなメッセージを伝えたかったのだろうか。(川崎陽子)

賞を企画したのは、長年にわたって「兵器とエネルギー、両方の核利用に反対する」と明確に表明してきたヘッセン州-ナッサウ・プロテスタント教会だ。

「日本人にとっては意外かもしれないが、ドイツには国家と教会の分離を規定し、かつ社会において両者の協力を推進する法体系があります」と、デトレフ・クノッヘ牧師。様々な市民グループとともに社会政策上の責任を引き受け、幅広く公共の議論に参加しながら築かれた協力関係の中から、「脱原発勇敢賞」も生まれた。

担当したヴォルフガング・ブッフ氏は菅氏の授賞の理由を「日本で分散型の代替エネルギー普及に尽力している多くの人々の代表として、首相の時に脱原発を決断したこと」と説明した。

「ドイツでは、東電の原発事故が政府の脱原発政策に直接影響した。一方、日本政府は過半数の国民の意思に反して、取り返しのつかない結果を招く原発の再稼動に賭けようとしている。それに対抗する菅氏を激励するという意味も込めた」という。

自らも「エネルギー大転換」に熱心に取り組んでいるフランクフルト市のペーター・フェルドマン市長は、要人の歓迎に使う旧市庁舎の「皇帝の間」を受賞式に提供した。招待状を受け取った人しか入れないが、約300人が壁際のベンチまで埋め尽くした。

菅氏に賞金1万ユーロ(約125万円)を贈ったシェーナウ電力会社(EWS)は、チェルノブイリ原発事故をきっかけに、小さな町の住民たちが大手電力会社と対抗すべく設立した。

原発や化石燃料による電力は供給しない。役員のゼバスチアン・スラーデク氏は、「菅氏に連帯の支援をしたい。EWSは、世界が共通の目的に向って進むことを目指している」と語った。

2002年に脱原発法を施行した政権で環境・原子炉安全相を務めたユーゲン・トリッティン議員からも祝辞があった。

「私たちはグローバルな『原子力ムラ』に見切りをつけねばならない。この賞は、政治権力を失う代償という勇気をもって日本の『原子力ムラ』に挑んだ闘士に対する私たちからの敬意のしるしです」。

菅氏は「人間の英知で核兵器と原発という二つの核を廃絶できるかどうかが今こそ問われています」と御礼の挨拶で述べ、原発ゼロの実現に全力を挙げると約束した。



緑色の字で示した部分。なんとなく、ドイツの配慮は、オバマ大統領にノーベル平和賞を授与した、オスロを思い出します。
核なき世界に向けて一歩を踏み出したオバマ大統領の就任して間もないうちの、中東の一触即発。
イラクの収束もままならないまま、イランでは核開発が進み、イスラエルおよび米英は次にはイラン攻撃も辞さない勢いだったとか。当時は、まだ軍産の勢い、ブッシュ政権の余韻が、残っていた時期でしたからね。
それらに「待った」をかけるべく、オバマ氏に「ノーベル平和賞」を授与し、アメリカ軍産の出鼻をくじいたオスロの選考委員会はグッドジョブだったと思います。
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞理由
パワーはパワーと共鳴するのだと改めて。



★関連サイト
 授賞式を終えて(菅直人公式ブログ)


★関連記事
 菅直人前総理にドイツ電力会社から「核エネルギー廃絶への勇気賞」授与
 近未来の選択、どちらを選ぶ?地球からのメッセージ
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オバマ大統領の広島演説

2016年05月28日 | パワーな人々・パワーな本



写真:東京新聞 2016年5月28日朝刊


しかし今日、広島の子供達は 平和な日々を生きています。
なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。
それを 全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。

未来において 広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、
私たちの 道義的な目覚めの地として 知られることでしょう。


(オバマ大統領広島演説より)


核兵器を含めてすべての武器や暴力的な事柄により、罪なき人々の命が奪われ続けてきたこと、武力ではなく忍耐強い外交で、問題を解決しなければならないこと、「戦争」を選択してはならないということがしみじみと伝わってくるような人類愛に根ざした力強い演説でした。

全文はこちらに→オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」(ハフポスト)

