よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

食後の散策-長崎県長崎市:出島

2023年01月22日 | 長崎
Dejima, Nagasaki City, Nagasaki Pref.

さてさて、ワタクシ達は「出島亜紗」というお店で、大満足な夕食をいただいたのですが、
このお店は名前の通りに、出島からほど近い場所にあるんですよ。
夕食を終えたワタクシ達は、ちょっと出島の方まで歩いて行くことにしました


出島とは言うまでもなく、徳川幕府の命により築造された人工の島ですね。
1636年に完成し約200年もの間、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました


ただ、明治期に役割を終えた出島の周囲は埋め立てられてしまいましたので、海に浮かぶ扇形の原形は姿を消しました。
社会科の教科書や資料集で見た出島をイメージして長崎に行くと、ちょっとガッカリするんですよね


しかし、1951年長崎市が出島の復元整備を開始し、現在までに16棟の建物や景観が当時の姿を取り戻しました。
まるで19世紀の初めにタイムスリップしたかのような空間が広がっており、人気の観光スポットになっています


出島でのオランダ貿易では、生糸を中心にインド産の木綿製品や羅紗(らしゃ)など、ヨーロッパ原産の毛織物類が輸入されました。
江戸中期以降は砂糖が主な輸入品となり、その他、ビードロやギヤマンと呼ばれたガラス製品、ヨーロッパで焼かれた陶器、薬種、
染料として使用する蘇木(そぼく)、鮫皮、錫(すず)、鉛など、さまざまなものが輸入されました


オランダ貿易で砂糖の輸入量が一気に上がると、長崎の人々は「食」に砂糖を使うようになります。
カステラや金平糖、丸ボーロなど砂糖を使用したお菓子が長崎の地で誕生し、日本のお菓子の発展に大きな影響を与えました。
ワタクシ、長崎に行って料理を食べると「少し甘口やなぁ」と思うことがあるのですが、
このような歴史背景が甘めの味付けにつながっているんですね。食文化というのは面白いです


西ヨーロッパに唯一開かれた窓であった出島には、ラクダやゾウ、トラなど、海外からさまざまな動物が運ばれてきました。
その多くは当時日本にはいない珍しい動物ばかりです。動物たちは出島から各地へと渡り、初めて見る動物に日本人は大喜びだったそうです。
江戸ではその姿を描いた浮世絵やすごろく、おもちゃなどが町に広がったといいます


夜も深まり、さすがに冷え込んできました。そろそろホテルに戻るとしましょうか。
宿に戻ってスマホで歩いた歩数を見ると、20025歩となっていました。うーん、知らないうちによく歩いてましたね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


当時、オランダ〜日本間を船で行き来する場合、風の吹き具合や寄港地に立ち寄る回数にもよりますが、
8ヶ月から1年ほどの日数がかかったそうです。途中、熱帯のアフリカや東南アジアを通りますので疫病にも罹ることが多かったでしょうし、
暴風雨に巻き込まれることもあれば、逆に海が凪いでしまって船が動かなくなったこともあったでしょう。
そう思うと、当時の貿易商人というのは悪どい奴が多かったのは事実ですが、命懸けだったんでしょうね。



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長崎の「食」を満喫-長崎県長崎市:「出島亜紗」

2023年01月21日 | 長崎
“Dejima Asa”, Nagasaki City, Nagasaki Pref.

さてさて、ワタクシは待ち合わせをしていた家人と合流するためにホテルに戻りました。
この日の夕食は、事前にお店に予約をしていたので、午後5時にホテルから歩いてお店に向かいました


予約していたお店は「出島亜紗」というのですが、ワタクシ達は「美味しい居酒屋に行こう」とお店を探し、予約したんです。
実際に訪れてみると、高級感のある外観にビックリ。居酒屋という雰囲気じゃないですよねぇ


まずは「生ビール」で乾杯です。さあ、どんな料理が出てくるのか、ワクワクしますねぇ


どーですか。まずは「シマアジのお造り」です。これは絶品。身が締まっており、脂もよく乗っております


どーですか。この刺身は「鯨の赤身」なんです。長崎は江戸時代から捕鯨が盛んで、鯨肉の個人消費量が全国一位なんですよ。
ワタクシ、子どもの頃によく鯨肉を食べていました。懐かしい気持ちになりました


どーですか。これは長崎名物の「ハトシ」なんです。ハトシとは、食パンの間にエビのすり身を挟んで油で揚げたもので、
明治時代に、清国(当時の中国)から伝えられた料理だと言われています。今回、ワタクシはこのハトシを食べたくて、
事前にお店のHPでハトシがメニューにあることを調べていたので、是非とも食べたかったんんですよ。
エビのすり身がプリプリして、なかなか美味しい一品でした


どーですか。今回はいつもより早めに焼酎をいただきました。この焼酎は壱岐で作られたもので、口当たりのいい焼酎でした


どーですか。続いては「豆腐の肉あんかけ」なのですが、これは美味かったですねぇ。
ワタクシ達はカウンター席に座っていたので、目の前で板前さん達が手際よく料理を作る様子を眺めながら、
出てくる料理を美味しくいただきました。この料理、もう一度食べたいなぁ


