真柳誠先生の『現代中医鍼灸学の形成に与えた日本の貢献』より
承淡安(1899ー1957)
1929年に中医が弾圧された時、江蘇省の呉県に「中国鍼灸学研究社」を設立し、
中国初の鍼灸通信教育を開始。32年に無錫に移転
そして1933年には中国で初めての『鍼灸雑誌』を発行
なぜこのようなことをしたか
当時は清朝の鍼灸廃絶策から、すでに100年
(1822年清朝政府は鍼灸を永久廃止する条例を定めた. ことにより,鍼灸衰退期を迎える)
中国の伝統を受け継いだ正式な鍼灸がほとんど絶滅し、
非常にレベルの低い民間療法的な鍼灸しかなく、それもごく僅かだった時代
あまりにもレベルが低すぎたため、承淡安はこうした教育活動を始めた
さらに1934年から35年の8ヵ月間、承淡安は来日して日本の先進的な鍼灸教育を調査し
彼は東京高等鍼灸学校(呉竹学園)にて約半年ほどの授業を受け
終了時には日本の鍼灸教育を受けたという資格証を受け取ります
この時に坂本貢校長は目黒の雅叙園で特別に宴を催し、彼の終了を祝賀しました。
私たち日本人に『十四経発揮』は馴染み深い本ですが、
実は中国で殆ど消滅寸前だった~
滑伯仁の『十四経発揮』3巻は江戸時代に17回も復刻され、
中国医書の和刻回数では第3位で、江戸から現在まで読まれ続けています
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日本は中国で失われた多くの佚存古医籍や善本を保存し現在に伝えてきました
これらに基づき、江戸末期まで高度な古典研究がなされ
明治以降は近代医学も導入した研究、鍼灸教育システムが体系化されてきました
中国の鍼灸は清末の廃絶により、民国初期に壊滅状態に至っていました
民国政府は中医廃止策をとりましたが、日本の研究成果も援用した中医の反対運動で幸い存続できました。
そして承淡安らが日本に学んだ鍼灸学と教育は、新中国以降に中医鍼灸学が復興する礎となったのです
日本が中国医学を受容・研究してきた成果は近代以降の中国に伝入
いま新たな中医学として日本に再渡来しています
中華人民共和国成立後も日本人著者の鍼灸書が多く中国で翻訳され出版されたそうです。
代田文誌先生、柳谷素霊先生、赤羽幸兵衛先生、本間祥白先生、間中吉喜雄先生などの本・・・
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