2.テニス始める
同じ苗字である
4.息子13回忌
5.手放す
限界が来るまで周囲に言わずに、ひとりで頑張ってきたからなんですね、、
1番思ったのは、、
言ったら批判される。
これがわかるから黙っていたのがある。
あとは、、
言ってもどうせ変わらない。
何度も同じこと言うのがしんどくなってくるのです。
それとか、、
言ったら迷惑をかけてしまう。
こういったところから、
言ったら後悔するのが目に見えていると、「言いたくても言えない」という心理状態に陥ってしまうわけで。
それって実は
「言わなかった」
のではなくて、
「言える環境ではなかった」
可能性は高いわけで。
その場合は、
「言えなかった」自分を責める必要はなくて、
「言いたいけど、言えるような環境ではなかった。」
正直、、ここまで耐えるしか選択肢がなかった。そんな環境だったのですね、、
その場合は
よく頑張った
と、自分を褒めてあげるのがいいのだとやっと気がついた。
自分を責めないように、、、
私がよく陥るものは、振り返って
「自分にも悪いところがあったのかも」
「相手は今相当に大変だったのかな」
何かあった時、客観的に物事を見て、冷静に判断することは必要です。
ただ、それをかんがえるとはっきりいって私原因ではなく、相手原因だということがわかる。
相手の精神状態の善し悪しで振り回されている自分がいたこと。
このように考えられたからこそ、大切な人を傷つけずにすんだこともあったのだけれども、、、
でも相手の事情を理解することと、自分が感じた気持ちを「なかったこと」にするのは、別問題であって。
事情があるからと言って何をしてもいいわけではないし、何を言ってもいいわけではありません。相手の事情を理解して、自分が許したり我慢したりしなきゃいけないなんてルールはありません。
「相手に悪気はなかったのだから」と傷ついた気持ちをなかったことにしていたけれど、、自分の気持ちを否定することにつながっていて、正直解消されない。
急性的な対応でーができても、それはバンドエイド傷口に貼っているだけで、中に浸透した傷は解消されないまま。
根本的な解決をしたいと思っていても、相手は急性的なバンドエイドを貼るしか頭にないのだから。
それって、、足を踏まれて「痛い!」と思った時に、「わざとじゃないんだから我慢しなさい」と諭されるようなものです。
わざとではなくても、痛いものは痛い。
「痛い!」と正直に感じることと、「痛い! 何してくれるんだ!!」と相手を責めて攻撃することは違っていて
だからといって、「痛い」と感じた気持ちまでなかったことにする必要はない。
でないと自分も心を我慢で押さえつけてしまうのだから
嫌なものは嫌でいい
相手に悪気がなくても、心が傷つくことがある。
相手に何か事情があったとしても、許せないと思うこともある。
理解しろや許せという言葉を何度も聞いてきたし、そうしてきたけれど、、
そういう人なのだと理解したとしても、嫌なものは嫌だし、悲しい気持ちや我慢する気持ちは抑えなくていい。
あの人の事情を理解してあげたように、自分の気持ちも理解して行くことが大事。