滝川で特急を降りて普通列車の旅を再開。
1番ホームには15時38分発東鹿越行き停車中。もう根室本線が1本の線路で結ばれることなどないだろう、1年前に落合に立ち寄った時に、あの状況、劣化具合では再整備するとなると一から作り直しになってしまう。しかし廃止ありきで、上落合信号場までのたった17.4キロが復活できないというのがなんとも。似たような境遇の路線の函館本線の山線と違って比較的最近(といっても40年前だけど)まで唯一の幹線路だったので長大列車走らせても何ら問題なく、電子閉塞ではなく通常のCTCでかつ単線区間も閉塞が分かれていたのですぐに続行できた。東鹿越~落合で5閉塞に分かれているくらい。
私は15時45分発岩見沢行きに乗車。まだガラナ飲んでいなかった、最初はガラガラの車内でこの時間帯なのに帰宅高校生乗らんのかと嘆かわしくなってきたが美唄でどっと乗ってきて安堵。女子高生ばっかり乗り込んできた、田舎あるあるで同じ電車でも1両目は男子、2両目は女子とか、1両目は〇〇高校、2両目は××高校みたいな棲み分けで座る位置もだいたい決まっている。なので私のような普段いない人が自席にいるとほかに空席あるのに座ろうとしない。
岩見沢で降りたのは何年ぶりだろうか。ここから10分と離れていないところに実家はあるがいろいろ面倒なことが多く絶縁状態に近い状態で長年帰っていない。仮にいま行ったとしてもこんな時勢に来るなと言われかねないから立ち寄らない。正直なところ両親は生きているようだけど何かあろうが関わりたいとは思わないし終活は自分でやってくれ、一切合切の権利発生しても放棄でいい。私だって間違いなく孤独死で無縁仏になると思っているしそれでいい。
それに駅前からして私の知っている岩見沢駅前じゃないんだよ。小学生の頃は駅前広場から中央バスと国鉄バスが発着し、国鉄バスの駅舎もあって横に手小荷物の建物があった。狭い道にアーケード商店街があり、鉄道の乗り換え客をあてにした食堂や立ち食いそば屋が何軒もあった。西側には国鉄の購買部があって職員の家ではなかったがたまに一般客向けの折り込みチラシが入ったのか何度か行った覚えはある。操車場もあったので駅員だけで500人以上所属して、ほかに機関区や車掌区に保線区なども入れれば1,000人近くの国鉄職員がいて名実ともに国鉄の街だった、学校のクラスで親が国鉄は至って普通だった。しかし操車場の廃止に国鉄の民営化で職員激減。幸い周囲には清算事業団行きとか広域配転はいなかったが街が寂れてゆくのははっきり分かる。産業も育たないから人口流出は止まらずに、国鉄民営化でも8万は割り込まず、炭鉱の閉山で人口流入があり82,000人くらいの街が平成の合併で95,000人くらいに増えたのに今は78,000人。20年ほどで2万人近い人口減、まあ雪の無いところに住んだらもう住みたいとは思いませんね。
帰りの飛行機にはまだ余裕あるので室蘭本線に乗車、こちらはいったい何年ぶりか。16時37分発苫小牧行き、車両はキハ150の2両編成で、東室蘭~長万部が完全にH100に置き換わったので、石勝線共々キハ40から変わった。帰宅高校生でいっぱいだが美唄同様に座る位置が決まっているのかロングシートは空席があるので座る、どうせ栗山まで行けば嘘みたいにガラガラになるはず。私が高校生の頃は岩見沢と栗山で普通科の学区が違うので今日ほどは混まなかった記憶。駒大岩見沢や学区関係ない岩見沢農業とかに通う生徒か、学区外はいたけども枠があるのでクラスに1人か2人程度だったなあ栗山方面は。しかし車内の女子高生が全然かわいくないなあ…。足太くて傷だらけなのに生脚とか、ハイソックスで隠したほうがいいんだけど、顔が私の同級生だった子にどことなく似ている。もしかして君のお母さんは〇〇…、名前が出てこないわ。
車内は志文で下車は2人しかいないものの栗沢で15人ほど降りて2人用ボックス席を確保して移動、栗山で予想通りの大量下車があり続いて由仁で15人ほど、長ネギのささったスーパーの買い物袋を提げた高校生もいた。事情あってあの子が家事をしているのかなって、そして古山で2人、三川で2人降りこの先は胆振エリア(駅はないけど千歳市を若干かすめます)。
