福島第一原発、事故が発生してからの福島原発周辺の人々の避難状況は、悲惨だった。
津波や地震にも耐えた家を離れ、もうふるさとには帰れなくなった人たち、放置され餓死していった牛などの家畜や動物たち、思い出すとかわいそうで胸が苦しくなる。原発は、自然災害の延長線にある深刻な人災となるリスクがある。
もう二度と同じ事を繰り返してはいけないと思う。
能登半島の先端の珠洲市(すずし)で、珠洲原発建設の反対運動が起こり、珠洲原発ができなかったのは、本当に不幸中の幸いでした。
22日の東京新聞。反対運動の中心的存在だった僧侶・塚本真如(まこと)さん(78)が語った。
珠洲(すず)原発計画 関西と中部、北陸の電力3社が1976年に構想を発表した。関電が高屋地区に、中部電が寺家(じけ)地区にそれぞれ100万キロワット級の大型原発を建てる計画だったが、住民らが反対運動を展開。電力需要の伸び悩みもあり、2003年に凍結された。
(記事抜粋)
◆仏様は無事だったが、集落につながる道はすべて土砂崩れ
高屋地区で代々続く円龍寺(真宗大谷派)の20代目住職である塚本さんは1日午後4時すぎ、自宅の居間で最初の揺れを感じた。本尊の様子が気になり、居間とつながる本堂へ向かった。「仏様は無事やな」。ホッとした直後に本震が起きた。すぐ戻ると、居間が崩れていた。下敷きになった妻の詠子さんを助け出せたが、足には大けがを負っていた。
車庫もつぶれて車が出せない。本堂も傾いていた。「ここにおったら危ない」。2人で家を出た。
100人ほどが暮らす高屋地区は平地が少なく、住宅は海岸線と急斜面の山との間に並ぶ。集落に通じる道は3方向あるが、すべて土砂崩れで断絶。海岸線は数メートル隆起し、船も出入りできない状況になった。
大半の家屋は倒壊。無事な家や、避難所となるはずの集会所は土砂崩れに巻き込まれる恐れがあり、住民の多くは車中泊を選び、約20台の車列ができた。塚本さんも知人の小型車の中で、大人4人で過ごした。
◆電気もガスも、電話もネットもダメ
住民で食料を分け合った。水は地下水を確保したが、「電気やガスはダメ、ガソリンは足りない。電話もネットもほぼ使えない。情報が何もなかった」。割れた瓦で港に「SOS」を作る住民もいた。
3日になってドクターヘリが到着。詠子さんと、妊婦が病院へと運ばれたが、塚本さんらの車中泊は続く。7日に山側の道が復旧し、高屋地区は石川県の孤立集落リストから外れた。しかし、実際に通れたのは、車高の高い自衛隊車両のみ。10日に自衛隊が一般車も通れるよう道を整備し、11日には大半の住民が避難を決意。塚本さんも知人の車で金沢市内に向かい、2次避難先に指定された同県加賀市のホテルに着いた時には12日になっていた。
もし高屋に原発が造られていたらー。塚本さんは揺るぎない口調で語った。「もっと悲惨な状況になっていたやろうな、としか言いようがない。止めて本当に良かった」
◆地盤隆起で配管損傷→原発冷却不能の可能性も
原発の避難計画に詳しい環境経済研究所の上岡直見代表は「今回の地震で珠洲原発予定地は地盤が数メートル隆起した。原発があったら、配管などが壊れて冷却が全くできず大事故となり、逃げられない住民は福島原発事故以上に被ばくした可能性は否定はできない」との見方を示す。
孤立集落が相次いだ能登のように国内には半島に位置する原発も多く「四国の伊方原発が象徴的だが、住民避難の観点でもリスクが大きい」と強調。「屋内退避など指針の前提も崩れた。真剣に避難を考えるほど、原発は動かせないという結論になる」
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自然災害によって、半島で原発が事故を起こしたら、海ルートも山ルートも閉ざされて逃げられないし、家が壊れれば屋内避難もできない。
今回、ひどい災害に遭ったとはいえ、塚本さんやご家族の生命のご無事は何よりだったと思います。
しかし、もしそこに原発があると、二次災害、三次災害の可能性が出てきます。
特に、記事にもありますが四国の伊方原発。半島の原発は、いの一番に考え直すべきと思います。
2030年代、原発ゼロ
安倍政権からこっち白紙撤回されてしまったけれど、民主党政権時代に決めたこと、もう一度2011年の教訓を思い出しましょう。