リアルタイムでずっと見ていましたが、特に後半の「平等」という言霊が心に入り込んでしまい、その後は、心が震え続けました。 この部分から、もう怒涛のなみだです。
    ↓
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。
すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。
しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。
努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。
すべての人がやっていくべきことです。
すべての人命は、かけがえのないものです。
私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。
これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。



「パワーかフォースか」219ページに、アメリカの独立宣言に関する項目があります。最初に「すべての人間は生まれながらにして平等である」ことが書かれているのですね。


「我々は、以下の真理を自明とする。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって一定不可譲の権利が与えられている。それらの権利は、生命の自由、幸福の追求である」723P


私たち人類がみな、誰もが平等で、生命の自由、幸福を追求する権利があるならば、罪なき人びとの命を奪いあう戦争など、してはならない、核の脅威におびえ続けることもしてはならない、ということなのです。

最後に、オバマ大統領の去った後、言葉をかわした二人の被爆者の方たちの、テレビに映っていた笑顔、おおらかで晴れやかな笑顔が忘れられません。横に座っていた田上長崎市長の見守るような穏やかな笑顔も良かった。
お二人のこの笑顔が出るまでに71年の歳月がかかったのですね。
その笑顔が見られたことだけでも、本当に良い1日だったなあと思いました。涙。


★関連記事
 オバマ大統領の涙
 米議会・テロ対策「拷問は誤り」と認める報告書を公表
 68年目の広島
 
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オバマ大統領広島訪問決定

2016年05月11日 | パワーな人々・パワーな本




オバマ大統領 広島訪問を日本政府に伝達

オバマ大統領の8年間、就任した8年前は、先は長いはずだったが、あまりにもあっという間だったようにも思えます。
本当は、あともう4年はやっていただきたいくらいです。

何をなしえて何ができなかったのか・・・
この時期でなければ来られない事情を鑑みても、「核なき世界」はまだ遠いけれど。
ある日突然、急激な変化が訪れることもあるから。

現職アメリカ大統領が被爆地に来る。それだけでも、大きな変化。
ややこしやの国のアメリカと日本。
オバマ大統領の気持ちが伝わってくるから 謝罪云々は抜きでいいですから
どうかその目でその心で、受け止めたことを
「核なき世界」を訴え続けてください。
これからも。


2009年は、事もあろうに、大統領の被爆地訪問を断っていたのは日本の外務省だったわけですが…なんでやねん 
      ↓
2009年、オバマ大統領の広島訪問を断っていた外務官僚

 
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ムヒカ氏の壮絶すぎる過去と日本の若者へ伝える言葉

2016年04月27日 | パワーな人々・パワーな本
少し遅れましたが、ホセ・ムヒカ氏来日の際の関連記事をメモのために。
まずは、東京新聞2016年4月8日の筆洗。

「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれたのは、南米ウルグアイの大統領を昨春まで務めたホセ・ムヒカさん(80)だ。もっとも、ご本人は「私は貧しいとは思っていない」と言っている▼ムヒカさんによれば、貧しい人とは、ぜいたくな暮らしを際限なく求め、欲の奴隷となって働き続ける人。逆に「質素でつましい生活をすれば、自分のしたいことをする時間が増える。それが自由だ」と話す▼自由。この人が語るこの言葉には特別な重みがある。彼は反政府勢力の幹部として捕らえられ、十数年間も獄中で過ごした。地面に穴を掘った独房に入れられ、一年余も体を洗えなかったこともあるという▼それは狂気と闘う日々だったという。ムヒカさんは口に石を含み、叫び出す衝動を抑えた。穴に入り込んでくるカエルやネズミとパンくずを分け合い、彼らを友とすることで孤独を癒やした▼そんな極限の生活を体験したからこそ、地球の資源を食い尽くすような大量生産・大量消費の虚構が見えたのだろう。初来日したムヒカさんは「私たちは多くの富を抱え、技術も進歩した時代に生きている。しかし私たちは幸せに生きているのか」と語り掛けた▼五年前の春、大震災と原発事故の不安の中で多くの人が「足るを知る」ことの大切さを感じたはずだ。それを忘れてはいまいかと、ムヒカさんは問い掛けているようにもみえる。