1両目は私だけの貸切で2両目には2人だけ。つまり通学需要以外はないということで、これじゃあ存廃論議が上がっても致し方ない。追分で千歳方面あれば乗り換えたいが、以前はあったはずだが間引かれて無くなり苫小牧方面へ。乗客はあまり増えない。輸送密度が500程度と国鉄時代なら第2次特定地方交通線廃止レベル。「もし」とか「たられば」は禁物だけど当初計画通りに電化がなされていたらどうだったのかなとは思うけど。国鉄時代のことだから711系が大量配置されて室蘭本線の全線は勿論函館方面まで運用をするとは思うが、3両では輸送過剰なので713系が九州ではなく北海道に生まれていたかもしれない。ED76は民営化後も貨物の主力として暫く走り、EH500が首都圏から札幌貨物ターミナルまで通し運用でいまも五稜郭~札幌で道内運用をこなしている。
苫小牧まで乗り通してもいいが沼ノ端で下車で17時56分、苫小牧は先月降りたから…。キハ150に替えて速度査定を見直したのかな。以前はもっとかかった印象。乗り換え時間は40分以上あります。
橋上式の駅舎で下りホームの階段には簡易式の券売機とIC専用の改札機。JR北海道では自動改札導入時に小規模駅用に紙の切符の入場記録のみができる改札機を導入してコストダウンを図った、下車時の集札機能は無いので箱に入れて降りるのですがこれにはICリーダーを取り付ける拡張性がなく、さらに簡易式のIC改札機を(棒の上に読み取り機が付いているタイプ)を設置することになった。よって紙用の改札機の更新時期に伴い一旦すべて撤去してIC専用の薄型に取り換えた。実際には紙の切符の処理機能もつけることは可能なタイプだがそれをしないというのは無人駅に設置して詰まりの対応が大変だったと察する。
一方で千歳・札幌方面は通常型の券売機、1,000円札のみでチャージ不可と機能限定してあったが、特急〈すずらん〉停車駅なので需要の違いといったところでしょう。
駅前はあまり変わらないなと思う、大きな通りに出ればスーパーとドラッグストアがあるがその途中の焼肉屋からなんともいい匂いだこと。
18時49分発に乗って新千歳空港へ、丁度いい時間になりました。
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1番ホームには15時38分発東鹿越行き停車中。もう根室本線が1本の線路で結ばれることなどないだろう、1年前に落合に立ち寄った時に、あの状況、劣化具合では再整備するとなると一から作り直しになってしまう。しかし廃止ありきで、上落合信号場までのたった17.4キロが復活できないというのがなんとも。似たような境遇の路線の函館本線の山線と違って比較的最近(といっても40年前だけど)まで唯一の幹線路だったので長大列車走らせても何ら問題なく、電子閉塞ではなく通常のCTCでかつ単線区間も閉塞が分かれていたのですぐに続行できた。東鹿越~落合で5閉塞に分かれているくらい。
私は15時45分発岩見沢行きに乗車。まだガラナ飲んでいなかった、最初はガラガラの車内でこの時間帯なのに帰宅高校生乗らんのかと嘆かわしくなってきたが美唄でどっと乗ってきて安堵。女子高生ばっかり乗り込んできた、田舎あるあるで同じ電車でも1両目は男子、2両目は女子とか、1両目は〇〇高校、2両目は××高校みたいな棲み分けで座る位置もだいたい決まっている。なので私のような普段いない人が自席にいるとほかに空席あるのに座ろうとしない。
岩見沢で降りたのは何年ぶりだろうか。ここから10分と離れていないところに実家はあるがいろいろ面倒なことが多く絶縁状態に近い状態で長年帰っていない。仮にいま行ったとしてもこんな時勢に来るなと言われかねないから立ち寄らない。正直なところ両親は生きているようだけど何かあろうが関わりたいとは思わないし終活は自分でやってくれ、一切合切の権利発生しても放棄でいい。私だって間違いなく孤独死で無縁仏になると思っているしそれでいい。
