“Fukuchiyama Railway Museum”, Fukuchiyama City, Kyoto Pref.
さてさて、福知山市のシンボルとも言うべき福知山城を訪れたワタクシ達は訪れました
。

復元された天守閣ですが、内部は郷土資料館として公開され、城に関する資料や福知山地方の歴史・文化財が展示されています。
ワタクシはこういう資料館を見学するのが好きで、この日も興味深く資料を眺めていたのでした
。

2022年に福知山城では将棋の竜王戦が行われ、藤井聡太竜王と広瀬章人八段が対局したそうです。
その場所が「将棋フォトスポット」となっており、誰でも自由に将棋を指したり写真を撮ったりすることが出来るとのことです
。

天守閣の上から福知山の町を見下ろします。福知山市には京町、鍛冶町、呉服町、鋳物師町、紺屋町という地名が残り、
城下町から発展した町だということがすぐにわかります。地名はその地の歴史や地理を伝える貴重な文化です
。

福知山城を後にして、ワタクシ達はお城の東側に向かいました。そこに何があるのかと言いますと…
。

城のすぐ東側に「福知山鉄道館フクレル」という小さな鉄道博物館があるんです。
福知山は明治時代に鉄道が敷かれると京都・大阪・豊岡・宮津・舞鶴への結節点として発展していきます。
さらに1950(昭和25)年、全国で27か所にしか置かれなかった鉄道管理局が福知山に設置されました。
町には鉄道病院や宿舎など鉄道の関係施設が次々と建設されていきます。
旧国鉄最盛期の昭和40年代には市民の約10人に1人が鉄道の仕事に携わっていたというのですから驚きです。
こうして鉄道は福知山の経済を支える重要な存在となり、「鉄道の町」として大いに賑わったんです
。

これは1949~73(昭和24~47)年に福知山線・山陰本線を走った旅客用蒸気機関車C57の動輪です。
C57やD51のC、Dというのはその機関車の動輪の数を表していまして、Cだと動輪が3つ、Dだと動輪が4つある機関車なんです。
ちなみにC57は優美な車体の姿から「貴婦人」という愛称で呼ばれファンが多かった機関車なんです
。

子供が大好き、そして大人も大好きな鉄道模型のジオラマがありました。
手前は現在の福知山駅、奥は国鉄時代の福知山駅のジオラマですね
。

ワタクシは山陰本線も福知山線も非電化だった国鉄時代に何度か福知山駅を訪れたことがあります。
訪れたと言っても山陰本線と福知山線を乗り継ぐために下車しただけなのですが、
列車を待つ時間に駅の構内を眺めていました。大きな機関庫と転車台があったことを、微かに記憶していました
。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
福知山線は大阪と福知山を結ぶ路線ですが、長らく非電化が続き、大阪近郊とは思えないようなローカル線のような路線でした。
しかし、国鉄が民営化されてJRになると兵庫県の宝塚市や三田市などと大阪を結ぶ通勤路線として快速列車が投入され、
列車の高速化が進みました。しかし、その結果として2005年4月に脱線事故が起こり、
107名が死亡、562名が負傷するという大惨事が起こりました。皆さんの記憶にもあるのではないでしょうか。
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さてさて、福知山市のシンボルとも言うべき福知山城を訪れたワタクシ達は訪れました



復元された天守閣ですが、内部は郷土資料館として公開され、城に関する資料や福知山地方の歴史・文化財が展示されています。
ワタクシはこういう資料館を見学するのが好きで、この日も興味深く資料を眺めていたのでした



2022年に福知山城では将棋の竜王戦が行われ、藤井聡太竜王と広瀬章人八段が対局したそうです。
その場所が「将棋フォトスポット」となっており、誰でも自由に将棋を指したり写真を撮ったりすることが出来るとのことです



天守閣の上から福知山の町を見下ろします。福知山市には京町、鍛冶町、呉服町、鋳物師町、紺屋町という地名が残り、
城下町から発展した町だということがすぐにわかります。地名はその地の歴史や地理を伝える貴重な文化です



福知山城を後にして、ワタクシ達はお城の東側に向かいました。そこに何があるのかと言いますと…



城のすぐ東側に「福知山鉄道館フクレル」という小さな鉄道博物館があるんです。
福知山は明治時代に鉄道が敷かれると京都・大阪・豊岡・宮津・舞鶴への結節点として発展していきます。
さらに1950(昭和25)年、全国で27か所にしか置かれなかった鉄道管理局が福知山に設置されました。
町には鉄道病院や宿舎など鉄道の関係施設が次々と建設されていきます。
旧国鉄最盛期の昭和40年代には市民の約10人に1人が鉄道の仕事に携わっていたというのですから驚きです。
こうして鉄道は福知山の経済を支える重要な存在となり、「鉄道の町」として大いに賑わったんです



これは1949~73(昭和24~47)年に福知山線・山陰本線を走った旅客用蒸気機関車C57の動輪です。
C57やD51のC、Dというのはその機関車の動輪の数を表していまして、Cだと動輪が3つ、Dだと動輪が4つある機関車なんです。
ちなみにC57は優美な車体の姿から「貴婦人」という愛称で呼ばれファンが多かった機関車なんです



子供が大好き、そして大人も大好きな鉄道模型のジオラマがありました。
手前は現在の福知山駅、奥は国鉄時代の福知山駅のジオラマですね



ワタクシは山陰本線も福知山線も非電化だった国鉄時代に何度か福知山駅を訪れたことがあります。
訪れたと言っても山陰本線と福知山線を乗り継ぐために下車しただけなのですが、
列車を待つ時間に駅の構内を眺めていました。大きな機関庫と転車台があったことを、微かに記憶していました


使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
福知山線は大阪と福知山を結ぶ路線ですが、長らく非電化が続き、大阪近郊とは思えないようなローカル線のような路線でした。
しかし、国鉄が民営化されてJRになると兵庫県の宝塚市や三田市などと大阪を結ぶ通勤路線として快速列車が投入され、
列車の高速化が進みました。しかし、その結果として2005年4月に脱線事故が起こり、
107名が死亡、562名が負傷するという大惨事が起こりました。皆さんの記憶にもあるのではないでしょうか。