改めてムヒカ氏の知られざる過去を知り、驚いた。

繰り返しになりますが、上記一部編集して、抜粋します。

自由。
この人が語るこの言葉には特別な重みがある。
彼は反政府勢力の幹部として捕らえられ、十数年間も獄中で過ごした。
地面に穴を掘った独房に入れられ、一年余も体を洗えなかったこともあるという。
それは狂気と闘う日々だったという。
ムヒカさんは口に石を含み、叫び出す衝動を抑えた。
穴に入り込んでくるカエルやネズミとパンくずを分け合い、彼らを友とすることで孤独を癒やした。



口に石を含んで、叫び出したい衝撃を抑えるとは、なんと壮絶な状況だろう。彼の心情を思うと、生きながら地獄にいるような日々だ。
常人なら気が狂ってしまうようなその中でも、小さな命を友として、絶望から逃れた。辛くても苦しくても、どんなときにも小さな喜びを見出す、それは、彼が高いパワーの人である証しです。

テレビ番組でも、このようなことを述べていた。
「お金を使って、ミサイルを飛ばすなんて馬鹿げている。
 そのお金で、じゃがいもの苗を植えたら、飢えた人を助けられるではないか。」

当たり前のことをそのように、まっすぐに問いかけて、あっという間に帰って行かれた。


以下は、東京外語大学で、学生たちに語った言葉から。
ワイドショー化されたテレビ番組だけでは、彼の言葉の全部は、伝わってはいない。

「政治の放棄は少数者の支配を許すことにつながる」 ムヒカ・ウルグアイ前大統領 講演
東京新聞2016年4月9日

 来日中のウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカ氏が七日、東京外国語大(東京都府中市)で「日本人は本当に幸せですか?」をテーマに講演しました。講演の詳報と、学生との質疑応答を掲載します。

 

 今回、日本の文化や日本人の特性に触れ、強い感銘を受けた。東洋のドイツ人のようだ。秩序立てて物事を行う、驚くべき文化だと思う。日本という重要な国を知る機会を得たことを感謝している。

 世界を担っていく若い人たちに向けて話をしたい。私たち人間にとって最も重要なことは何か。生きていることだ。いろいろなことができるという意味で「生」は奇跡に等しい。しかし、気の向くままに生きるのと、人生を方向づけながら生きるのとは全く違う。自然は私たちに特権を与えた。社会にコミット(関与)し、何かをつくるという特権を。それが文明を築いてきた。これから来る世界を、今ある世界よりもより良いものにしよう、という意志を持とうではないか。

 この社会と向き合う上で、哲学、政治、倫理という価値体系が存在する。ところが、この社会を形づくる市場経済というものからは倫理、特に哲学が分離してしまった。市場によって、私たちは組織だった社会に生きるようになったが、それは人々に浪費を強いるシステムでもある。何かを買うために生きる。浪費し、消費することが不可欠な社会になってしまった。

 だが、お金で物を買っていると思うだろうが、実は自分の人生の一定の時間と引き換えているのだ。家族や子どもと過ごす時間を削って消費する。新しい物を、いい物を買うために、人生で一番大切なのは愛であるのに、愛情を注ぐ時間を浪費している。消費そのものを否定はしない。ただ、過剰はいけない。人生の原動力となる愛情を注ぐ時間を確保するために、節度が必要だ。

 人類の文明は、市場を伴って発達した。技術を手にして歴史を変えてきた。しかし、進歩の半面、負担をもたらした。今も加速度的に発達しているが、問題はそれを統治するすべがないことだ。リミッター(制限装置)をつけなければならない。幸せになることが人類の大義だとしたら、人類はまだ進歩の恩恵にあずかっていない。

 例えば近年、地球環境破壊を制限しようと京都議定書が結ばれたが、できなかった。海の汚染も止める手だてがない。今、世界では一分間に二百万ドルの軍事費が使われているというが、誰もそれを止められない。そして極めて少数の者に、世界の富が集中している。生産性が高まったけれども、分配の仕方が悪いので、社会的な弱者に恩恵が及ばないのだ。

 私は世間から「貧しい」と言われているが、私は決して貧しくない。質素を好むだけだ。浪費を見直し、それぞれが人生を見直すことが重要になってくる。市場に操られて生きているうちに、あなた方の自由な時間が失われてしまう。私の考えに同意しろとは言わない。自分にとって何が大切かを考えてほしいだけだ。

