J=M・G・ル・クレジオ原作 『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』
MONDO et autre histoires より 『モンド』
トニー・ガトリフ脚本・監督 『モンド 海をみたことがなかった少年』 Mondo
船が座礁したか何かで、積荷のオレンジがいっぱい
波間に漂って、打ち寄せてくる … モンド少年が笑いながら、集めていると
オレンジに何か書いてある … 読めないので、一緒に集めていた誰かに
訊いてみるが … 何処から来たのかも、家族が居るのかもわからない、
そして、文字を知らないモンドには、オレンジたちが、何かを伝えに、
海が寄越した、母からの手紙のように、思えたのかもしれない …
次から次へと打ち寄せる、オレンジを手にしてみても
さざ波のように囁く声が、聴こえるような気がするだけで
何が書いてあるのか、聴き取れない …
海辺で終日釣りをしている、マルセルという引退した船乗りに
字を教えてもらう … 船乗りは、丸く平たくなった石を集めて、
一つずつにナイフで、アルファベットを刻み、裏に、そのアルファベットが
名まえの頭文字になっていて、形がそのアルファベットのようになっている
物の絵を刻む …
A:2枚の羽根を後ろに畳んだ蝿 B:お腹が2つある、おかしな奴
C:三日月 D:半月 E:熊手 F:シャベル
G:肘掛椅子に腰かけた、太った人 H:高い木や家の屋根にのぼる梯子
I:爪先で踊り、飛び上がる度に、小さな頭が胴体から離れる
J:バランスをとって、体を揺すっている K:老人のように折れ曲がっている
L:川岸に立っている木 M:山
N:名前 (NOM) を呼び合い、人々が挨拶している
O:満月 P:片足で立って眠っている Q:尻尾の上に坐っている
R:兵士のように大股で歩く S:いつだって蛇 T:きれいな船のマスト
U:花瓶 V & W:鳥たちが飛んでいる X:十字架
Y:両腕を上げて立って居り、「助けてくれ !」 と叫んでいる Z:いつだって稲妻
MONDO (世界) という名は、 「山があって、お月さまがあって、半月に挨拶する
人がいて、それからまたお月さま … たくさんのお月さまの居る名」 となり、
MARCEL は、 「山で生まれ、前世は蝿で、元兵士、三日月の夜に生まれて、今は
熊手で砂浜の掃除をしていて、死んだら川辺の木になる」 という名に …
モンドは自分でも字をたくさん書いてみる … マルセルが読んでみると、それは
母音が多くて、獣が鳴いているようで、二人は笑ってしまう …
でももうオレンジはなくて、郵便屋さんに尋ねても、彼宛ての手紙はなく、
新装開店の眼鏡店の広告をもらったりして、にっこりするが …
宿なしなので、熱を出し、倒れ込んだ、小高い山の上の、庭のある家に、
独りでひっそりと住んでいた、ヴェトナム人のおばあさんに
居たければ居ていいよ、と言われ、やっと追われたりせずに
暮らせそうだったのに、やっぱりまた出て行かなければ
ならなくなった時 … おばあさんはモンドを養子にする
方法を考えていたのだったけれど …
あれから何日、何年たったのだろう … 庭にまたたくさんなった
オレンジの木の、全部の実が、何か囁いている … 「たくさん、たくさん、
ありがとう」
TOUJOURS BEAUCOUP (いつまでも たくさん)
この言葉は、少年の手で、大きな丸いすべすべした石に
時の船乗りのような、金釘流の大文字で刻まれ、表から裏へ、
円環状に繰り返し、読まれるようになっていた …
少年の自由を奪うことなく、その住処、故郷として門を開け放った、
老女の庭の、古いオレンジの木の下に、半ば埋もれるように置かれていて、
永く豊かな実りをもたらした …
その石を見て、もいだオレンジを入れていた、籠を取り落とすように
地面に下ろした、ヴェトナム人の老女を想い出す …
大切な、秘密の手紙をもらっていたのに、ずっと何年も
気づかなかった … というように …、はやる手を抑え、天地が
照覧している気配に慄きながら、そっと石を拾い、
思いがけず、それは大きく重いので … モンドの願いのように …
其処に坐り込んで、石を抱え、かつて、それを握っていた
小さな手が、まだ其処にあるかのように、いつまでもさすっている …
beaucoup toujours では、「まだ 多くの」
toujours beaucoup だと、「いつも ずっと」
というような意味合いになり、意味の重心が僅かに移り変わる …
そのような揺らぎを含んだまま、円環状に閉じて無限に繰り返される
ことによって、万物を動かす二重螺旋へと縒り合わされては解け、
進化と飛躍の奇蹟を起こす、魔法の呪文、遺伝子コードとなる …
あの子どもは、たくさんの人々の、失われた子ども時代で、
もう思い出されることもなく、その人々の記憶から追い払われ、
彷徨い出てしまった …
何処から来たのか、誰の子ども時代なのかも、もう定かではなく、
何処にも居場所がなくて、大人になることもできない …
あるいはまた、大人になる前に命を落とした子どもたちが、
もう親も年を取って居なくなり、誰にも思い出されることも
なくなって、でもその場所や季節だけが、その子たちをまだ
憶えていて … 何かの加減で、そういう失われた子ども時代や
子どもたちが一人の男の子になって、皆の何故かわからない
切ない思いや行き暮れた眼差しを感じながら、何かを探している …
眠りから覚めた時、そんな気がすることも …
ル・クレジオの原作も、素晴らしかったのですが、
トニー・ガトリフの映画化は、その詩情を余す処なく伝えながら
奇蹟のように完璧に映像化されており … 主人公の子役は、
本当にルーマニアからの不法移民で、強制送還されそうになっていた
という、本物のモンドのような、素人の子だったとか …
レンタルされていないとのことなので、探してみました … 英語字幕ですが …
本のほうは文庫化もされ、古書店では廉価の棚にもよく入っています …
検索していて、船舶の国際信号旗というものが、はっきりした
色と形の組合せで、アルファベットを表し、且つそれぞれが
とても多くのことを伝えているのを、知り …
アルファベットで 名まえを書いてみると、日本人では、
助けを呼んでいるのに、蝿が来ちゃう人は、結構多いと思うのですが …
ちょっとがっくり … hazar も、「梯子にとまった蠅が、稲妻に打たれて、
二匹になり、兵士のように大股で歩く」 などという、蠅ばかりが居る名に …
… 比翼連理という言葉には、一足一翼なので、二羽で初めて、
互いに助け合って飛べる、蝱というものが居るらしく …
二つで初めて、奥行方向へと進む、視線のようだな、と思ったことが …
日本にも 『風の又三郎』 という宮沢賢治の小説や、映画がありました …
その子がほんとうに居るのか判然としないまま、突然やって来て、また
すぐに居なくなるという想定や、映画のほうでは監督の息子さんが又三郎を
演じていたという処も、不思議と照合するようにも …
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