一泊で長野県へ 行くことになり、宿は今回も小諸市にとりました。
小諸市は歴史と文学、ロマンがある町です。
この場所へは数年前から年に3・4回来ることあり、今回も朝の散策を楽しんできました。
宿から歩いて1分もかからないところに島崎藤村のロマンただよう信濃の名城 小諸城跡の懐古園が
あり、朝の散策には絶好なところです。ウォーキングされてる方々が多く、さわやかな気分で今回も
散策ができました。
小諸城の起こりは、平安時代から鎌倉時代にかけて小室太郎光兼(木曽義仲の部将)が現城址
の東側に館を築いたのが始まりと書いてありました。
その後、織田信長の将 滝川一益、徳川家康の将 松平源十郎康国が城主になったとか・・・
この城の特徴は全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰でできているため、
水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
深い谷底があり、入れませんがとってもきれいな紅葉谷となっていました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で役割を終え、明治13年(1880年)に神社を祀り、懐古園と
呼ばれるようになったとのことでした。
島崎藤村が小諸へやってきたのが明治32年、恩師の木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任、
以降 小諸で過ごした7年間に『雲』『千曲川のスケッチ』『旧主人』などが生まれ、大作『破戒』が
起稿されています。
島崎藤村の小諸時代の作『千曲川旅情のうた』の詩碑で、詩面は藤村自筆とありました。
小諸なる古城のほとり、雲白く遊子かなしむ・・・
千曲川が見れる断崖の上にこの詩碑はあり、川の音も聞こえてとてもロマンを感じました。
又、この懐古園には高浜虚子の句碑
若山牧水の歌碑
『かたはらに 秋草の花のかたるらく ほろびしものは なつかしきかな』 もありました。
朝食を済ませ、次の訪問地への移動の途中で見事な浅間山の姿が見れました。 標高2,568m 雪化粧
帰りは新幹線 軽井沢駅より乗車
あさま号
昼食は 『峠の釜めし』
地ビール 『軽井沢高原ビール』を飲みました。
季節も冬になろうとしています。
標高1,000m の軽井沢では木々も葉を落とし、駅前の人工スキー場ではスキーを楽しむ
若者達も見れました。
小諸市は歴史と文学、ロマンがある町です。
この場所へは数年前から年に3・4回来ることあり、今回も朝の散策を楽しんできました。
宿から歩いて1分もかからないところに島崎藤村のロマンただよう信濃の名城 小諸城跡の懐古園が
あり、朝の散策には絶好なところです。ウォーキングされてる方々が多く、さわやかな気分で今回も
散策ができました。
小諸城の起こりは、平安時代から鎌倉時代にかけて小室太郎光兼(木曽義仲の部将)が現城址
の東側に館を築いたのが始まりと書いてありました。
その後、織田信長の将 滝川一益、徳川家康の将 松平源十郎康国が城主になったとか・・・
この城の特徴は全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰でできているため、
水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
深い谷底があり、入れませんがとってもきれいな紅葉谷となっていました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で役割を終え、明治13年(1880年)に神社を祀り、懐古園と
呼ばれるようになったとのことでした。
島崎藤村が小諸へやってきたのが明治32年、恩師の木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任、
以降 小諸で過ごした7年間に『雲』『千曲川のスケッチ』『旧主人』などが生まれ、大作『破戒』が
起稿されています。
島崎藤村の小諸時代の作『千曲川旅情のうた』の詩碑で、詩面は藤村自筆とありました。
小諸なる古城のほとり、雲白く遊子かなしむ・・・
千曲川が見れる断崖の上にこの詩碑はあり、川の音も聞こえてとてもロマンを感じました。
又、この懐古園には高浜虚子の句碑
若山牧水の歌碑
『かたはらに 秋草の花のかたるらく ほろびしものは なつかしきかな』 もありました。
朝食を済ませ、次の訪問地への移動の途中で見事な浅間山の姿が見れました。 標高2,568m 雪化粧
帰りは新幹線 軽井沢駅より乗車
あさま号
昼食は 『峠の釜めし』
地ビール 『軽井沢高原ビール』を飲みました。
季節も冬になろうとしています。
標高1,000m の軽井沢では木々も葉を落とし、駅前の人工スキー場ではスキーを楽しむ
若者達も見れました。
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