 人間にはエゴイズムというものがある。これは自分を守るためで、自然が与えてくれたもの。他方で、人間は世代間の連帯や協調で文明、文化、知識を築いてきた。教育によって、エゴにブレーキをかけられることも知っている。連帯や協調は、社会を変える力になることを学んだ。しかし、人間は神ではないので、社会は問題を抱える。それを政治で調整しようとする。

 この世界に紛争は必ずある。だからこそ、社会全体に心をくだくことが大切になる。「政治に関心がない」「政治は重要じゃない」と言う人がいるが、政治を放棄することは少数者による支配を許すことにつながる。人間に上下はない。男も女も同じ権利を持つ。公爵も伯爵もないのだ。

 民主主義には限界がある。それでも社会をよくするために闘わなければならない。皆さんのようにすばらしい大学で学んでいる者は、社会をよくするために闘わなければならない。最も重要なことは勝利することではなく、歩き続けること。何かを始める勇気を持つことだ。

 私たちはグローバル化した世界で生きている。その特徴は、金融資本が爆発的に大きくなっているということだ。国境がなくなり、人々が忙しく働く。生活を大きく変え、お金が重要で、そのための人生になっている。お金のために自分の人生をぶちこわしていいのか。そうした世界と若い人は闘わなければならない。

 私は多くの本を読み、世界を変えようと思ったが、変えられなかった。十年間以上、(政治犯として)刑務所に入った。つらかったが、いろいろなことを学び、大統領にもなった。後進のために道を耕すのが私の仕事。闘いは永遠に続くからだ。

 日本では若者が希望を持てないと聞いた。若い世代の投票率が30%程度だと聞いた。政治や社会を信じていないのだろう。それでも、信じられるようにしてほしい。不満を持つのはいいことだ。どうか同じ気持ちの人と何かを始めてほしい。生きるには希望が必要。そうでなければ人生なんて意味がないから。

◆貧乏とは、多くの物を必要とすること

 【学生との質疑応答】

 -若者に何ができるのか

 ムヒカ氏 消費主義に支配されてはいけない。もちろん、そう言うのは簡単だが、あれを買え、これを買えとせき立てられることに抗して、本当に必要な物だけを買おう。貧乏とは、多くの物を必要とすること、という言葉を覚えておいてほしい。

 -世界中が幸せになることは可能か

 ムヒカ氏 確かに私たちは神ではない。しかし、人生のある地点で立ち止まり、自分を幸せにすることを見つけ、自分と関わる他の人を幸せにしてほしい。世界変革は大変なことだが、努力すれば今までと同じということはない。

 -テレビと政治の関係についてどう思うか

 ムヒカ氏 テレビが映し出す世界だけが、見る人にとっての世界になっている、という点で非常に影響力がある。しかし、情報は人がつくるもの。世界を分析し、テレビが扱わないことを人々に伝える努力を続けてほしい。

 -愛ゆえに闘争するのが人間ではないのか

 ムヒカ氏 恋人や家族のために闘うのは大切なことだ。だからといってそれ以外の他人のために何もできないということはない。私たち夫婦には子どもはいないが、他の子どもたちのために学校をつくり、育てた。彼らは私たちの子どもだ。

◆軍政に抵抗 投獄4回

 ウルグアイはブラジルとアルゼンチンに囲まれた南米の小国。人口は約340万人で白人が9割を占める。面積は日本の半分ほどで農業や牧畜業が主要な産業となっている。2014年の1人当たりの国民総所得(GNI)は1万6360ドル。
 スペインや英国、アルゼンチンなどの領有を経て1825年に独立。1917年に中南米で最も早く議会制民主主義を確立したが、60年代初期には独裁政権が支配し、73年には軍部が台頭して議会が閉鎖され、軍政に移行した。
 独裁政権に反抗するゲリラ組織に参加していたホセ・ムヒカ氏は4回も投獄された。最後の投獄は72年から軍政が終わる85年まで13年間に及んだ。
 在留邦人は約340人で、日系企業約20社が現地に進出。サッカーの強豪国として知られ、ワールドカップ(W杯)では30年の第1回、50年の第4回大会で優勝した。
 麻薬密売組織を弱体化させるため、2013年に国としては世界で初めて大麻の栽培や売買を合法化する法律を可決した



