久しぶりに開いた本に、小さな新聞の切り抜きが挟まっていた。
これは・・
ドリアン助川氏のコラム「詞から詩へ」。朝日新聞の夕刊らしい。今の新聞活字より一回り小さい字。
働く牛をうたった「村の英雄」という西条八十の詩を紹介していた。詩人の言葉に心をつかまれて、思わず切り抜いてしまった記憶がある。
日付はわからない。本が1998年の版だから、もしかしたら、もう17年も前のものだろうか?
西条八十の書いた牛は、けなげで辛いことに耐えながらも、苦楽をともにした女主人のもとで静かに天寿を全うできた。
しかし、21世紀にもなって、2011年に、飢えて飢えて柱をかじりながら死んでいった牛がいた。壮絶で悲しい福島の牛の詩を見つけた。
「本当はいたるところに隠れているのに」という、ドリアンさんの言葉は、2015年の今は、心に突き刺さる。
見えないふり、見ないふりをしていても、福島の牛に象徴される悲しみはいたるところに隠れている。
以下は、12月25日東京新聞の筆洗より、文は変えておりませんが、改行などすこし編集しました。
そんな詩を、詩人で出版社コールサック社代表の鈴木比佐雄さんの新著『福島・東北の詩的想像力』で知った。福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる根本昌幸さんの「柱を食う」である。
詩は続く。
その写真の持ち主はいま、どんな思いで原発再稼働の報を聞いていようか。九州電力の川内(せんだい)原発に続いて、関西電力の高浜原発も再び動く見通しとなった。
福井県知事は、「政府が責任を持つ」との首相の発言を重くとらえて再稼働に同意したそうだが、本当の「責任」の重さはいかほどのものか。
『福島・東北の詩的想像力』で、こういう詩も知った。福島県いわき市の芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ。
この「?」に首相らは、どう答えうるのか。
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かつて牛は、日本の農業の担い手だった。人と牛は心を通わせることもできた。
「人を人とも思わなくなった時、堕落が始まるのね」と、詩人の茨木のり子さんは「汲む」という詩の中で書いている。
同様に、すべての命を命とも思わなくなった時、自分を支えてくれる命への感謝や同情を忘れてしまった時、万物の霊長を自負した人間の堕落が始まっているのではないか・・と、よく思います。
原発は、事故が起こったとき真っ先に被害にあうのは、人間だけじゃない、逃げることの出来ない動物たちです。
再稼働を望む人たちには、そのことに、どうか思いをはせていただきたいのです。
ところで、気がつけば、今年もあと数日。
書きたいことは山ほどあるのに、自分の力不足から、記事にもできず、消えていく事もありました。
2006年からブログをはじめて、来年で10年になります。
今年も牛の歩みのような1年でしたが、西条八十の「村の英雄」を再読して、それでも続けていくこと、牛の歩みでもそれが誇りに思えるようになりました。
この記事で、年内の更新は終わりにします。
今年も1年、見てくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞ穏やかな良いお年をお迎えください。
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まど・みちおさんの詩「虹」
これは・・
ドリアン助川氏のコラム「詞から詩へ」。朝日新聞の夕刊らしい。今の新聞活字より一回り小さい字。
働く牛をうたった「村の英雄」という西条八十の詩を紹介していた。詩人の言葉に心をつかまれて、思わず切り抜いてしまった記憶がある。
日付はわからない。本が1998年の版だから、もしかしたら、もう17年も前のものだろうか?
