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誰にでもある無知
哲学でも、宗教でも、学問でも困りごと・悩みごとなど解らない(判らない)ことは山ほどあるものである。
人は生きていく上で哲学や宗教的なことは自分なりに適当に判断することが多い。しかし、学問的な知識・情報・技術となると日常的な食事や健康上の問題のみならず、趣味や仕事に関して様々なことで困りごと・悩みごとが出てくる。それを即ち「己の無知」と知ることも大切である。
哲学でも、宗教でも、学問でも困りごと・悩みごとなど解らない(判らない)ことは山ほどあるものである。
人は生きていく上で哲学や宗教的なことは自分なりに適当に判断することが多い。しかし、学問的な知識・情報・技術となると日常的な食事や健康上の問題のみならず、趣味や仕事に関して様々なことで困りごと・悩みごとが出てくる。それを即ち「己の無知」と知ることも大切である。
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無知を恥じることはないが・・・
何事も「ことば」を知ることから始まる。料理にしてもパソコンにしても一つひとつの言葉が判らなければ先に進めないので、優しいことを繰り返し実行しながら言葉を覚えていく。
生まれてくる赤ん坊でも、先ずは情報の入手・伝達手段として言葉を覚えることから成長していく。外国の技術・情報を得るためには、その国の言葉から始める。
言葉は人と人の付き合いにも関わり、その使い方で人の心を制御する力を持つばかりか、知識・情報・技術のやり取りには欠かせない大切なものである。
だからと言って無知を恥じることはないし、誰でも初めは無知である。
ある人の無知があらゆるものに与える影響は大きい。それを他人が「無視できるレベルの無知」なのか、それを知る手段は多くの他人の言葉である。
少なくとも、「他人に迷惑をかける無知」は慎むべきである。
だからと言って無知を恥じることはないし、誰でも初めは無知である。
ある人の無知があらゆるものに与える影響は大きい。それを他人が「無視できるレベルの無知」なのか、それを知る手段は多くの他人の言葉である。
少なくとも、「他人に迷惑をかける無知」は慎むべきである。
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常に学ぶことは光
「無知」とは、暗闇を意味する。闇に光を当てれば、判らなかったことが分かるようになり、悩みごと・困りごとも消えて行く。
その「光」とは、常に学ぶことである。「人生は死ぬまで勉強」とよく言われる言葉だが、学び続けて自分の道先の闇を払うのが人生である。できないことができるようになり、見えなかったものが見えるようになる。それが楽しみであり、喜びである。
だから、無知を無くし、闇を払い除ける努力をしない(つまり、勉強をしない)人に、楽しみも喜びもないものである。
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