こちらは、社会面から

「社会を良くするため若者は戦え」 ムヒカ前大統領が東京外大で講演
東京新聞2016年4月8日
 来日中の「世界で一番貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が七日、東京外国語大学(東京都府中市)で講演し、約三百人の学生と交流した。
 講演のテーマは「日本人は本当に幸せですか」。最も重要なのは「より良く生きること」とし、そのためには「過剰な消費生活を見直し、市場にすべてを任せない節度が求められる」と説いた。
 日本の若者の投票率の低さを例に「民主主義には限界があるが、社会を良くするために君たち若者は戦わなければならない」と語った。最後に「貧困は、過剰に物を求めることから生じる。私は貧乏なのではなく、質素が好きなだけ」と持論を展開。「エゴイズムにブレーキをかけ、世界の人々と共に助け合おう」と呼び掛けた。
 講演後、学生から「全世界を幸せにすることは可能か」「どんな学生時代を送るべきか」などの質問があった。ムヒカ氏が「世界変革は難しいが、自分を幸せにし、他の人も幸せにする。勇気を持ってそれを続けてほしい」と答えると、大きな拍手が送られた。



★関連記事
 歓迎!ムヒカ善大統領初来日
(ムヒカ氏は、日本の安保法制について「日本が先走って大きな過ちを犯していると思う」と批判した。)
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歓迎!ムヒカ善大統領初来日

2016年04月07日 | パワーな人々・パワーな本
メモのために。
読みながら、嬉しさで心が震えるというか・・・リーダーが違うと、国のめざす方向も全く違う向きになるのだなとしみじみ思いました。
世界中の政治家や指導者らが、ムヒカ氏のような人だったら、一瞬にして平和は訪れるのだろうと思います。






「軍事費の無駄を貧困や環境に」 「世界一貧しい」前大統領・ムヒカ氏
(東京新聞2016年4月7日)

◆安保法「大きな過ち」

 「世界で一番貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が初来日した。ムヒカ氏は六日、東京都内で一部メディアの取材に応じ、日本政府が憲法解釈を変更し、他国を武力で守ることを可能にした安全保障関連法を制定したことについて「日本が先走って大きな過ちを犯していると思う」と批判した。

 ムヒカ氏は先立つ記者会見でも「いまだに人類は先史時代を生きている。戦争を放棄する時が来たら、初めてそこから脱却できる」と指摘。「私たちには戦争を終わらせる義務がある。それは世界の若者が完成させなければならない大義であり、可能なことだ」と訴えた。

 ムヒカ氏は、世界で使われている膨大な軍事費について「軍備の拡張は世界的に大きな問題であり、経済的な観点からも非常に深刻なことだ」と憂慮。「軍事費で無駄遣いされているお金を貧困や環境問題の解決に使うべきだ」と述べた。

 また五十四年ぶりに国交を回復した米国とキューバによる交渉の裏で、オバマ米大統領のメッセージをキューバのラウル・カストロ国家評議会議長に託したエピソードを明かし、「私たちは平和に導くような解決策を模索しなければならない」と和解の大切さを訴えた。
 来日に際し、被爆地・広島を訪れることを自ら決めたというムヒカ氏は「広島には世界で起きた最も大きな悲劇の記録がある。人類がいかに残虐なことをできるのかが見えてくると思う。日本に来て広島を訪れないのは日本国民の皆さんに対して敬意に欠けるのではないか」と述べた。


◆幸せ追求 日本で絵本に

 ムヒカ前大統領が「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるようになったきっかけは、大統領在任中の二〇一二年にブラジルで開催された「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で行った演説だ。
 「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に多くを必要とし、もっともっとと欲しがることです」「乗り越えなければならないのは私たちの文明のモデルであり、見直すべきは私たちの生き方なのです」。ムヒカ氏は居並ぶ各国首脳を前に、大量消費社会やグローバリズムを批判し、世界の注目を集めた。演説は、日本でも子ども向けの絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文社)にまとめられた。
 「質素な生活は自分のやりたいことをする時間が増える。それが自由だ」。六日、報道陣の前に姿を見せたムヒカ氏は青いシャツにデニム、こげ茶色のブルゾン姿。ノーネクタイは大統領任期中も含め貫徹している。公邸には住まず、報酬の九割を慈善団体に寄付。現在も首都郊外の自宅で畑を耕しながら上院議員の妻と二人で暮らす。
 戦争やテロ、貧困や格差、気候変動や環境汚染などに関して、説くように持論を語ったムヒカ氏。「もはや一国で解決できる問題ではない。世界的な政治的決断が求められているにもかかわらず、私たちはそれを下せずにいる」
 何かを追い求め続けることに束縛され、本当の幸せとは何かを見失ってはいないか。ムヒカ氏は問い掛ける。「世界は多くの富を抱え、技術も進歩した。しかし、資本主義は盲目で、だれもそれをとめることはできない。それが資本主義の『美しき悲劇』だ。私たちは幸せに生きているのだろうか」 (近藤晶)