詞から詩へ ドリアン助川
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昔の人は優しかった。なんて僕は言いません。昔は昔で、冷酷なことはたくさんあったのだから。けれども昔は、村にも町にも愚痴をこぼさない牛がいて、懸命に耐える牛がいて、切なくなるような牛がいて、詩人はそれを見過ごすことができなかった。書かずにいられなかった。今の人は冷たいね、なんて僕は言いません。人の温かさは、そう変わらないものです。けれども今は、もうどこにも牛が見当たらないから、本当はいたるところに隠れているのに外見だけの町並みに消されてしまっているから、誰も牛の詩など書こうとしないのです。こうやって優しさは難しい言葉になりました。
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村の英雄 西条八十
村の大きな 黒牛が
春の夕ぐれ 死にました
永年住んだ 牛小舎の
寝藁(ねわら)の上で 死にました
女やもめの ご主人に
いつも仕えた 忠義もの
朝晩 重い荷を曳(ひ)いて
くろは すなおな牛でした
お寺の鐘は 鳴りません
けれども 花は散ってます
村の優しい 英雄が
春の夕ぐれ 死にました
村の大きな 黒牛が
春の夕ぐれ 死にました
永年住んだ 牛小舎の
寝藁(ねわら)の上で 死にました
女やもめの ご主人に
いつも仕えた 忠義もの
朝晩 重い荷を曳(ひ)いて
くろは すなおな牛でした
お寺の鐘は 鳴りません
けれども 花は散ってます
村の優しい 英雄が
春の夕ぐれ 死にました
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昔の人は優しかった。なんて僕は言いません。昔は昔で、冷酷なことはたくさんあったのだから。けれども昔は、村にも町にも愚痴をこぼさない牛がいて、懸命に耐える牛がいて、切なくなるような牛がいて、詩人はそれを見過ごすことができなかった。書かずにいられなかった。今の人は冷たいね、なんて僕は言いません。人の温かさは、そう変わらないものです。けれども今は、もうどこにも牛が見当たらないから、本当はいたるところに隠れているのに外見だけの町並みに消されてしまっているから、誰も牛の詩など書こうとしないのです。こうやって優しさは難しい言葉になりました。
西条八十の書いた牛は、けなげで辛いことに耐えながらも、苦楽をともにした女主人のもとで静かに天寿を全うできた。
しかし、21世紀にもなって、2011年に、飢えて飢えて柱をかじりながら死んでいった牛がいた。壮絶で悲しい福島の牛の詩を見つけた。
「本当はいたるところに隠れているのに」という、ドリアンさんの言葉は、2015年の今は、心に突き刺さる。
見えないふり、見ないふりをしていても、福島の牛に象徴される悲しみはいたるところに隠れている。
以下は、12月25日東京新聞の筆洗より、文は変えておりませんが、改行などすこし編集しました。
その人はどうしようもなくて
牛を餓死させてきた
と 言った。
可哀想なことをしたが
仕方がない
とも言った。
そして一枚の写真を取り出して見せた。
それは牛が柱を食った写真だった
牛を餓死させてきた
と 言った。
可哀想なことをしたが
仕方がない
とも言った。
そして一枚の写真を取り出して見せた。
それは牛が柱を食った写真だった
そんな詩を、詩人で出版社コールサック社代表の鈴木比佐雄さんの新著『福島・東北の詩的想像力』で知った。福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる根本昌幸さんの「柱を食う」である。
詩は続く。
この写真は自分を戒めるために
離さずに持っているのだ
とも言った。
これはどういうことなのだ。
牛よ
恨め恨め
憎き者を恨め
お前を飼っていた者ではない。
こういうふうにした者たちを
離さずに持っているのだ
とも言った。
これはどういうことなのだ。
牛よ
恨め恨め
憎き者を恨め
お前を飼っていた者ではない。
こういうふうにした者たちを
その写真の持ち主はいま、どんな思いで原発再稼働の報を聞いていようか。九州電力の川内(せんだい)原発に続いて、関西電力の高浜原発も再び動く見通しとなった。
福井県知事は、「政府が責任を持つ」との首相の発言を重くとらえて再稼働に同意したそうだが、本当の「責任」の重さはいかほどのものか。
『福島・東北の詩的想像力』で、こういう詩も知った。福島県いわき市の芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ。
失ったものは永遠に帰っては来ない
元通りに出来ないはずだのに
責任をはたすって?
何の責任をだ
一体責任って何だ?
元通りに出来ないはずだのに
責任をはたすって?
何の責任をだ
一体責任って何だ?
この「?」に首相らは、どう答えうるのか。
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かつて牛は、日本の農業の担い手だった。人と牛は心を通わせることもできた。
「人を人とも思わなくなった時、堕落が始まるのね」と、詩人の茨木のり子さんは「汲む」という詩の中で書いている。
同様に、すべての命を命とも思わなくなった時、自分を支えてくれる命への感謝や同情を忘れてしまった時、万物の霊長を自負した人間の堕落が始まっているのではないか・・と、よく思います。
原発は、事故が起こったとき真っ先に被害にあうのは、人間だけじゃない、逃げることの出来ない動物たちです。
再稼働を望む人たちには、そのことに、どうか思いをはせていただきたいのです。
ところで、気がつけば、今年もあと数日。
書きたいことは山ほどあるのに、自分の力不足から、記事にもできず、消えていく事もありました。
2006年からブログをはじめて、来年で10年になります。
今年も牛の歩みのような1年でしたが、西条八十の「村の英雄」を再読して、それでも続けていくこと、牛の歩みでもそれが誇りに思えるようになりました。
この記事で、年内の更新は終わりにします。
今年も1年、見てくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
どうぞ穏やかな良いお年をお迎えください。
★関連記事
まど・みちおさんの詩「虹」