どーですか。「アオサとアミエビのかき揚げ」です。カラッと揚げられたかき揚げを、サクサクっといただきました


どーですか。これが絶品だった「長崎角煮のとろーりチーズパイ」です。こうやって写真を見ると、何かのパイ包みだとはわかりますが
どんな料理かは分かりかねますね。ではでは、中身を見てみましょう


トロトロに煮込まれた豚の角煮にチーズを乗せ、パイ生地で包んで焼き上げてあるんですね。
これ、本当に美味かったんですよ。今思い出しても絶品だったなぁって思いますわ


どーですか。最後に「イカゲソ焼き」をいただきました。もちろん塩味です。
ここのお店、定番メニューから創作料理まで、どれを食べても実に美味しく、店内の雰囲気も良かったんですよ。
お店の屋号の通り、出島からほど近い場所にあり、中華街にもすぐに歩いて行ける場所なので、
長崎に旅行に行かれる人にはお勧めしたいお店です。あ〜、よく食べてよく飲みました

「出島亜紗」…長崎県長崎市出島町13−3

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


旅先で居酒屋やレストランなどを探す時に、ネットでの口コミなどを見て探すことがあります。
次に現地で「いいお店はありますか?」と地元の人に訊いてお店を決めることもよくあります。
そして、自分の勘を頼りにお店を物色することもあります。旅に行く回数が増えるに連れて、
「当たり」のお店を見つける確率が高くなってきたように感じます。この日ももちろん「大当たり」でした。



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坂とともに暮らす-長崎県長崎市:唐人屋敷跡

2023年01月20日 | 長崎
Tojin Yashiki Ruins, Nagasaki City, Nagasaki Pref.

さてさて、唐人屋敷跡を訪れたワタクシは、坂を登ったり下ったりしながら、興味深く町並みを散策していました


狭い狭い路地の突き当たりに観音堂がありました。本当に台湾の路地裏を歩いているかのような気分になります


「協天上帝」という文字が見えますが、これは『三国志』で有名な関羽雲長を神格化したものですね。
関羽は武神としてだけではなく、信義に厚い人物だったことから「信用」を大切にする商売の神様としても敬われているんです


路地裏を彷徨していると、また中国風の建造物が見えてきました


それにしても坂が多い街です。長崎は三方を山に囲まれているので、坂道が多いのは当然といえば当然ですが、
「よくこんな坂の上まで街が広がっているなぁ」と思う場所が多々ありますわ


唐人屋敷跡のあたりから西の方を眺めると、急坂にへばりつくように街が広がっています。
その上にミッション系の学校の建物があるというのも、長崎らしい気がします。
建物は海星高校の校舎で、高校野球好きのワタクシには「野球が強い高校」のイメージがありますね


この辺りは観光地ではなく、人々の生活の場です。ですので、生活感が溢れています。
ワタクシはこういう場所を散策するのが大好きなのですが、あまりウロウロしていたら不審者と思われかねないですね


坂道で暮らすというのは、見晴らしや展望には恵まれています。しかし、原付バイクも通行できないような場所では、
日々の坂道の上り下りが大変だろうなと思います。この辺りも高齢化が進んでいるようですしねぇ


気がつけば時刻も16時20分を回りました。家人とはホテルで17時に待ち合わせをしています。
そろそろホテルに戻らなければなりません


長崎唐人屋敷跡…ワタクシにとっては、とても「写欲」をそそられる場所なんですよ

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は人に誇れることってあまり多くはないのですが、数少ない誇れることの一つが「時間厳守」ということです。
約束した待ち合わせ時間に遅れることはまずありません。遅れて人を待たせることが大嫌いなんです。
これは私の持論ですが、「鉄道好きの人間は時間に正確な人が多い」と経験上感じるんですよ。
おそらく時刻表を見て行動することが多いので、時間厳守が身につくのではないかと思うんです。



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中国のような下町-長崎県長崎市:唐人屋敷跡

2023年01月19日 | 長崎
Tojin Yashiki Ruins, Nagasaki City, Nagasaki Pref.

さてさて、ワタクシ達はこの日(12月29日)は長崎市に宿泊しました。宿はオランダ坂に程近い場所にあるビジネスホテルで、
ワタクシと家人はそれぞれシングルの部屋を予約していました。ホテルにチェックインをすると、家人は夕食までの間、
部屋でゆっくり休憩するとのこと。ワタクシは一人で行きたい場所があったので、ホテルから歩いてそちらに向かいました


向かった先は「唐人屋敷跡」と言いまして、現在は館内町という町になっています。
以前は無かったのですが、現在は「唐人屋敷象徴門」が建っているので、場所が分かりやすくなりました


唐人屋敷とは何かと言いますと、鎖国政策が行われるまで中国人は長崎市内に自由に住んでいました。
しかし密貿易とキリスト教浸透を防止するため、幕府は1689年に唐人屋敷を建設し、中国人を収容・隔離したのです


