桜の涙
2008年04月02日 | 魂
桜を見るとただうれしいだけの頃もありましたが、少しだけ長く生きてくると、桜に寄せる思いもちょっと複雑になってきます。
1年に一度、区切りのように華やかに咲いて散る花に、多分、人の生死を重ねてしまうからでしょう。
病院の窓辺に桜の花が見えるのにあの人の病室からは見えないんだよとか・・・もう少しだったのに最期の桜の季節に間に合わずにいってしまった人とか・・・あの時、たった一度だけいっしょに桜を見た人とか・・・先に旅立っていった人たちの顔が何人も浮かんでくるのです。
もう20年も前、「死のうと思った」と、修羅から逃げてきた人と大きな公園へ桜を見に行きました。花びらが地面の上でくるくると風に舞い、きれいだった。持ってきたお弁当に花びらが落ちてきて、荒らぶる心が、静まってゆくのを感じました。
先日、せつない別れの話を知りました。
知り合いの甥っ子さんの話です。20代の彼は、某地方都市で営業の仕事をしていました。大企業には、好景気というけれど、地方にはまったく実感のわかない現実、ノルマに追われて休みもなく働いて。
実家は田舎にありました。今年のお正月に帰ってきたとき、あまりに顔色が悪いので、母親は「お医者さんに行きなさい」と、何度も言ったそうです。
息子は、「大丈夫だよ」と言い残し、戻っていきました。
3月。彼はひとりで、自室で亡くなっていました。
桜の花びらがあっけなく落ちるように。
残されたお母さんの気持ちを考えると、かけるべき言葉もみつかりません。
この話をしてくれた知り合いは、たまたま飯田史彦さんの本を読んでいる最中でした。もう少し落ち着いたら、母親の家に飯田史彦さんの本を置いてくると言っていました。
今「たまたま」と書きましたが、これは偶然ではないのかもしれませんね。
【追記】
若い皆さんへ
つらかったら、その場所から離れてください。
親より先に死んでは絶対にだめです。
★トップの桜は、「SozaiRoom.com」さんよりお借りしました。