 <ホセ・ムヒカ氏> 1935年、ウルグアイの首都モンテビデオ郊外の貧しい家庭に生まれた。10代から政治活動を始め、60年代初期に当時の独裁政権に対抗するゲリラ組織に参加。投獄は4回、72年の最後の投獄は約13年間に及んだ。94年に下院議員に選出。農牧・水産相を経て、2010年に大統領に就任。13、14年にノーベル平和賞にノミネートされた。15年、任期満了で大統領を退任した。



★追記
コメ欄で教えていただきました。ミキコさん、いつもありがとうございます。(#^.^#)

フジテレビで放送されます。
午後7時から2時間枠で“世界でいちばん貧しい大統領ムヒカ来日緊急特番
~日本人は本当に幸せですか?~4月8日



★関連記事
 やればできる・再生エネ95%のウルグアイに学べ
 「貧乏とは無限の欲がある人のこと」byムヒカ前大統領
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追悼・埴沙萠(はに・しゃぼう)さん

2016年03月21日 | パワーな人々・パワーな本
いつも楽しそうな笑顔のウルグアイのムヒカ善大統領のことを思っていたら、ふと、植物カメラマンの埴沙萠さんの面影がかぶってきた。
「森のファンタジー」の記事にある、YouTubeのキノコの動画を見てから、久しぶりに埴沙萠(はに・しゃぼう)さんのHPを覗いたら・・・
まさか・・・。この2月末に、あちらの世界へ旅立たれていたのでした。知らなかった。

かつて急速に広まる身近な化学物質に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」という言葉を残しています。
「センス・オブ・ワンダー」とは、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」であり、彼女は、人々に、その子どものころに持っていた感性をいつまでも失わないで欲しいと願っていました。





埴沙萠さんは、NHKの番組ではじめて知ったのですが、植物カメラマンとして、里山の植物を楽しそうに愛おしそうに撮影されている姿を見ながら、こちらも心が幸せで満たされたというか・・・、まさにセンス・オブ・ワンダーの第一人者だなって勝手ながら思っていました。
また一人、大切な人を失ってしまった感じです。

でも、HPの日記には、こんな素敵な言葉がありました。

<彼岸もこれまた一楽>
       
私、埴沙萠は85年住み慣れた娑婆を後にして、2月23日にこちらの岸へとやってき
ました。途中三途の川の渡しで、船頭をやっていた赤鬼青鬼と仲良くなって、いま
河原で酒盛りをはじめたところです。
鬼たちは、ちょっと見はコワモテですが、意外と気が小さくて「最近は渡し賃を値
切る亡者がいて」なんてぼやいています。

あれっ、いま閻魔さんからメールがきました。なんでも針の山のようなシャボテン
公園を作って欲しいとのことです。はっはっ、彼岸もこれまた一楽です。

一足お先にこちらの岸にやってきましたが、みなさんもそのうちこちらにお越しの
際は、ぜひ埴沙萠をお訪ねください。一献やりましょう。お待ちしております。


2016/02/29




そうだった。埴沙萠さんの写真は、最初の頃の飯田史彦さんの「生きがいの創造」シリーズの表紙にいつも使われていた。
きっと、埴沙萠さんも奥様も、生きがいシリーズを、読んでいらっしゃったに違いない。


虹色のニット帽がお似合いでした。お彼岸の日の彼岸もまた、楽しそうだな。
ご冥福をお祈りします。 


★関連記事
 足元の宇宙・埴沙萠(はにしゃぼう)さんの世界
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