「忘れない」という言葉がものすごい数で目についた昨日。そんなの当たり前じゃないか。
「忘れない」の言葉を目に入るところ、耳にするところに散りばめるのは(ニュース、TV、新聞)「過去のことですよ」「忘れてもいいことですよ」という逆のインプットを引き起こす。「忘れない」を特別に思わすことで「忘れる」を日常化させるのだ。
過去生を納得できたとき、そうだんだね、でも今はその人生じゃないね、と俯瞰できる。それは自分の、自分自身への愛であり、理解。過去生療法からのアプローチの一つ。
固執し、未練があった自己像と向き合えたように思う。「私は出来ない」それをずっと自分に言いたかった。
心理療法的に、どんなアプローチ、どんなツールを用いようが、自分のなりたい像、成しえたいこと、解決したいことを明確にし(時間と共に変遷してもOk)、あとは自分を信用することが肝要。顕在意識上ではキャッチできなくても、「自分」には未知数の可能性が詰まっている。
いつまでも、何々を得るために、何々を解決するために・・・の紐の先端を握りしめないことかしら。こういうのは、最後まで握りしめるために、自分の前に現れ、存在するものではないと思うから。。
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フランス語を勉強しようかなぁ。。会う人、会う人から「フランス」って聞くので。フランスに住んでた、という嬉しい勘違いをして下さる人もいらっしゃって。
本当はずっと前から、そうする機会は与えられていた。でも、それをしたら最後だと思っていた。でも今日、二人の有名アスリートのエピソードを聞き&思い出して、私にそうすることを許せた。「私には無理だからやめる」。20年ほどかけてそうできた。こんなグロッキー、久しくない。