それに駅前からして私の知っている岩見沢駅前じゃないんだよ。小学生の頃は駅前広場から中央バスと国鉄バスが発着し、国鉄バスの駅舎もあって横に手小荷物の建物があった。狭い道にアーケード商店街があり、鉄道の乗り換え客をあてにした食堂や立ち食いそば屋が何軒もあった。西側には国鉄の購買部があって職員の家ではなかったがたまに一般客向けの折り込みチラシが入ったのか何度か行った覚えはある。操車場もあったので駅員だけで500人以上所属して、ほかに機関区や車掌区に保線区なども入れれば1,000人近くの国鉄職員がいて名実ともに国鉄の街だった、学校のクラスで親が国鉄は至って普通だった。しかし操車場の廃止に国鉄の民営化で職員激減。幸い周囲には清算事業団行きとか広域配転はいなかったが街が寂れてゆくのははっきり分かる。産業も育たないから人口流出は止まらずに、国鉄民営化でも8万は割り込まず、炭鉱の閉山で人口流入があり82,000人くらいの街が平成の合併で95,000人くらいに増えたのに今は78,000人。20年ほどで2万人近い人口減、まあ雪の無いところに住んだらもう住みたいとは思いませんね。
帰りの飛行機にはまだ余裕あるので室蘭本線に乗車、こちらはいったい何年ぶりか。16時37分発苫小牧行き、車両はキハ150の2両編成で、東室蘭~長万部が完全にH100に置き換わったので、石勝線共々キハ40から変わった。帰宅高校生でいっぱいだが美唄同様に座る位置が決まっているのかロングシートは空席があるので座る、どうせ栗山まで行けば嘘みたいにガラガラになるはず。私が高校生の頃は岩見沢と栗山で普通科の学区が違うので今日ほどは混まなかった記憶。駒大岩見沢や学区関係ない岩見沢農業とかに通う生徒か、学区外はいたけども枠があるのでクラスに1人か2人程度だったなあ栗山方面は。しかし車内の女子高生が全然かわいくないなあ…。足太くて傷だらけなのに生脚とか、ハイソックスで隠したほうがいいんだけど、顔が私の同級生だった子にどことなく似ている。もしかして君のお母さんは〇〇…、名前が出てこないわ。
車内は志文で下車は2人しかいないものの栗沢で15人ほど降りて2人用ボックス席を確保して移動、栗山で予想通りの大量下車があり続いて由仁で15人ほど、長ネギのささったスーパーの買い物袋を提げた高校生もいた。事情あってあの子が家事をしているのかなって、そして古山で2人、三川で2人降りこの先は胆振エリア(駅はないけど千歳市を若干かすめます)。
1両目は私だけの貸切で2両目には2人だけ。つまり通学需要以外はないということで、これじゃあ存廃論議が上がっても致し方ない。追分で千歳方面あれば乗り換えたいが、以前はあったはずだが間引かれて無くなり苫小牧方面へ。乗客はあまり増えない。輸送密度が500程度と国鉄時代なら第2次特定地方交通線廃止レベル。「もし」とか「たられば」は禁物だけど当初計画通りに電化がなされていたらどうだったのかなとは思うけど。国鉄時代のことだから711系が大量配置されて室蘭本線の全線は勿論函館方面まで運用をするとは思うが、3両では輸送過剰なので713系が九州ではなく北海道に生まれていたかもしれない。ED76は民営化後も貨物の主力として暫く走り、EH500が首都圏から札幌貨物ターミナルまで通し運用でいまも五稜郭~札幌で道内運用をこなしている。
苫小牧まで乗り通してもいいが沼ノ端で下車で17時56分、苫小牧は先月降りたから…。キハ150に替えて速度査定を見直したのかな。以前はもっとかかった印象。乗り換え時間は40分以上あります。
橋上式の駅舎で下りホームの階段には簡易式の券売機とIC専用の改札機。JR北海道では自動改札導入時に小規模駅用に紙の切符の入場記録のみができる改札機を導入してコストダウンを図った、下車時の集札機能は無いので箱に入れて降りるのですがこれにはICリーダーを取り付ける拡張性がなく、さらに簡易式のIC改札機を(棒の上に読み取り機が付いているタイプ)を設置することになった。よって紙用の改札機の更新時期に伴い一旦すべて撤去してIC専用の薄型に取り換えた。実際には紙の切符の処理機能もつけることは可能なタイプだがそれをしないというのは無人駅に設置して詰まりの対応が大変だったと察する。
一方で千歳・札幌方面は通常型の券売機、1,000円札のみでチャージ不可と機能限定してあったが、特急〈すずらん〉停車駅なので需要の違いといったところでしょう。
駅前はあまり変わらないなと思う、大きな通りに出ればスーパーとドラッグストアがあるがその途中の焼肉屋からなんともいい匂いだこと。
18時49分発に乗って新千歳空港へ、丁度いい時間になりました。
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