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ハノハノ*ニジイロビヨリ

旧ハノハノ*アラチビヨリ
和やかにふんわりと、時々欲張りな日々。

神戸新聞の7日間

2010-01-16 23:21:09 | Drama
ドラマを見ている時間の流れがそのまま15年前の時間の流れと同じだなと思った。
そういう風に時間を追いながら忠実に丁寧に描かれたドキュメンタリードラマだったと。

当時、私は娘1号を産んだばかりで、その日も夜中の授乳を終えてちょっとは寝れるかなと
眠りが深くなったかならないかのタイミングで、かなりの揺れを感じ川の字に寝てた旦那と
同時に娘にかぶさりました。
そう、でもその時はよもやそんなことが起こっているなんて思わず、すごい地震だったね
と旦那と言葉を交わし、再びうたたねをし、夜が明けて起きる時間になってTVをつけて
事の重大さにとても驚きました。
翔さんがなにかの媒体で言っていた「TVに映った柱のように何本も立ち上る黒煙」の
様子は今でも心に残っています。

そして実は叔父が神戸にいて、親戚とは疎遠になってた人だったのだけど
それでも気になり、毎朝新聞を見ては被害に遭って命を落とされた方々の名前の一覧から
よもや叔父の名、叔父の家族の名が見つかってしまったら、とドキドキしました。
運よく難を逃れた叔父に半年後に会うことがありその時の状況を聞いたら
たまたま倒れてきたタンスが観音開きで戸が開いた状態で倒れてきたのでむしろタンスに
すっぽり入る形になって、その後倒れてきたこまごましたものから守ってもらったと。
タンスの角とか当たってたらどうなってたか分からんかった、と。

それが私の中の神戸の地震での出来事。



新聞の名前欄の中に年齢も記載されていて、娘と同じくらいなんだろうなっていう0歳の
子と並んで20代の名字の同じ女性の名前を見つけたりしたら容易に親子だろうなと
想像ができ、そんな時言いようのない切なさ、胸の痛みを感じました。

でも、そういう思いも日常の雑多な出来事の中で段々風化していって。
今回ドラマを見たことで、当時の思いを呼び起こされました。

職務を全うするために、被災者のために戦っていた人達がいたこと
彼らの目に映った神戸の街、そして思い。
そして当時の神戸の人達の心情。

被災した人、大切な人を失った人、そして助けられず良心を痛めてずっと心に引きずっている人。
そういう方々の心の痛みや叫びの上に今日のドラマがあり、それを櫻井翔が演じることで
多くの人達がおそらく目にするだろうってことも含め「忘れないこと」をたくさんの
人達に伝達していけた、大きな役目あるドラマだったと思いました。

最初、15年経って何故今だったんだろう?と思っていたのだけど
きっと作り手が客観的に見つめなおせる時間が15年だったのかなと思っていたのです。

だけどドラマに出てくる実際に被災した神戸新聞の方々を見ていても
その表情は過去を話している感じでなく、まだ未消化のまま、杭を打たれたように
心の中にとどまっているんじゃなかなと思えました。
痛みを再びひきずりだしてまでも伝えたい思いがあったのだろうなと。

それが風化させないこと、忘れないこと。そして人間は強く誇り高き生き物だっていうことを私は感じました。

とくだねで、笠井さんがこのドラマの紹介をしながら当時現場に駆けつけた自らの体験したことを話し出し
泣きながら「助けてくださいと言われても助けられなかった」「消化活動を手伝ったら上司に怒られた、
人命をまず考えるならどうしてカメラマンは活動に参加せずカメラを回して
いたんだ、中途半端な真似をするなと言われた」みたいなことをまるで懺悔するかのように
途中嗚咽しながら語る姿に普段明るく飄々としている笠井さんのTVに映るイメージと
あまりに違っていて、明るくしてたけど実はそういう十字架をずっと背負ってきていたんだなと思ったら
とてもつらくなってしまって。

そういう人達がおそらく、数え切れないほどいるんだろうなと。
報道関係者だけでなく、消防や、救助に駆けつけた人達も含め。
そして被災した人達、大切な人達を失ってつらい思いをした人達がいたんだなと気付き
誰かの痛みを自分の痛みとして受け取って
涙を流す、思いを刻む、ドラマを見てそう思う人達が「忘れないから」と思う
そんな意義あるドラマだと思いました。

もうすぐあの日と同じ時間がやってきます。

生きていた証、それがドラマのラストのおびただしい数の名前の書かれたページ。
そのページを頭に焼付け、祈りたいと思います。



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