Dejima, Nagasaki City, Nagasaki Pref.
さてさて、ワタクシ達は「出島亜紗」というお店で、大満足な夕食をいただいたのですが、
このお店は名前の通りに、出島からほど近い場所にあるんですよ。
夕食を終えたワタクシ達は、ちょっと出島の方まで歩いて行くことにしました。
出島とは言うまでもなく、徳川幕府の命により築造された人工の島ですね。
1636年に完成し約200年もの間、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。
ただ、明治期に役割を終えた出島の周囲は埋め立てられてしまいましたので、海に浮かぶ扇形の原形は姿を消しました。
社会科の教科書や資料集で見た出島をイメージして長崎に行くと、ちょっとガッカリするんですよね。
しかし、1951年長崎市が出島の復元整備を開始し、現在までに16棟の建物や景観が当時の姿を取り戻しました。
まるで19世紀の初めにタイムスリップしたかのような空間が広がっており、人気の観光スポットになっています。
出島でのオランダ貿易では、生糸を中心にインド産の木綿製品や羅紗(らしゃ)など、ヨーロッパ原産の毛織物類が輸入されました。
江戸中期以降は砂糖が主な輸入品となり、その他、ビードロやギヤマンと呼ばれたガラス製品、ヨーロッパで焼かれた陶器、薬種、
染料として使用する蘇木(そぼく)、鮫皮、錫(すず)、鉛など、さまざまなものが輸入されました。
オランダ貿易で砂糖の輸入量が一気に上がると、長崎の人々は「食」に砂糖を使うようになります。
カステラや金平糖、丸ボーロなど砂糖を使用したお菓子が長崎の地で誕生し、日本のお菓子の発展に大きな影響を与えました。
ワタクシ、長崎に行って料理を食べると「少し甘口やなぁ」と思うことがあるのですが、
このような歴史背景が甘めの味付けにつながっているんですね。食文化というのは面白いです。
西ヨーロッパに唯一開かれた窓であった出島には、ラクダやゾウ、トラなど、海外からさまざまな動物が運ばれてきました。
その多くは当時日本にはいない珍しい動物ばかりです。動物たちは出島から各地へと渡り、初めて見る動物に日本人は大喜びだったそうです。
江戸ではその姿を描いた浮世絵やすごろく、おもちゃなどが町に広がったといいます。
夜も深まり、さすがに冷え込んできました。そろそろホテルに戻るとしましょうか。
宿に戻ってスマホで歩いた歩数を見ると、20025歩となっていました。うーん、知らないうちによく歩いてましたね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
当時、オランダ〜日本間を船で行き来する場合、風の吹き具合や寄港地に立ち寄る回数にもよりますが、
8ヶ月から1年ほどの日数がかかったそうです。途中、熱帯のアフリカや東南アジアを通りますので疫病にも罹ることが多かったでしょうし、
暴風雨に巻き込まれることもあれば、逆に海が凪いでしまって船が動かなくなったこともあったでしょう。
そう思うと、当時の貿易商人というのは悪どい奴が多かったのは事実ですが、命懸けだったんでしょうね。
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このお店は名前の通りに、出島からほど近い場所にあるんですよ。
夕食を終えたワタクシ達は、ちょっと出島の方まで歩いて行くことにしました。
出島とは言うまでもなく、徳川幕府の命により築造された人工の島ですね。
1636年に完成し約200年もの間、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。
ただ、明治期に役割を終えた出島の周囲は埋め立てられてしまいましたので、海に浮かぶ扇形の原形は姿を消しました。
社会科の教科書や資料集で見た出島をイメージして長崎に行くと、ちょっとガッカリするんですよね。
しかし、1951年長崎市が出島の復元整備を開始し、現在までに16棟の建物や景観が当時の姿を取り戻しました。
まるで19世紀の初めにタイムスリップしたかのような空間が広がっており、人気の観光スポットになっています。
出島でのオランダ貿易では、生糸を中心にインド産の木綿製品や羅紗(らしゃ)など、ヨーロッパ原産の毛織物類が輸入されました。
江戸中期以降は砂糖が主な輸入品となり、その他、ビードロやギヤマンと呼ばれたガラス製品、ヨーロッパで焼かれた陶器、薬種、
染料として使用する蘇木(そぼく)、鮫皮、錫(すず)、鉛など、さまざまなものが輸入されました。
オランダ貿易で砂糖の輸入量が一気に上がると、長崎の人々は「食」に砂糖を使うようになります。
カステラや金平糖、丸ボーロなど砂糖を使用したお菓子が長崎の地で誕生し、日本のお菓子の発展に大きな影響を与えました。
ワタクシ、長崎に行って料理を食べると「少し甘口やなぁ」と思うことがあるのですが、
このような歴史背景が甘めの味付けにつながっているんですね。食文化というのは面白いです。
西ヨーロッパに唯一開かれた窓であった出島には、ラクダやゾウ、トラなど、海外からさまざまな動物が運ばれてきました。
その多くは当時日本にはいない珍しい動物ばかりです。動物たちは出島から各地へと渡り、初めて見る動物に日本人は大喜びだったそうです。
江戸ではその姿を描いた浮世絵やすごろく、おもちゃなどが町に広がったといいます。
夜も深まり、さすがに冷え込んできました。そろそろホテルに戻るとしましょうか。
宿に戻ってスマホで歩いた歩数を見ると、20025歩となっていました。うーん、知らないうちによく歩いてましたね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
当時、オランダ〜日本間を船で行き来する場合、風の吹き具合や寄港地に立ち寄る回数にもよりますが、
8ヶ月から1年ほどの日数がかかったそうです。途中、熱帯のアフリカや東南アジアを通りますので疫病にも罹ることが多かったでしょうし、
暴風雨に巻き込まれることもあれば、逆に海が凪いでしまって船が動かなくなったこともあったでしょう。
そう思うと、当時の貿易商人というのは悪どい奴が多かったのは事実ですが、命懸けだったんでしょうね。
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