午前中は葬儀に参列。
有名な方なのに、参列者は数十名でした。準備してあった席は半分以上が空席。
参列者を予定するのは難しいものですね。
ウイークデーというのもあって、或いは夕べのお通夜の方にしか行けない人が多かったのかも知れません。
いずれ我々も、考えなければならないことなので。
午前中は葬儀に参列。
有名な方なのに、参列者は数十名でした。準備してあった席は半分以上が空席。
参列者を予定するのは難しいものですね。
ウイークデーというのもあって、或いは夕べのお通夜の方にしか行けない人が多かったのかも知れません。
いずれ我々も、考えなければならないことなので。
明日は夫婦でお世話になった方の葬儀に出席です。
夫が要介護のため公の場所への出席は失礼していますので、私一人の参列です。
88歳までの生存をちょっとご長寿の方、という風に私は感じているのですが、一般的にはずいぶん長生きになるんでしょうね。
社会的にはお偉い方でしたが、親しくお酒を飲み、熱っぽく語り合った年月がどのくらいあったでしょうか? 夫と3人だったりほかの仲間と一緒だったり。とのかく長い年月です。
私はどんなお相手でも歯に衣着せずにものをいう方ですが、その方は、とにかくいつも穏やかで知的な方でした。
前触れもなく訪れる別れが、こんなにも静かで温かいものだというのは、長い人生で多分初めてのことのような気がします。
明日の葬儀では違う私になるかも知れませんが。
今日はシャンソンのレッスン日。
仲間それぞれを異なった個性に育てるのは、骨の折れることですが興奮するテーマです。高齢になるにしたがってもなお興奮を伴う熱い経験ができるというのは、なんとも幸せなことですね。
アスペルガーの青年が、多少のムラがあるにしても、聞き取り難かった発声につやが出て来たように思います。
与えた曲の歌詞を、次のレッスンには覚えて来ます。頭がいいのです。シャンソンがとても好きなのかも知れません。
小人数だから出来る精一杯のことを、やり続けたいと改めて思ったことでした。
昨日は、老老介護をしている友人の家の査定やら、書類の件やらについて、知り合いの不動やさんを連れて行って余計なお世話をやいてきました。
弱っている人を放っておけない困った性分です。
帰宅後はまた出直して、4種類の豆類の苗と花の苗を買って帰り、それを植えたり、残っていた種を蒔いて支柱を立てたり、ついでに草をとったりして楽しく充実した時間を過ごしたのですが、少しハードだったかも?
同級生の死亡報告を聞くたびに寂しさに襲われます。
もう生き残っている人が少なくなって70代の頃ほど多くはないけれど、体のどこかが抜け落ちるような痛みを覚えるのです。
でも私は普段から若い人たちとの交流が多いので立ち直りは早く、シャンソンが明日へ目を向けるように急かすので助かってはいるようですね。
遺伝的に長寿の私になりそうなので今後の長い時間を考えると、ここで大きく頭を切り替えて、マイペースの明日にしなければと改めて考えているところです。肉体や常識的な思考は衰えても、長い年月蓄えた知恵や、心の奥底に丁寧に畳み込んだ諸々を出し惜しみするのは勿体ないでしょう?
もしかして、今後100歳の人生が当たり前になるとしたら、高齢者を弱者と考えずに個性と位置づけて、邁進することにしましょうか!!