ベーシスト沢田泰司さんのご命日、そしてあの日から2年を迎えました。
この日、twitterにも入れましたが、「ぼんやりと」過ごしました。
悲しみにくれる日は他にも沢山あって・・・だからなのかもしれませんが、この日は放心状態に近くなります。
昨年もそうでした。
昨年も、外に出る度、道を歩く度、一日、空ばかり見上げていたように思います。
書きたいことは色々ありますが、今までもそうだったように、書けるときに書いていければと思います。
もちろん、今日も「書けるとき」です。余り深い意味はありません。文章がある程度まとまりそうでしたので。。
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7月12日が泰司さんのお誕生日に当たります。12日は明けるやいなや、泰司さんの誕生日を祝うメッセージがtwitterのタイムラインに溢れました。そして17日も同じく明けると同時に、泰司さんの逝去を悼み、泰司さんを称えるメッセージが次々と投稿されていました。その数は、私の目算でしかありませんが、昨年より多かったかもしれません。そのどれもが、優しくて、純粋で、暖かくて、思い出せば胸にこみ上げてきてしまいます。
沢山の方々が、泰司さんに対し、深い愛と尊敬の念を抱き続けいている証がそこにありました。
私も、泰司さんの最期に、未だ納得しているわけではありません。
例えば、何故、御親族、婚約者、関係者の方々への連絡が遅れたのか。
何故、元マネージャーさんの、なりすましと思われる行為(メール)が成されたのか。
私は、これは日にち操作のためだと思っています。
17日・・・2011年のこの日は、ドイツ現地時間で女子サッカーワールドカップ決勝戦の日でした。日本時間では、18日の早朝が、優勝が決まった瞬間です。そして17日は、京都の祇園祭、山鉾巡行の日でもあります。泰司さんの死は、女子サッカーワールドカップ優勝という快挙の報道の嵐の中、本当にひっそりと知らされました。実際に、世間の目をそらすために、このように大きな報道に合わせて発表されることがあるそうです。
もしそうだとして、元マネージャーさんが何を守りたかったのか知る由もありませんが、
多くの方々から寄せられた想いは、そんなものの為に泰司さんの尊厳がくつがえされることなんて決してなかった証でもあると思いました。
考えても考えても分からないことだらけですが、私はこれからも、泰司さんへの想い、残して下さった音楽を大切にしていきたいと改めて誓いました。
写真は、17日の夕暮れ、金色に染まった夕暮れです。
偶然にも、4本の弦が、そこにありました。
泰司さんの魂が安らかでありますように。お元気でいらっしゃることを心より祈ります。
そして、私もがんばっていきます。