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広がる沖縄独立論、国の地方創生が本物かどうか問われている

2015年05月12日 | 沖縄で起こっていること
昔の時代劇によくあったパターンだけれど、暴れん坊将軍の「成敗」や、水戸黄門の印籠を出すタイミングって、もうこれでもかこれでもか、ってひどい目にあわされて、見ているこっちも、「しょうがないよね、こんなことやあんなことされて、もう堪忍袋の緒もきれるよ」っていう時。

私は沖縄見てると、いつもそう思うんですよね。沖縄一人に負担をすべて押し付けて。
騒音問題や訓練中の事故などの場所の負担だけでなく、精神的な負担や代償もあまりに大きい。
米兵は、治外法権?犯罪を犯しても国にかえされるだけ。傷ついたものは傷ついたまま、ずっと一生傷を引きずってしまうのに。
返還された基地跡地には、ベトナム戦争時代に使用された枯葉剤の可能性のある化学物質がドラム缶で地中に埋められ放置されたままだったという。
http://www.eritokyo.jp/independent/ikeda-col1239...html

沖縄に対して国は、それでも頭を下げ、「本当に申し訳ない」くらいの態度でいればまだ可愛げのあるものを、安倍政権になってからは、なんと高飛車になってしまったのだろう。
安倍政権の上から目線の「粛々と」。知事がわざわざ上京して何度も会いに行っているのに、顔も合わせず。嫌がらせのように復興予算は減らし。
それでいて、アメリカには、沖縄県民の怒りと悲しみの声などないかのように、調子のいいことばかり言って、これからは「日米一緒に戦いましょう」みたいな自己勝手な憲法無視の約束をして。
戦後最悪の無知で劣化した本当にひどい政権だ。

沖縄は、国内では太平洋戦争の唯一の地上戦となって大勢の一般人が亡くなった。二度と繰り返したくない悲惨な経験の後、アメリカ占領下には朝鮮戦争、ベトナム戦争があり、米兵は沖縄から飛び立った。沖縄の人々は、戦争末期から戦後、常に戦争と隣り合わせで、1972年、日本に復帰した時は、戦争放棄した9条のある日本に戻れるのが本当に嬉しかったそうだ。
しかし、沖縄に基地があるという現実は変わらなかった。

沖縄が堪忍袋の緒を切るタイミングは、もう刻々と近づいているのではないか。
いつも勉強になる内山節氏のコラム「時代を読む」(5月10日の東京新聞)にも、沖縄は沖縄独立論が、徐々に広がってきている、と書かれている。
辺野古基金も、その7割が本土からの送金だということで、こころある日本人なら沖縄独立論もやむなしという気分、理解できるのではなかろうか。
以下全文。


沖縄独立論という切り札 
内山 節

 辺野古の米軍基地の動きを見ていると、状況に変化が芽生えつつあるような気がしてくる。というのはこの問題をめぐる切り札を、沖縄の人々が持ち始めたのではないかとも感じられるようになってきたからである。
 基地建設を進める政府の切り札はお金でしかない。沖縄の振興予算をつけるとか、逆に予算面で追いつめるとかである。これまではそれが切り札としての役割を果たしてきた。ところが予算面で希望が叶えられなくなっても構わないという雰囲気が広がってしまえば、それは切り札としての役割を果たさなくなる。

 ところがいま沖縄では、じわじわと沖縄独立論が広がってきたのである。独立してしまえば、沖縄は日米安保条約の適用外だ。つまり全基地の撤去を要求できることになる。沖縄が独立する現実的な方法があるのかどうか。また独立の後に単独国家としてやっていけるのか、そういう事が議論に上がってくるようになってきた。もしも独立されれば日本は沖縄を手放すことになるのだから、政府としては認めがたい問題だろう。そうである以上独立論が広がっていけば、それが切り札になってしまう。本当に独立するかどうかは別として、そういう意見を持つ人々がふえていくと、政府はこれまでのような高飛車な態度はとれなくなるのである。

 振り返ってみれば、かつて沖縄は独立した琉球王国だった。沖縄の人々は遺伝子的には日本とのつながりが深いという研究もあるが、琉球王国は1429年に成立している。1609年に薩摩の侵攻を受け、江戸時代は薩摩の従属下にある独立国という立場だった。最終的に日本に併合されたのは、明治時代の1879年である。
 沖縄は、日本の時代よりも独立国の時代のほうがはるかに長いし、独自の文化や言葉を持っていた。


 20年ほど前に東北のある村長と話をしていたとき、その村長は
「不可能なことを承知で願望を述べさせてもらえば、江戸期の幕藩体制の時代に戻りたい」
と話してくれたことがある。
 その頃は江戸=東京に村が従属することはなかった、という意味である。自分たちで自分たちの世界をつくることができた。
地方創生とは、国のメニューに従って、地方や地域をつくることではない。地方や地域が自立性を持ち、独自の地域を創出していくことである。国の方針に従っているうちに地域が衰弱していった明治以降の歴史を、どのようにして変えていくのかがここでは問われている。
  
 地方が力をもつということは、独自の考えや方針で、地方、地域がつくられていくということであり、それは一面では国と地方との間に新しい緊張感が生まれるということでもある。ときに国と地方との間に対立が生まれ、ときに協力関係を結ぶ。そういう自立的な力を地方がもちながら、独自の地方を生み出していくことが本物の地方創生である。

 とすると今日の国と沖縄の関係は、いま国が掲げている地方創生が本物かどうかを見極める試金石なのかもしれない。沖縄の人たちがつくろうとしているこれからの沖縄を尊重することなくして、地方創生などありえない独立論が芽生えてくる背景にあるものは、基地問題だけでなく、国と地方の関係の問い直しでもある。


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