ユア・ハイハート、自らの神聖さと共に。

心や魂のこと。生きる勇気と希望。
世界はいつも儚く光に溢れてる。誰もが強くて優しい。No worries, 大丈夫。

7月15日(月)のつぶやき

2013-07-16 03:53:19 | twitterまとめ2013年

ゴスペラーズ 『永遠に』~unplugged live version~: youtu.be/tSpRZgmSflU @youtubeさんから


三位一体=豊かさの象徴、葛藤、取引しないこと。


ハートチャクラのオープン。寛容さ、忍耐を育てる。


考えて何かの答えが出なくても、ドラマティックに感情が動かなくても、漂って、その場にいるだけでよろしい。自分が空っぽってのがいいんだよ。


自分のしたいことだけをするなんて・・・という、そんなこと有り得ないだろう感。そんなこと許されないだろう感。でも、ここに支配され、翻弄され、結果的にほとんど何もしてない現実。主役は誰だ?


私は、宇宙も地球も自然も、思考してるし感情を持ってるんじゃないかなぁと。。。思います。


考えたり感じたりしないと、未知なる側面に触れるこが出来ないような気がする。もうこんな思いしたくない、という出来事もあったわけだけど、必要なら、追体験もすることになる。自分の、そこに関わった人の、本当の気持ちを知るために。反省し、許し、愛するために。正直さに光を当てるために。


失敗、即、命を取られることだったんだろうし、ということは、命を懸けて成し遂げようとしたことがあったんだろうし、実際そうしたんだろうし(結果、それで命を取られたんだろう)、今世はまだ死にたくないから、失敗を恐れる・・そんな自分の過去を観たとき、当時の私は、納得ずくだったことを知る。


(続き)そのような乱世の状況は、現代の世相や、私が育ってきた環境にに照らし合わせれば、恐怖でしかない。だから当時もそうだったのだろう、とは多大なる思い込みだった。生き延びる。これは今世のテーマの一つでもある。


「ねばならない」ということも、すべきことだったんじゃないかな。強迫観念がなければ絶対しない、ということもあったんだろうし。その時々で、ねばならない、すべき、したい、できたらいいな、とか助動詞が変わってくるみたいな感じでいいような気もする。"DO"にまず気を配ろう。


「ねばならない」を捨てるのは、一つ選択肢や経験も少なくなること。選ばなければ良いし、選ばざるを得ないときもあるだろうし。


慣れてきたら、難しい、癖のある波に乗りたくなってくる。それを成長や進化、学び、困難に向かう、使命と呼んでもいいと思うけど、多分もっと自然な衝動なんだと思う。周りからはそう見えるかもしれないけど、当の本人はそんなしゃちこばってないんじゃないか。自然に一つ一つのプロセスを経てるだけ。


過去に残ってることから生まれた今と、未来から先送りされてる今がある。前者にも後者にも感謝し、信頼し。徐々に、今という中道が育つのではないだろうか。


ハッピーなことが起きたときって、特に原因を追及なんかしない。そこに頭を使う時間と労力より、ハッピーに浸ってたいよね。私の場合だけかもしれないけど。。でも不条理なことが起きると、原因を知りたがる。何故それが起きたか納得するために。同じように浸ってたら、次があるような気もするけど。


言葉は、心を乗せるもの。言葉を受け取ったとき、香りや色、絵や彫像が届けられる。


言葉・・というより、それぞれの単語がが持つ意味。長い間に積み重なって普遍となった解釈。そこのぶつかり合いでは限界がある。争いの道具となってしまう。