ひまりんのつれづれ日記

感じるままに何でも書けたら・・・

ゴッド・ブレス・アメリカ

2007-04-15 21:04:58 | アメリカでの思い出
長男はアメリカでプリスクール(保育園)とキンダーガーテン(幼稚園)に少し通った。
長男があまりなじめなかったので帰国のことを考え、最後の一年は日本語学校に変えた。

キンダーガーテンには時々様子を見がてらボランティアに出かけた。
(たいしたことはできなかっただろうけど)
きっと88年11月のことだったんだろう。その日アメリカの大統領選挙があり新大統領がきまった(おそらくパパブッシュ)。するとその小学校は生徒を集めて
校長と共に国旗掲揚のもと、胸に手を当てて、国歌斉唱。
日本では考えられない光景に私は少し驚いた。
愛国心を育てる教育が、日本などとは違う。

キンダーガーテンでで教えてくれた忘れられない歌に、<ゴッド・ブレス・アメリカ>この歌は国家に準ずるような歌で、アメリカを讃えた歌だ。
長男を含むそのクラスの生徒たちが振りつきでその歌を歌う機会があった。

その振りは長男のそれはなんか周りより
大げさで目立った。長男5歳か6歳か。
長男は少し変わっているのだと思った瞬間でしたね。
三つ子の魂100までもといいますが、今も変わっているといえるかもしれない。
この歌はあまりレコーディングされていないらしく、アメリカに帰国した近所に住んでいた女性に後に買ってきてもらった。

もう書く事がなくなったと思っていたアメリカでの思い出だが、少し思い出したから付け加える。

ハッピーバースデイ トゥー ユー

2006-10-25 21:18:36 | アメリカでの思い出
娘が赤ちゃんのときは、まん丸でほんとにかわいらしかった。

一番下の娘はアメリカ、ロスアンゼルスで生まれた。
妊娠がわかったときから、不安いっぱいの出産だった。
日本からはもう母も父の体調が思わしくなくなっていたので来てもらうこともできず、向こうの日本人向けの新聞(羅府新報)に家事手伝いの広告を出して、一週間ばかりお手伝いの人を頼み昼と夜を作ってもらった。

今名古屋に住んでいるIさんも、そのときの友だちで、私のお腹の大きいときから親切にしてもらった。

病院は自宅から15分くらいのガーフィールドにあった病院で、日本人のK大医学部卒のS先生に取り上げてもらった。
長男次男の日本での出産のときは、主人は仕事で忙しく、一人。今度のときは上の子二人を
主人がみなければならなかったのでまた一人での出産だった。
淋しさもあって、出産時は、痛い痛いと騒いだから、S先生にうるさがられて、「もうわかったから」といわれた。
でも生まれた子が3970グラムあったので、「すごいね、もうすぐ4キロだ」と誉められた。

アメリカの出産は楽だといわれるが、確かに一番楽でした。入院も2日くらいで、
後産が楽でした。おろが続かないよう、何かできれいにしてしまうせいだと思う。

でも退院のときは、車椅子で車のところまで送ってきてくれた。主人にちぐはぐな服を着せられた2歳2ヶ月の次男が私の顔を見たとたん泣いたのが印象的に残る。
5歳の長男は、赤ちゃんをみたとたん、「そうか」といって納得したのと対照的だった。
看護婦さんが私の子どもがまだ小さいので、「あなたも忙しくなるわね」といった。
産むまでは気が重かった、出産であったが、待望の女の子であったYはふんわりしていてかわいらしく、泣いていてもうるさく感じなかった。

私の宝物であった彼女もきょうで二十歳だ。

ピアスをあけたときのこと

2006-03-18 00:01:39 | アメリカでの思い出
娘のものらしい紙の小袋をのぞくと、中に大きなピアス。あの子はピアスは開けてないのに、どうするのかしら。これから開けるのかしら・・と思ったら、ロサンゼルスでピアスを開けたときのことを思い出した。
 あちらでは皆ピアスが当たり前と言う感じだったので、私も今から17~18年前だかに、アルカディアのデパートの小さな化粧品屋みたいなところに、ピアスをあけにいった。娘はまだ1歳半くらいのことだろう。車から降ろして、バギーにのせて連れて行った。メキシカンの店員さんが、「ベイビーと私のどっちが開けるの?」と聞いたから、ホント向こうでは幼いときに開けてしまうみたいだ。
店の奥にでちょこっと、耳に印をつけられ、「ここでいいか」とかきかれてホチキスみたいにちょんちょんと、簡単に開けてくれた。その様子を幼い娘は、バギーから不審そうに心配そうに見ていた。かわいいその顔!
すぐに金属のピアスをしてくれるのだが、左は落ち着いたけど、何かうまく開けられなかった右のほうはいつまでもジクジクした。
ピアスは種類がたくさんあって、かわいらしくて楽しめたけど、右の耳がやはりすこしおかしかったし、日本に帰ってから、テレビで耳のきずは視力に影響するとか何とかやっていたときに、ちょうど私もコンタクトの傷で、右の目が悪いときだったので、何か心配なものは止めようとピアスを止めてしまった。
日本では皮膚科でやってくれるようだから、みなさんピアスを開けるなら、皮膚科がお勧め!

