仕事柄、人の顔を見ることが多い。
というか、歯をみているけれど、噛み合わせから顔動きや表情を見る。
その時によく思う。
矯正しているとよく思う。
「顔が、なんで変わるんだろう」と。
「なんで、ビフォーとアフターが違う人と、違わない人がいるんだろう。」と。
私の持論を言うならば、それは、「昔の自分に気づいて、自分らしい自分に着替える」ことが出来た人は、「人から見て、変わったね」と言わ れ、
「気づいていても、着替えることをしなかった人や、気づかなかった人」は、「何が変わったの?」と人から言われる人だと考えている。
これはあくまで、仮説なので、間違っているかもしれない。
実は、いままで私が働いているクリニックのクライアントさんたちをみていて・・この結論に達しつつある。
仕事柄、歯だけでなく顔の変化も見るものだから、どうしてもこのことが気になるのである。
変わらない人は、
「変化のなかった人」。
変わったと言われる人は
「変化のあった人」だ。
変わらない人は、変化がなかったのだから、外面の変化と、内面の変化が人から見てあまり変化がなかったと表現しても良い。
変化した人は、(私から見ると)とても変化するが、その変化がその人 らしい変化なので、私の立場では、
「なぜ、このように変化したのか」、「どうしてこんなように変化したのか」はわからない。
でも、その人らしいキレイに変化ができたことはとてもうれしい。
世の中に、変化しないものはないけれど、あえて、変化を最小限にして、自分を軸に考えようとする人がいるようだ。
私も実はそうだと思っていたが、
上司から
「君は石橋をたたいて、たたきつぶす」と言われた。
でも、現在の私があるのは、ある時期から、既成の自分を壊したり、親から被せられた(被せても らった)ものを検証し、脱いでみることをしたときからだった。
今になって気づいた。
私は変化ある人生を好む。
その時その時に自分の足りないものを出会う人によって知り、その人から学ぶ。ほとんどそれはマネから始まり、そしてまた次の課題を気づき、変化する。
最近私がお世話になっている方々というのは・・・たぶん、その方の人生の中で、私と関わるときは、
おそらく
私自身に
「何かしらの理由で、あることを決断した後」のことなのかもしれない。
どうせなら、
「かつての自分を脱いでみて、自分らしいものってなんだろう」
と、考えても損なことはないと思う。
やってみようと思う人もいれば、それでも、「やっぱりだめ」と思いとどまる人もいるのかもしれないけれど・・
それでも変化すると顔が変わってくる。
それが美しいか格好良いか
それとも老けたね
苦労したね
と客観的評価をどう得るかは
その人次第である。