こんにちは☔️今日はすごい雨☔️とギラギラとした晴れ間と☀️
梅雨の終わりを感じさせる1日でしたね。
治療室で育てていた「ハイビスカス🌺」も
今日やっと開花しました😊😊
毎週日曜日は、院長のひとりごとです。
「地震じゃないの?」三月十一日の午後の治療が始まった直後三番目のベット
で次の治療の順番を待っていた患者様がつぶやいた。
名古屋では、「あれ、目眩かな?」そんな感じの始まりであった。
人類の傲慢、奢りとも言うべく原発開発に自然が猛威をふるった。
「地震じゃないの?」三月十一日の午後の治療が始まった直後三番目のベット
で次の治療の順番を待っていた患者様がつぶやいた。
名古屋では、「あれ、目眩かな?」そんな感じの始まりであった。
だんだんに大きく揺れていく、その揺れ方にこれは遠くで大地震が発生したぞ!と直感した。
患者様に「これは大きな地震だが震源は遠いから落ち着いて!」と伝えて治療室の
BGMをラジオに切り替えた。すでに「三陸沖で大地震発生による津波の恐れあ
り!」と、繰り返し放送されていた。その地震が、世界的にも類を見ない大地震
となるとは予想だにしなかった。大地震と大津波と言う天災に加えて、原子力発電所の破損という人災が加わった。
患者様に「これは大きな地震だが震源は遠いから落ち着いて!」と伝えて治療室の
BGMをラジオに切り替えた。すでに「三陸沖で大地震発生による津波の恐れあ
り!」と、繰り返し放送されていた。その地震が、世界的にも類を見ない大地震
となるとは予想だにしなかった。大地震と大津波と言う天災に加えて、原子力発電所の破損という人災が加わった。
人類の傲慢、奢りとも言うべく原発開発に自然が猛威をふるった。
『死の灰・放射能』という見えない敵との戦いに勇敢に挑む日本人勇士に世界のメディアは喝采を送ったが・・・・・。
原発事故で思い出すのはアメリカのスリーマイル島原発事故・ソビエト連邦(現:
ウクライナ)のチェルノブイリ原発の臨界事故・日本の東海村臨界事故
原発事故で思い出すのはアメリカのスリーマイル島原発事故・ソビエト連邦(現:
ウクライナ)のチェルノブイリ原発の臨界事故・日本の東海村臨界事故
そして今回の福島第一原発事故だ。
茨城の東海村のJOC臨界事故(1999年9月30日)はまだ記憶に新しい。
茨城の東海村のJOC臨界事故(1999年9月30日)はまだ記憶に新しい。
その著書の一部を引用する。
『バケツで七杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し始めたとき、大内はバシッという音とともに青い光を見た。
『バケツで七杯目。最後のウラン溶液を同僚が流し始めたとき、大内はバシッという音とともに青い光を見た。
臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」だった。その瞬間、放射線の中で最もエネルギーの大きい中性子線が大内た
ちの体を突き抜けた。被爆したのだった・・・・・。』(被爆治療83日間の記録 NHK取材班 岩波書店より)
ちの体を突き抜けた。被爆したのだった・・・・・。』(被爆治療83日間の記録 NHK取材班 岩波書店より)
次週に続く
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