虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

菅前首相に聞く一問一答(東京新聞より)

2011年09月09日 | 脱原発

9月6日の東京新聞の菅総理への一問一答は、残念ながらウェブ版には、出ていなかった。
なので、個人的なメモのために、ここに記しておくことにしました。
ご自由に拡散してください・・・東京新聞に叱られなければ(笑)

東京が無人になる… 菅前首相に聞く
2011年9月6日

菅直人前首相が本紙の単独インタビューに応じ、福島第一原発の事故発生当初の自身の動きや危機感、「脱原発依存」宣言に至る背景などを語った。一問一答は次の通り。 (聞き手=加古陽治、宮尾幹成)

  ●不信

 - 第一原発が大変なことになると、最初に感じたのはいつか。

「最初の最初だ。電源が喪失し、冷却ができない。それが何を意味するかわかっているから『こりゃ大変なことだ』と思った。
「まず電源というんで、電源車を持って行けと。初めはヘリコプターで運ぼうと思って、重さとか寸法を測ったらどうしても運べない。陸路でかき集めた電源車を持っていき、つなごうと思ったらつながらない。ポンプで水を入れようと思ったらホースが届かない。ずーっとそういう状況に追われていた」

 - その中でなかなか正確な状況を把握できない。

「きちんとした報告が入ってこない。水素爆発もそうだ。『格納容器は窒素で満たされているから、水素爆発なんてありえない』と、原子力安全委員会は言っていた。それがドーンとなった」

 - ヘリで現地に行ったのは、そういうじれったい状況をなんとか打開したかったから?

「原子炉の状況を一番わかっているのは、東京電力だ。だが、東電と現場でツークッションになっていて、ベント(排気)が始まらない理由が正確に伝わってこない。それで現場の責任者ときちんと話をしようと考えた」

 - 十五日に東電本店に乗り込むのは、第一原発から退避するという話が一番の原因か。

「十五日の午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が撤退したいという意向を示している』と。
第二原発は、二十キロ圏です。十基の原発と十一個の(核燃料)プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉やプールの水は空になり(炉心は)どんどんメルトダウン(炉心溶融)し、放射性物質が放出される。それで清水(正孝)社長(当時)を呼んで聞いたら、はっきりしたことを言わない。それで本店に統合本部を作った」
「撤退なんてありえない。撤退したら今ごろ、このあたり人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として、成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれないんだから」

 - 統合本部の設置が分岐点だったと。

「本部を立ち上げ、海江田大臣と細野豪志首相補佐官(当時)を張り付けたことでグリップが効きはじめた。米国との関係もそれからうまくいくようになった。心配してくれたが、こちらにも情報がないから伝えられない。それで隠しているんじゃないかと疑念を持たれた。統合本部に米国の専門家にも来てもらい、不信感がなくなった」

  ●転機

- 一番危機感を持った時期は?

「最初の一週間だ。東京に人っ子一人いなくなる情景が頭に浮かんで、本当に背筋が寒くなる思いだった」

- そういう経験を踏まえての脱原発宣言だったと。

「3・11前は、安全性をしっかり確認して、原子力を活用していくスタンス。私自身『日本の技術力なら大丈夫』と思っていたが、3・11を経験し、考えを変えた。円を100キロ、200キロと広げる中に人が住めないとなったら、日本は成り立たない。十万、二十万の避難だってすごく大変だが、三千万人となれば避難どころではない。そのリスクをカバーできる安全性は何か、と考えた。それは、原発に依存しないことだと」

- 中部電力浜岡原発だけ、運転停止を要請したのはなぜか。

「浜岡は特に地震の可能性が高いとの研究結果が出ている。ほかの原発も3・11前と同じような基準でいいとは思わないが、浜岡は特別だと考えた」

- 九州電力玄海原発の再稼働直前に安全検査の導入を打ち出したのはなぜ。

「経産省原子力安全・保安院は、私の知らないところで、保安院だけで判断するという従来のやり方を取ろうとした。私は『それでは国民の理解は得られない』と言った。経産省はかなり意図的にやっていたと思う」

- 核燃料サイクルや高速増殖炉もんじゅについての考えは

「根本から再検討する段階に来ている。徹底した議論をやって結論を出すしかない」

  ●総括

- もう少し見届けたかったのでは?

「与えられた条件の中で、やるべきことはやった。特に原発事故については、かなり進んだと思っている。再生可能エネルギー特措法案や原子力安全庁もできたし、そういう意味では3・11以降の課題の大きなところはスタートが切れた」

- 福島県の人たちにはどんな気持ちを?

「本当に申し訳ないと思っている。『(汚染された廃棄物を一時保管する)中間貯蔵施設を福島県内に』との方針は、三月十一日に首相だったものの責任としてやった」






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2 コメント

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ローズクォーツさんへ (金木犀)
2011-09-10 11:48:54
引用、ありがとうございます。
どんどん引用してくださいね。
助かります(笑)

今朝のちびまるこちゃんも、さりげなく地球さんのこと・・・あったかくてよかったですね。

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夕刊 (ローズクォーツ)
2011-09-09 20:45:46
9日の“あの人に迫る”
音楽プロデューサー 小林武史さん。

「地球レベルや命のレベルで、もっと価値を見いだせることがたくさんあるはず」
「自然エネルギーは試行錯誤しながら使うもので、クリエーティビティー(創造性)が要求されるけど、それのない社会は持続しないと思う」

なにより
「そっちの方(脱原発)に楽しいことも、幸せだなと感じられることも、おそらく、あります」

心の深いところで
希求していることだなぁ。と、頷きながら読みました。
(引用が長くなっちゃった^ロ^;)
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