周囲を練塀や堀で囲まれた唐人屋敷は、約9,400坪の広さと、約2,000人の収容能力をもち、瓦葺き2階建ての長屋が約20件ありました。
長崎の商人たちが入れたのは屋敷入口の二の門までで、中に入ることを許されたのはなんと遊女だけ。
長崎には「丸山」という大きな花街がありましたので、そこから遊女が出入りしていたんですな


なお、中国人の外出が許されたのは唐寺参拝の時だけでしたが、屋敷内では伝統行事を自由に行うことができ、
宴会は毎日のように開かれていたそうです。出島から出ることを許されなかったオランダ人に比べると、
比較的自由が認められていたんですね


ワタクシは中国に行ったことは無いのですが、台湾は三度訪れました。ここ唐人屋敷跡を歩いていると、
台湾の下町を歩いているような気持ちになります。11年前に長崎に来た時に、ワタクシは初めて唐人屋敷跡を訪れたのですが、
ワタクシにはとても印象に残る町並みだったので、今回も歩いてみたいと思ったんですよ


南へ向かうと坂道を登っていく形になります。長崎という町は本当に坂道が多く、狭い道も多いんですよねぇ


この建物は天后堂といいまして、航海安全の女神である天后聖母を祀ったものです。
天后聖母は媽祖とも呼ばれ、台湾では至る所に媽祖廟がありました


唐人屋敷跡には猫がたくさんいました。ブロック塀の上は日当たりがいいので、気持ちいいんでしょうかね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は家人と旅行に行くと、国内でも外国でも、このように別行動をとることがよくあります。
お互いに興味や関心がある場所が違う時もありますし、ゆっくりと自分一人の時間を過ごしたい時もあります。
別行動をとることで、二人ともうまくストレスを溜めることなく旅を出来ているんだと思いますわ。



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まだまだ学びたいことがある-長崎県長崎市:26聖人殉教記念碑

2023年01月18日 | 長崎
Twenty-Six Saints Martyrdom Monument, Nagasaki City, Nagasaki Pref.

さてさて、今回の長崎訪問でワタクシ達は「キリシタン迫害」ということについて、多くのことを考えさせられました。
昼食を食べて次にどこに行こうかとなった時に、長崎駅近くに26聖人殉教記念碑というものがあり、そこには記念館もあるんです。
ワタクシは記念碑には行ったことがあるのですが記念館には入ったこともなく、家人はどちらも行ったことがないということなので
今回は訪ねてみることにしました


1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架にかけられて殉教した日本人20人と外国人6人のキリシタンがいました。
彼らは豊臣秀吉の命によって京都と大坂・堺で捕らえられ、処刑地となる長崎までの道のりを約一ヶ月かけて裸足で歩かされました。
26人の中には、フィリピン総督の使節として来日し京都で教会を建てるなど熱心な布教活動をおこなったペドロ・バプチスタや、
12歳のルドビコ茨城、14歳のトマス小崎といった日本の幼い少年たちもいました


この大殉教事件は、ポルトガルやスペイン、メキシコやヨーロッパなどにも伝えられ、大きな反響を呼びました。
そして、日本ではまだキリシタン迫害が続く1862年、彼らは教皇ピオ9世によってローマで聖人に列せられたのです。
さらに列聖から100年後の1962年、殉教地の西坂の丘に記念碑と記念館が完成しました


令和元年11月に第266代ローマ教皇・フランシスコが長崎を訪れた際、この地で祈りを唱えられたことでも知られています。
過去の歴史を今の価値観で判断するのは正しくない行為ですが、
かつての日本に信仰の自由が奪われた時代があったということは事実かと思います


26聖人殉教記念碑から10分ほど歩いた場所に、中町教会という立派な教会がありました。
120年以上の歴史をもつ長崎を代表するカトリック教会だそうです


明治時代、長崎市街地には大浦天主堂の他にカトリック教会がなかったため、初代島内要助神父は殉教の歴史をもつこの長崎に、
日本人のための教会を建てようと決意しました。
苦労の末、1889年の暮れにキリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて設立したとのことです


原爆投下により教会は外壁と尖塔だけを残して焼失しましたが、世界中からの献金や信徒たちの奉仕によって、
1951年10月その外壁と尖塔をそのまま生かし再建されました。
現在も教会北側の塀には被爆の跡があり、貴重な被爆遺構として長崎市に指定されているんですよ


ステンドグラスを通過した光が、教会内の白い壁に美しい紋様を作っていました。
ワタクシはクリスチャンではありませんが、身が引き締まる思いがします


ではでは、そろそろこの日のホテルに向かうとしましょうか。家人はホテルでゆっくりしたいようですしね

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


今回、キリシタン迫害や島原天草一揆に関して、初めて知ることや改めて認識させられることがたくさんありました。
「学ぶ」という行為は、何歳になっても続けられるものなんだなと実感します。
「昔はこうだった」「俺が若い時はああだった」と言うだけではなく、常に自分自身が「学び」の姿勢を持ち続け、
自らをアップデートしていかねばならないのだなぁと感じます。「老害」と言われたくないですからねぇ。



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