主人のアメリカナイズ

2006-02-18 14:29:48 | アメリカでの思い出
主人は私と違って明るい。適応力がある。
その主人がとった行動で私がびっくりしたものがある。
ロサンゼルスでドライブに行ったとき、初めての土地だったから地図を見ながらあっちかなこっちかなと考えていた。私が四つ角の近くで「左じゃない?」と言ってしまった。すると主人が急に左折をしようとしたので、後ろから来る車にあわやぶつかりそうになった。降りてきた白人の30代くらいのアメリカ人にお礼を述べながら主人はその人と抱き合っていた!!
その姿を見ながら私もほっとすると同時に「パパもアメリカナイズされたな~」と感心したものである。
主人は若いときの海外旅行、29歳くらいのときの6ヶ月のイギリス研修などで、
「○○人だから・・・」などという偏見みたいなものは消え、人間としてこの人は
善人か悪人か判断できるようになったようだ。これは羨ましい。

ロサンゼルスの果物

2005-12-17 14:04:27 | アメリカでの思い出
ロサンゼルスは気候がいいから、果物はいっぱいとれる。中でもおいしかったのは
ハニーデューメロンかな。アメリカンチェリーもおいしいけれど。あちらで食べたときのメロンはよく熟すとほんとにおいしい。日本にも入ってきてるけど、熟してないので硬くていまいち。
果物は大体大きい。スイカもフットボール型です。ネクタリンとかイチゴとかもみんな大きい。ブドウやリンゴも種類が多い。ブドウはおいしいけど、リンゴは色は真っ赤だったりするけど、大体硬くて、日本のフジを知っているひとにはおいしいとは言えないんではないかな。あちらの果物は恵まれた天候の中で育っているせいか、大きいのが特徴かな。日本の果物は農家の人が丹精こめてつくっているせいか、おいしいものが多いですね。値段は高いけど。
シエラというやはり日本人経営の八百屋さんがあって、時々買いにいったけど新鮮な果物をカートいっぱい買っても、10ドルぐらいだったと思う。
食料品はあちらのものを食べていれば安く済むと思う。
日本の桃はどうだったかな。手に入らなかったと思う。柿ならヤマさんで売っていた。
ユーピックといって、果物狩りがわりと盛んで、季節にはチェリーとかリンゴとか行きました。それも日本と比べて高くはなかったと思う。

ロサンゼルスのお医者さん

2005-12-11 13:13:49 | アメリカでの思い出
ロサンゼルスにいるときには、お医者さんに行くときはやはり日本語の通じる日本人か日系人のお医者さんに行った。
あちらのお医者さんは、日系人(2世か3世)のお医者さん
(小児科医)はすごく優秀で、人格者だった。こちらがペラペラ日本語をしゃべると全部は通じないみたいだったけど、みんな優しくよい印象だった。
みなホームドクターをもって予防注射など管理してもらう形式だった。
でもあちらに居る日本人の内科医には変人が多く居たように思う。何か日本にいられなくなって行ったんじゃないかと思えるような・・・まあ営業の妨害になるから詳しくは言わない。
医者に行くときはいつも予約制だ。お医者さんの事務所に電話して10:00とか10:30とか予約する。
日本みたいに保健センターや学校で集団予防接種なんてことはやったことがなかったので、帰国後上のふたりは予防接種のとき泣き喚いて大変だった。反対に向こうで生まれた
娘は向こうの医者の前ではいつも泣いていたが、日本に帰ってからは泣かなくなった。上のふたりは向こうの医者での注射には泣いたことがなかったのに。
おもしろかったのは口の中を調べる時に使う金属製の押さえ棒が、アメリカの小児科医ではどう見てもアイスキャンデーの木の棒だった。
熱が出たときにはお風呂に入っていい。子どもの好きなスプライトでも何でも飲ませろと言ったのには、アメリカ的だな~と思った。

Enjoy yourself!~好きなことば

2005-11-28 18:30:09 | アメリカでの思い出
アメリカ人はエンジョイ・ユアセルフということばをよく使うと思う。
私たちの家の右隣はミニーという名の60代くらいの白人のおばあちゃんだったので、私たちが旅行に出かけるときには、いつも言ってくれた。
「楽しんできて」という意味だろうが、この日本語にはない、ユアセルフというところに 自分を楽しませろ→何が何でも楽しんで来い という意味を感じてしまうのは私だけであろうか。エンジョイ・ユアセルフといわれるたびに、私はそうだ、楽しんでやろうという気になった。
誰を楽しませるのでもなく自分を楽しませる。
アメリカで旅に出ると時々不都合なことが起きたり、ハプニングがあったりしたけどそれも旅を忘れられないものにするものの要素だと気づいたら、旅行中に腹を立てたりすることも少なくなった。まあ私一人じゃアメリカ旅行はできなかっただろうけど。子持ちだったせいか、犯罪にあうこともなく、無事に過ごせたともいえるのかもしれない。
あと好きなことばは、THAT'S IT! エレベーターが満員になったとき、最後の人がいわれていた。ITなんてしゃれてるな~と思い忘れられない。
ちなみに私は英語ペラペラではない。6ヶ月もすればみんな誰でも聞くほうはできてくる。しゃべるほうはそれとは別らしく、しゃべりたい人はうまくなる。
私は駄目、口下手だから。まあ私が英語を使うときはお医者さんの予約と旅行の予約。そして主人がゴルフなどでいないとき子供と行ったマクドナルド。だから日本に帰ってからもマクドナルドに行くとちょっと緊張した。

