Accumulation journalière

とある社会人の日常と夢への道のり。時々月に還ったうさぎ🐰のことも。※画像を使用する場合はひとことコメント下さい

〈harmony/〉の世界へ

2020年10月15日 06時10分19秒 | 日記
今、伊藤計劃の『〈harmony/〉』を図書館から借りてきて読んでいるんですが、ほんと……深いですねぇ…。

SFとはいいつつも、この人の描く世界は、現実の延長線上にある気がしてならない。まるでこの世の先を予見しているような気さえする。
虐殺器官も読みましたが、あちらよりは〈harmony/〉の方が読みやすいです。

健康を重視するようになった近未来の世界が舞台。大災禍を経験した世界では、極端な健康思考に陥り、調和を重視し、健康を害する酒や煙草は禁止。大人になる前に体内に健康状態を監視する装置を入れるため、病気の兆候があれば重症化する前に早期治療を行えるようになった。だが、その昔、それに抗おうとした少女がいたーー。ざっくりした説明はこんな感じでしょうか。

自分の体は自分のもの、命も自分のもの。どうするかは自分の自由。たとえそれが自分の意思で死ぬことであっても…。
虐殺器官とはまた別の問題提起をしている作品だと思いました(とはいっても、虐殺器官は難しくてよく分かってない部分も多々あるのですが…)。
伊藤計劃の作品は全てアニメ映画は視聴済みなので、話の大筋は分かっています(虐殺器官は長い間公開が先延ばしになってたので、その間に先に原作を読んでしまいました)。
〈harmony/〉は、初めて見たとき、どぎついシーンは無いと思ってたので、作品中盤に突如、主人公の親友がナイフを持って…(以下略/自主規制)シーンにはビビりました。
また、若干いわゆる百合的な要素や発言、シーンもあり、いろんな意味で子供に見せたくはない(笑)。

映画1作目の『屍者の帝国』は、わりと爽やかな終わり方だったので、2作目の〈harmony/〉もそんな感じだと甘く見ていました。全然ちがった(笑)
そもそも屍者の帝国は、(作者夭逝のため)未完の作品を、他の作家さんに続きを書いてもらってるため、爽やかな終わり方になるのは仕方がないのかなとも思う。
でも、作者が描きたかったのはこんな終わり方ではなかっただろうな…と何となくそんな気がします。

だいぶ話は逸れましたが、何で私がこんなことを書こうと思ったのか。今年に入ってから自分で命を断つ人のニュースを何度も目にするからです。
自死を止める権利なんて誰にもない。だけど、それがなぜいけないことなのかの理由が今の私には説明できない。いけないことかどうかも判断がつかない。
死んでほしくないなんて、ぶっちゃけ自分の気持ちの押し付けでしょう。その人の気持ちを無視した考えです。
その人は選ぶべくしてその道を選んだのだから。他に道があればそうしていたかもしれない。
それは安楽死を選ぶかどうか、倫理的な問題にも繋がってくる気がします。
そう、当事者にとっては安楽死のようなものなのかもしれないですね。
ただ、ゲームをリセットするように人生はリセットできるとは限らない。
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