よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

初不動(高幡不動尊)で開運満足

2017年01月28日 | 神社仏閣
高幡不動尊に参拝する。今日は初不動だ。

いつもどおりタイミングがよい。京王線新宿駅に着くと同時に、始発電車が到着。
電車内でタブレットを弄っていると、午前9時8分が新月になるという情報が目に入った。

ちょうど9時10分ごろに高幡不動尊駅に到着。
午前の割に、参道は混んでいる。
その様子を撮影しようと一眼レフを持参したのだが「メモリーカードが入っていません」という表示がで出てしまった。
実に私らしい迂闊さだ。

10時のお護摩申し込みを済ませ、不動堂にこもってお不動様に祈る。
その後、堂内隅で新月の願い事を手帳に書きこむ。
お不動様の近くで書くと、心願も叶いやすくなる気がする。

15分前に本堂へ向かうと、中に入らんとする人たちの行列が長くのびていた。
さすが初不動。左端にちょこんと座る。この位置からはお不動様は見えない。
ただ、不動堂で先代お不動様の姿を目に焼き付けたので、特に不満はない。

中は、人でぎっしり。
お不動様像近くで参拝する場合、小さな入り口から一人一人、左の掌に塗香をつけてもらうので、なかなか前に進まない。

「皆さま、本来ならゆっくり参拝していただきたいのですが、お護摩修行中に全員の方に参拝していただかなければなりません。
 歩きながらお参りしてください」

お坊さんたちが必死で雑踏整理に励んでいる。

運のいいことに、私は護摩修行中に像のそば近くで祈ることができた。

私が元の場所に戻ったとき祈祷が止み、お坊さんのお話が始まったが、まだ参拝できていない人たちもかなりいた気がする。


今回の祈願いは「開運満足」にした。

昨年は「災難消除」にしたが、知足から開運し満たされるように願いを込めたのである。


護摩修行が終わって、お札を受け取ろうとしたのだが、どこに受取所があるのかわからなくなった。

…後で、慣れた場所でなぜまごついたか判明した。
次の護摩修行の人たちの列で「受取所はこの階段を下りてください」の表示が見えなかったのだ。

とにかく、すごい人数!!



前回参拝時は大師堂は空いていたのに、今日は行列ができていた。
四国八十八箇所のお砂踏みは、今月初めに済ませているので、本日は遥拝のみとする。

帰りは吉祥寺でランチをし、洋服やらプレゼントやらを買い込む。
吉祥寺は大好きな街のひとつだが、財布からどんどん金が出ていく状況に陥りやすいので気をつけねば。

開運満足。

今年のテーマはこれで行こう。


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厄除けについて

2017年01月24日 | 運気アップ
神社仏閣巡りが好きだから、厄年でなくても行く。

でも厄除祈願をしようとしたら、「厄年でないときは『災難除祈願』にしてください」と言われた。

ふうん、そういうものなのか。


おススメは、千葉県の検見川神社

方位除けで有名なのだが、一連の行事が楽しい。

待合室でお茶とお菓子の饗応があり、その後白い格衣を身に着け、巫女さんに両手を清めてもらう。

その後神前の椅子に座り、神主さんが各人の氏名と願い事を読み上げ、祈願する。

最後に各参拝者は、榊を時計回しにし、茎の先を神様に向けてお供えする。


その後、お札とお菓子とお神酒と小さいお札のセットをいただく。

お供えの額は、3,000円から。


過去に神社仏閣に参拝しなかった年(2回)はいずれも大怪我をしたので、とにかく年に一度はどこかにお参りしないと気持ちが落ち着かない。

天気運と交通運と金運は強まってきたから、これからも運気アップに努めるべく神社仏閣巡りをしようと思う。


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しっぽりは艶めいた響き?

2017年01月23日 | 日記
同僚と話をしたときのこと。

「最近頭の回転が悪くなったし、体力も落ちて体調も良くないし、閑職でしっぽり働きたいわ」と漏らしたら

「しっぽりって…」と苦笑された。


しっぽりの意味を調べたら、「十分に濡れたさま」「男女の情愛が細やかなさま」とある。

あ、だから微妙な反応を見せたのか。


ちなみに「落ち着いて静かなさま」という意味もある。

もちろん、私はこちらの意味で用いたのだ。


落ち着いた環境で、心静かに過ごしたいな。


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おねだり君、沈静化する。

2017年01月22日 | 日記
傍迷惑な教えてちゃんについて、先日の日記に書いた。
その結末を綴っておこうと思う。


殆ど泣きつかんばかりの体で、再取材をメールでねだられたが、スタッフに状況を話して、電話等を取り次がないように遮断した。

うちのスタッフも「あり得ない…!」「それは無視していいと思います」「なんかいろいろ残念な人ですね」と理解してくれた。


先週、ようやく「申し訳ありませんでした」という諦念メールが届き、ほっとした次第である。

でも、彼は自分の何が悪かったのかはわかっていないのだろうな…。


私も今回の件では「無差別に他人に手を貸すものではない」という貴重な教訓を得た。


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