西海岸でのお勧めは

2005-11-26 17:05:00 | アメリカでの思い出
アメリカに4年半いて楽しかったことは、やはり旅行に行けたことだろう。完全週休2日制だったし、夏休みは2週間取れたので、アメリカ生活に慣れるにつれ、いろいろなところに行けた。中でも一番行ったところはラスベガスとグランドキャニオンだ。どちらもアメリカらしいところである。ロサンゼルスから車で6時間くらいかかったと思う。ガソリンスタンドもまれにしかない砂漠を走ってのドライブ、私は運転が苦手だったので、どんな遠いところを行くにも、主人が一人で運転した。
アメリカ人は何もないところにアミューズメント施設をつくるのが得意である。ラスベガスは砂漠の真ん中にある、不夜城の楽園だ。真っ暗の砂漠を走った後急に現れるラスベガスの街の灯にいつも息を呑んだものだ。
私は子持ちなのであまりラスベガスは楽しめないのであるが、時々むこうのベビーシッターに子どもを預け、スロットマシーンくらいはしてみた。
本場のショーも楽しめるので、フランク・シナトラやサミーデービスJRなども見れた。チップの効果的な渡し方を先輩に習い、フランク・シナトラのショーはまん前で見ることができた。
子どもたち用には昼間、恐竜の博物館を見せることができた。向こうの子どもは
みんな恐竜が好きだ。ダイナソー、ダイナソーといっていた。
グランドキャニオンもお勧めだ。息を呑む。吸い込まれそうだ。何箇所もビューポイントがある。
韓国ドラマの「オールイン」でラスベガスやグランド・キャ二オンがでてきたのでそういう意味でも楽しめた。
西海岸に行くのならぜひラスベガスとグランドキャニオンまで足をのばしてほしい。おすすめ

クリスマスのイルミネーション

2005-11-24 16:52:15 | アメリカでの思い出
昨日だか、松井が女優さんとパリへいったと言う記事が出た。娘に「残念だね、松井も決まったみたい」と言うと、娘は「意味わかんない」と言う。私は松井のような誠実なタイプが好きだが、娘はどうも面食いらしい。きっと眼ぱっちりの細面の人が好きなんだ。
報道ではパリのきれいなクリスマスのイルミネーションがでていた。
ああいう、ロマンチックなものを見に行ったとしたら、きっと恋人同士なんだと思ったしだい。

ロスで初めてクリスマスイルミネーションを見たとき、ほんと夢みたいと思った。最近では日本でもイルミネーションが盛んなようだけど。ほんとパサデナだかで見たイルミネーションは白雪姫のお城みたいに感じた。
だからイルミネーションを見にこの季節に行くのはお勧め
12月いっぱい見られる。その代わりロスのお正月は寂しい。ローズパレードがあるくらいだった。

ヤマシーフードのヤマさ~ん

2005-11-23 17:48:45 | アメリカでの思い出
ブログ書いていたら、ロサンゼルスのサンゲーブルで日本の食料品店を開いていた
ヤマさんのことを思い出した。ヤマさんは85年当時、35歳くらいの男性で、人なつこいほうだし、独身みたいだったので、私たちそこら辺に住む奥さん方には結構人気があった。とにかく日本語がしゃべれる、日本食が買える場所なので私たちの憩いの場所だったのかもしれない。
ロサンゼルスの気候が好きなのか、ゴルフが安くできるのが好きなのか、理由はわからないけど、あちらで食料品店を経営している人だったわけだ。元気がないと心配してくれたし、大福などを買おうとすると、「太るよ~」なんて言ったりしていた。うん、あの頃より10キロも太っちゃったよ。
もう日本の企業も引き上げているみたいだから、日本人がぐっと少なくなっているらしいから、まだお店あるのかなあ。
もしロスにまた、行くようなことがあったら訪ねて行きたい場所だねえ。
帰る2年前くらいかな、ヤマさんは年上の人と結婚したと言うことを聞いた。私もお店で一度その人にあったことがあるけれど、商品を渡すときに笑顔とともに両手で丁寧に渡すような人だった。さすがヤマさんが選んだ優しげな人だな~と納得した。幸せにやっていますか?ヤマさん情報など知っている人いたら教えてください。