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死んでも生き返る?

2006年12月05日 | 
近頃気になることがあります。「死んでも生き返る」と思ってるこどもと、「来世があるから、自殺しても来世で幸せになる」と思ってるこどもが、案外多いとあちこちから聞くようになりました。
前者に関して、よくコメントを書いてくださいます非戦さんの日記にまた、驚くような数字が書かれていました。
法事のときのお坊さんのお話だそうです。 以下、線内に原文一部を抜粋させていただきました。

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法要のあと、お坊さんが「死んでも生き返ると考えている人は?と小学6年生、33人に聞きました。そのうち何人が生き返ると答えたでしょう?」と参列者に聞きました。
結構いるんだな、とは思いましたが、何人だろう?私は、6人から10人のところで手を上げました。
と、と、ところが、28人ですって!、

信じられません。だって、小6くらいなら、サンタさんもいるとはもう信じていない年でしょう。

佐世保で同級生を殺した女の子が、「(殺した)友達に悪いことをした。かわいそうなことをした。謝りたい。」と言いました。でもそのあとに「その(死んだ)友達が生き返ったら、謝りたいので、教えてね。」と言ったそうです。


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■今の体は1回きりしか使えない。

33人中28人っていいますと、死んだら生き返ることはないのだと理解してる子が、たった5人しかいないってことですよね。私も、この数字に愕然としてしまいました。12歳ですから、人生経験は少ないとはいえ、ペットも飼ったことがあるだろうに・・・本当に死に関して、実体験がないということなのでしょう。
その上、亡くなった人が数日間、生きているときと同じように蘇って再会するという設定の映画やドラマが大ヒットしたりしています。
しかし、大人は、これは現代のファンタジーなんだと理解しながら見ていたでしょうし、非戦さんも書かれているように、子どもでも12歳ともなれば、理解できる年齢のはずですよね。
ちょっと不安に感じたのは、ファンタジーをファンタジーとして受け入れることの出来る力が、養われていないんじゃないかということです。

私自身の未熟な子育ての経験からしても、子どもは3~4歳くらいまでは、テレビのヒーローが実在すると信じていました。(現実とお話の境目がない幸福な日々でもあると思いますが)しかし、体の成長と共に、実体験をつみながら現実とバーチャルが違うものであるという理解を深めていきました。
たとえ核家族であったとしても、ちょっと前までは、子ども自身が小動物や昆虫などを飼ったりして、命の愛しさやはかなさを知らないうちに感じていたんじゃないかと思います。うちの息子も、幼いうちにすでに金魚や小鳥やカブトムシなどたくさんのかわいがっていた生き物の死に直面して、何度も何度も泣きながら、いろいろなことを学ばせてもらっていたと思います。

12歳なら、親からしてテレビゲームになじんでいる世代も含まれているでしょうし、生まれたときからゲームは身近にあったことと思います。だとしたら、バーチャルな世界ばかりに偏ってしまった結果なのでしょうか・・・どこかの部分が欠落してしまったのではないかと思ったりもして・・・私の心配しすぎだったらいいのですが。

ただし、肉体はなくなっても魂はなくならないと、私も感じていますから、一方的に彼らの気持ちを否定はしませんが、これだけは、子どもたちに言わないといけませんね。亡くなったおばあちゃんには、夢の中では会えても、リアルな現実では、もう会えないのです。
(魂となってそばに来てくれることはありますが。またその際、あなたにメッセージを伝えてくれるとしても、あなたを困らせるようなことは言いません。魂になるとみな喜怒哀楽の怒りと哀しみが取れて、喜と楽になってしまうからだそうですよ。
だからご先祖が困ってるから、お墓を直せ、仏壇直せ、この壺を買え、このご本尊を拝めと言ってくる人たちにだまされないようにしてくださいね。)

魂はなくならないけれど、今の体は、今の生、一回きりしか使えません。
体は魂の乗り物だから、体がなくなったら、もう今と同じ生活は2度と出来ないんですよ。だからこそ、今の自分の体を大切にしなくてはね。

