世の中を変えるのは、政治というより、国民の意志なんですよね。
選挙制度に問題があるとはいえ、圧倒的に自民党を勝たせてしまったのは、やはり国民が選んだことだから。
年末で忙しいし、決算もあるし、もう少し景気が上向かないかなあ・・・なんて、本当に軽い気持ちで自民党の名前を書いてしまった人も多いのだろうけれど。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、忘れていいこともあるだろうけれど、忘れてはいけないこともあるのだよ。
自民党の安倍総裁は、必ず起こると言われている南海トラフ大地震で32万人の死者が予想される地震国日本の原発を維持し続け、戦後60数年、戦争で一人も人を殺さなかった世界に誇れる平和憲法を変えると公言している。
本当は、多くの日本人はそんな日本を望んでいるわけじゃないと思うのに、これが、小選挙区制の怖さなのか。
選挙が終わったら、今まで書こうと思いつつ後回しにしていたことなど、ぼちぼち、ひっそりとブログに書いてゆこうと思っているのですが、やはり、このニュースだけは、私はアップしておきたいのです。しつこいけど(笑)・・菅さんのこと。
菅前首相「重い1議席」 薄氷復活(東京新聞)
小選挙区敗北も比例で復活した東京18区の前首相、菅直人さん(66)は十七日午前三時半すぎ、東京都府中市にある選挙事務所に姿を現した。拍手で迎える支持者らと握手を交わす手が震えていた。
勝利のバンザイはなし。紅潮した顔でかれた声を絞り出す。「原発ゼロを実現しろ、頑張れというみなさまの執念で最後の最後に押し上げてもらった。この一議席はこれまで以上に重いと感じる」
小選挙区の苦杯には「総理という立場で期待外れがあった」と自らの力不足を認め、頭を下げた。
マニフェストを貫徹できず党分裂を招いた党幹部としての責任、当時の首相として福島原発事故対応の不備。二重の批判がのしかかり、選挙戦は序盤から強い逆風が吹いた。
「一票差でも勝てばいい」とたびたび語る姿に悲壮感が漂い、過去十回連続当選の余裕はなかった。他候補の応援を封印し、五分刻みのミニ演説を一日三十回以上。駅頭や商店街から路地裏まで足を延ばし、少数の聴衆にも熱く語りかける「どぶ板選挙」を展開した。市民運動家から、政治家を志した当時の「原点に返った」とも。
訴えは「原発ゼロ」一本。首相として直面した福島原発事故当時の経過や思いを自分の言葉で伝え、脱原発を「私の使命」「党の先頭に立つ」と語った。終盤、原発反対派や若い子育て世代に支持を広げたことが復活当選につながった。
最後に「私は脱原発の語り部となる。同時に若いリーダーを育て、新たな政権を担える政党にするための手伝いをしたい」と誓っていた。
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逆風の中、菅さんには、厳しい選挙戦だった。
与党になる前の野党時代、菅さんのサイトに何度かメール投稿したことがあるけれど、久しぶり、当選のお祝いメールを送りました。
交通事故までオマケについてきて、試練は続いているけれど。
私は脱原発の語り部となる
この一言、すごいなと思った。脱原発の火は、消えない。消さない。
短い間だったけれど、再生可能エネルギー特別措置法や原子力規制委員会の設置などの布石もうっていた。
菅さんの言葉は、いつでもどんな時でも、あきらめないで、前を向いているのが好き。
そして、頭を切り替え、次の展開に持っていく素早さも。
逆境上等。ぼろぼろの逆境の中でこそ、信念は鍛えられる。
菅さんのブログによると、480人の全当選者のうち476人目だった、のだと。
残念だったのは、福田衣里子さんなど、期待していた女性議員たちがいなくなってしまったこと。
しかし、パワーは決して終わることはないのだから、どんな場所でもどんな立場でも光り続けることはできる。きっと次があるから。
(ただ、その時は間違っても、「断髪式」なんてあほなことはせんといてな)
