「無明」は仏教用語なんですね。しかも意味とは全然違うことをツィートしてしまった。恥ずかし。私は無でいることと、無明を同じ意義で捉えました。自分から真っ暗の中に入れるか、それくらい何もない中で己れを信頼できるか。そこで初めてチリっと煌めく光が生まれる・・みたいな。勝手な解釈でした。
誰もが規格外で個性的。誰もが矛盾してる。アーティストやクリエィティブな方面の方だけが当てはまることではないんですよね。皆そうです。歌詞にもある「世界で一つだけの花」「君だけの花を咲かせよ」とは、文字通りオンリーワンになること。私しかこんな人いなさそう・・いいのかな?いいんです!!
自分の素晴らしさに気付いていくと気持ちが上がっていきますよね。その過程で、とんでもなくダメダメな自分も目の前に現れますけど。それも個性であり、自分という一部ですから。
身体の自然治癒力、自然な生成力を感じると、自分の素晴らしさにも気付き易くなると思います。心と身体、間違いなく繋がっています。
過去の自分は、全部がんばった自分。そのがんばり..がんばった自分を認めてあげましょう。
@urutoratibita ありがとうございます!共感嬉しいです(^^) 感謝です。
自信は、自然に生まれてくるものかもしれませんね。再びの場合も。今までのことや、今までの自分を認めることで。悪きは悪きだったと、良いは良いだったと。そしていつだって全身全霊だったのだと。みんな、そうだと思うなぁ。。生きているとは、いつだって、その人の全力の状態だと思う。
自分で良くしていける、自分で自分の人生、デザインできる。。きっとその通りになっていく!そして、焦りや迷いがなくなったら、ニュートラルで楽な気持ちを感じてるかもしれない。
転んでは再び立ち上がる、それが自然な姿。倒れても起きれるし、沈んでも昇る。起き上がるということを知るために、倒れる経験を選んでいるとも言える。毎日太陽は沈まないと、毎朝の日の出は来ない。Be Happy!
致し方なく、必要なく積み重ねたことでも、その人にとっては正義となる。なぜなら、その人にとっての、生きていく術だったのだ。それをもう要らないと頭では理解しても、手放しは容易ではない。そのエネルギーが昇華するのは、生存欲求が受容され、承認されたときだろう。
生存を全面的に大人に依存する幼年期、自分の生存を守るために、身に付けた術。それが継続している場合がある。準備ができたときに、必ず断てる。そして、今後の自分に有益に繋ぎ直せる。もっとも大切なのは、その「断つもの」から得る学びへの畏敬の念。その姿勢が「準備できた状態」を早めてくれる。
東京の空、気象庁は「黄砂ではない」という見解なんですね。外出されている方は、出来るだけマスク着用されて欲しい。。
でも、視界が黄色いていうことは、成分は黄砂じゃないのかなぁ。。何が巻き上げられて、あんなに黄色なんだろう。明日は解消しますように!
ハイパーレスキュー隊は表彰されたし世間的に英雄になったけど、その影で恐怖や被曝をもろともせずに、目の前のミッションをコツコツやってる東電現地社員や協力企業の作業員が沢山いたんだよ。
煙草をやめて3年半くらい。それから1本も吸っていないけど、今になって禁煙間もなくの頃と同じ身体状況(身体からニコチンが抜け出る)になる。口内も煙草吸ったときのザラザラ感がある。。身体の神秘を思い知りました。身体に残っていたものが、もう一度出ようとしているのかもしれません。