■自殺したら、自分の後悔で魂のふるさとに帰りにくくなる、人生から逃げてもまた同じ試練が・・・

それから、もうひとつのびっくりしたこと、「来世があるから自殺してもいい」といっている人たちにも、お伝えしなくてはなりません。
これに関しては、書き出すとちょっと長くなりそうなので、明日かあさってか、しあさってくらいに、もう一度記事にまとめますね。
なお、上記、赤見出しは、私の人生に対する見方を変えたといってもいい飯田史彦さんの著書「生きがいの創造Ⅱ」に書かれていたことです。(続く)

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子供たちへの素敵なメッセージ (わんにゃん)
2006-12-06 09:21:38
金木犀さん、

子供たちへ、そして心が傷ついている大人たちへの、
素敵なメッセージをありがとうございます。

よく子供が自殺すると、その学校の校長先生などが
「子供たちに命の大切さの話をしました」と言います。
どんな話をされているのでしょう。
金木犀さんのように、校長先生や担任の先生は話されて
いるのでしょうか。言葉が相手に届かなければいけませんよね。

金木犀さんが言われるように、亡くなった人と魂は通わせることはできても、実際の手に触れる、顔を見る、一緒に今までと同じ生活をすることはできないし、その体は一回きりのものです。

死にたい」と言っている人は、「生きたい」と言っていることの裏返しだと聞いたことがあります。「本当は(幸福に)生きたい。でも生きられないくらい、苦しい」というのが自殺する人の本心でしょうね。それだけに、その気持ちを考えると、かわいそうです。でも、死なないでください。家族、友達などがどんなに悲しむか。親しい人に死なれた人は、それを自分のせいにして、苦しむんですよ。そして、永遠にこの世で会えないことを悲しみます。絶対に生き返ることなんてないのですから。

金木犀さん、続きを楽しみにしています。
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生き返りですか。 (cake)
2006-12-06 18:01:17
北九州市では、大人でさえ蘇生信仰を信じて、遺体を放置した事件が繰り返されています。
子供達は、TVやゲームの影響を受けて、人生にリセットをしても生き返るだの、生まれ変わるだのと信じています。
自分の生活の身近な所に、「死」が無くなったからと、昔のように必死に生きなければならないと思う事がなくなったからでしょう。

自殺の数からすると、アフリカには少なく、先進国で多いそうですね。与えられた命を粗末にするなんて、生きたくても生きられない子供達に、恥ずかしくないのでしょうか。人間は生かされている事を忘れてはなりません。
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わんにゃんさんへ (金木犀)
2006-12-06 22:38:20
小学校のころ、国語の教科書に載っていた詩に、一言、「神に祈る」というような言葉があったのです。作者は、キリスト教徒だったのだと思います。
担任は本来中学の社会の教師だったのですが、なぜか小学生を教えていて、私たちに、「この詩は、神という言葉が出てくるから、だめな詩である」と一言言って、飛ばしてしまいました。
子供心に私はこの教師の判断はおかしいと思いました。
右でも左でも、どちらも行き過ぎはいけませんよね。
反面、大人になっても忘れられない、大好きな先生もいます。教師もいろいろですね。
返信する
cakeさんへ (金木犀)
2006-12-06 22:58:26
>北九州市では、大人でさえ蘇生信仰を信じて、遺体を放置した事件が繰り返されています。

そういえばそのようなニュースがありましたね。
「定説です」と、繰り返すグルもいました。
なぜ人はこんなに簡単にだまされるのでしょう。
人の弱みに付け込んで、だます人たちが許せません。

>子供達は、TVやゲームの影響を受けて、人生にリセットをしても生き返るだの、生まれ変わるだのと信じています

そうですね。
ある程度成長してから、ゲームに触れた人と、物心ついたときから、身近にゲームがあった今の子どもたちとでは、ゲームの与える影響は格段に違うと思います。大人もゲーム機に子守をさせてしまったところもないでしょうか。今の時代、子どもにゲームを与えないという選択をするのは、けっこうエネルギーが要ります。回りと違うと仲間はずれにされるかもと、親は安易にゲームを買い与えてしまいますが、ちょっと待って!と言いたいです。

>人間は生かされている事を忘れてはなりません。

自分ひとりで生きてる人なんていませんよね。誰かに支えてもらって、誰かを支えて、お互いに生かされているんですものね。命は自分だけのものじゃなくて、自分を支えてくれる人、自分が支えている人、にも関わっているのだと気がついてほしいです。
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