選挙制度に問題があるとはいえ、圧倒的に自民党を勝たせてしまったのは、やはり国民が選んだことだから。
年末で忙しいし、決算もあるし、もう少し景気が上向かないかなあ・・・なんて、本当に軽い気持ちで自民党の名前を書いてしまった人も多いのだろうけれど。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、忘れていいこともあるだろうけれど、忘れてはいけないこともあるのだよ。
自民党の安倍総裁は、必ず起こると言われている南海トラフ大地震で32万人の死者が予想される地震国日本の原発を維持し続け、戦後60数年、戦争で一人も人を殺さなかった世界に誇れる平和憲法を変えると公言している。
本当は、多くの日本人はそんな日本を望んでいるわけじゃないと思うのに、これが、小選挙区制の怖さなのか。
選挙が終わったら、今まで書こうと思いつつ後回しにしていたことなど、ぼちぼち、ひっそりとブログに書いてゆこうと思っているのですが、やはり、このニュースだけは、私はアップしておきたいのです。しつこいけど(笑)・・菅さんのこと。
菅前首相「重い1議席」 薄氷復活(東京新聞)
小選挙区敗北も比例で復活した東京18区の前首相、菅直人さん(66)は十七日午前三時半すぎ、東京都府中市にある選挙事務所に姿を現した。拍手で迎える支持者らと握手を交わす手が震えていた。
勝利のバンザイはなし。紅潮した顔でかれた声を絞り出す。「原発ゼロを実現しろ、頑張れというみなさまの執念で最後の最後に押し上げてもらった。この一議席はこれまで以上に重いと感じる」
小選挙区の苦杯には「総理という立場で期待外れがあった」と自らの力不足を認め、頭を下げた。
マニフェストを貫徹できず党分裂を招いた党幹部としての責任、当時の首相として福島原発事故対応の不備。二重の批判がのしかかり、選挙戦は序盤から強い逆風が吹いた。
「一票差でも勝てばいい」とたびたび語る姿に悲壮感が漂い、過去十回連続当選の余裕はなかった。他候補の応援を封印し、五分刻みのミニ演説を一日三十回以上。駅頭や商店街から路地裏まで足を延ばし、少数の聴衆にも熱く語りかける「どぶ板選挙」を展開した。市民運動家から、政治家を志した当時の「原点に返った」とも。
訴えは「原発ゼロ」一本。首相として直面した福島原発事故当時の経過や思いを自分の言葉で伝え、脱原発を「私の使命」「党の先頭に立つ」と語った。終盤、原発反対派や若い子育て世代に支持を広げたことが復活当選につながった。
最後に「私は脱原発の語り部となる。同時に若いリーダーを育て、新たな政権を担える政党にするための手伝いをしたい」と誓っていた。
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逆風の中、菅さんには、厳しい選挙戦だった。
与党になる前の野党時代、菅さんのサイトに何度かメール投稿したことがあるけれど、久しぶり、当選のお祝いメールを送りました。
交通事故までオマケについてきて、試練は続いているけれど。
私は脱原発の語り部となる
この一言、すごいなと思った。脱原発の火は、消えない。消さない。
短い間だったけれど、再生可能エネルギー特別措置法や原子力規制委員会の設置などの布石もうっていた。
菅さんの言葉は、いつでもどんな時でも、あきらめないで、前を向いているのが好き。
そして、頭を切り替え、次の展開に持っていく素早さも。
逆境上等。ぼろぼろの逆境の中でこそ、信念は鍛えられる。
菅さんのブログによると、480人の全当選者のうち476人目だった、のだと。
残念だったのは、福田衣里子さんなど、期待していた女性議員たちがいなくなってしまったこと。
しかし、パワーは決して終わることはないのだから、どんな場所でもどんな立場でも光り続けることはできる。きっと次があるから。
(ただ、その時は間違っても、「断髪式」なんてあほなことはせんといてな)