highdy の気まぐれブログ

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切ない恋の花をくれた女(ひと)その1

2020年09月03日 | その他



きょうは珍しく、切ない(?)思い出話です。
昨日 
highdy のブロ友fumiel-shima さん 勝手にブロ友にするなって叱られそうですが・・・)の記事に感化されての投稿です。

山ガール 
 地元に居た時、実家から歩いて5分のところに親戚ではないのですが、同姓の同級生 S 子がいました。普段はバイク通勤ですがバスを利用することもあり、バスの中で話をよくしました。
彼女はお茶も、花も、料理(食べたことはありません! が、話の詳しい内容で)も上手く、編み物や洋裁も得意で礼儀作法も心得え、気立ての優しい子でした。いまで言う”山ガール”で、山の少ない地方ですが大山や由布山などに登っていて、いろんな話をしてくれ時間の経つのも忘れさせる話術にも長けていました。

生花
 実は 
highdy も池坊生花(「せいか」、「しょうか」、「いけばな」とも言いますがその場合は「生け花」と表現することが多いようです。師匠は「盛り花」に対して「おしょうか」と呼んでいました。)を習っていて、真(しん)・副(そえ)・体(たい)と呼ばれる三つの役枝で構成される、ハラン3枚から始める2種生け、3種生けなどをやっていたのです。流派によっては、体を控(ひかえ)ということもあるようです。女子社員は全員とも盛り花をやっていましたが、1人だけの男子社員の highdy はどの流派もやったことがなく、全く解りません
 彼女とは同じ塾にも通ったし、顔には若干欠陥(?)があったものの頭も凄くいい子で同じ高校に進学しました。
 学校では挨拶をする程度で彼女は演劇部、highdy は化学や物理クラブで全く交流はありませんでした。卒業後は、地元山口医大の事務職として勤めていました。

中学校の仲間 
 S 子とは中学校3年生の時はクラスも異なり、塾以外では口もきいたことがありません。何故なら、その頃クラスには好きな片想いのとても可愛い(きれいなが正しいかも)A 子がいました。
50人×10クラスが1学年で、クラスの13~15番以内にいれば、上記の高校に入れると言われるほど学年中でも恵まれたクラスでした。
クラスには、学年でもトップクラスのクラスの男生徒 Y K が1、2番を争い、女生徒 O M 子が3、4番を争う状態で、いつも前途を4人から阻まれ、
highdy が彼らを追い越すことは卒業までにありませんでした。

彼らの人生
 4人とも同じ高校に入りましたが、は有名大学に進学のため東京の名門高校に転校して消息不明に、K は大学卒業後地元の大手有名企業に就職、現役引退後に精神的病に侵され見舞いに行こうと思っていた矢先に6年前に他界、O は県庁所在地に嫁いだことまでは判明なるも消息不明、M 子は就職2年目に帰宅中オートバイにはねられ20歳の若さで命を奪われました。
授業中に A子を見ようと斜め後ろを振り向くと、いつも 美人の M子と視線が合って気まずい思いをしました。(話が長くなるので割愛しますが、上記の M 子と小学校の卒業証書を代表で受け取ったのが、小・中・高で highdy がいじめられっ子になったきっかけなのです。同級生の羨望のまなざしを受けていた子だったためかな?)
highdy が片想いをする好きな A子も同じ高校には行きましたが、告白どころか誰にも話すことなく心に秘めたまま(純情だったんだな!)卒業してしまいました。


告 白
 55歳の同窓会A子に再会、 
highdy の転職後の会社がよく使う減速機で有名な大手重電機メーカーの方と結婚、四国に居ること知りました。
その後千葉に転居したそうですが、70歳の同窓会でも再会、初めて彼女に当時の想いを告げました。
昔の面影は残るものの、流石に当時の可愛さは見当たりませんでしたが、彼女はかなり驚いたようでしたがとっても嬉しそうでした。
それから年賀状のやりとりが続いていましたが、3年前の師走の初旬に喪中はがきが届いて、他界を知り少し寂しくなりました。

”山ガール” S子の話は長くなるので次回に・・・




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