ひまりんのつれづれ日記

感じるままに何でも書けたら・・・

息子が連れて行ってくれた場所。

2011-03-30 20:38:34 | Weblog
ついでがあったので、主人と二人突然アパートで一人暮らしをする長男を訪ねることとなった。
居るかどうかはわからない。入口の前にたつと曇りガラスの玄関引き戸の向こうで人影。誰かが靴をはいて出てくるところだった。
ガラリと戸が開くとそれは息子であった。
長男はちょっとびっくりしたようであったが、私とはじめてきた主人を見て少し嬉しそうな顔をした。
これから銀行へ行って家賃を振り込むところだと言う。

お茶でも飲もう。どっかで待ってて。じゃあツタヤのとこの・・・
ツタヤのとこの喫茶店は混んでいたし、たばこの煙でいっぱいだった。
息子は じゃあ、行きつけの店に行こう。
親父新大久保まで歩ける?
タクシーなら行けるということになり、タクシーに乗って新大久保まで。

まずはトルコ人の人の作るビーフのハンバーガーのようなもの。トルコ人の人にうちの両親だと話している。
主人もめずらしもの好きなのでガブリ一口食べる。

かわいいネコちゃんも紹介される。


次はタイ人ママさんの店。
息子にココナツミルクをご馳走になる。
タイ人のママさんは、日本に来て無一文からスタートした。4人の息子にはお医者さんとかパイロットにしたりしたいのだと言っていた。

次はミャンマー人の食料品店。
ナツメの実をごちそうしてくれた。珍しげなスナックを買って帰る。カレーの缶詰をくれた。
息子はお米を買っていた。


最後にモンゴルレストラン スーホさんの店。http://chingishaan.blog99.fc2.com/
スーホさんはびっくりしていたが、息子の両親だと言うと暖かいミルクティーで歓待してくれた。ここでは1時間も楽しく過ごされさせていただいた。
息子が一番親しくさせていただいた方のようである。
震災の影響でお客さんの宴会のキャンセルが続出で、5月まででもうお店を閉めるねととのことであった。
ほんと残念だ。

息子がすっかり一人暮らしにも慣れ、新大久保の多国籍のお店でいろんな人と交流しているのを知って
私たちはうれしかった。どこの国の人とも仲良くなれるのは彼の特技なのかもしれない。

帰らなきゃ・・・

2011-03-13 13:56:49 | Weblog
金曜日の地震の後、4時にとにかく帰らなくちゃと思う。
パート先が高田馬場なので、まずアパートにいる息子のところへ行く。そちらへ向かうと、アルバイトに行く格好をした長男と出くわす。
大丈夫だったかと一安心。
「電車が動かないらしいよ」というと、友達のところに行くと息子は先を急いでいった。

まずペットボトルのお茶を買い歩こうと思い、まず目白へ向かう。歩いている人がいっぱいいる。
コンビニでパンやお菓子を買って、食べながら歩く。
目白駅はすぐ着いた。

池袋行きのバスに乗る。人なつこいおばさんが話しかけてくる。83歳だけどまだまだ気の若いおばあさまである。

池袋にはほどなくつき、交番前に赤羽行きのバスがヤマダ電機裏から出ると書いてあったので、それに乗ろうと向かう。ヤマダ電機でトイレを借り、100人くらい待っているバス停で並ぶ。1時間くらい待たされたかもしれない。乗ってからが大変。バス内は寒くなり始めた外とは違って暖かいのはいいのだけど、30分たっても、2つ目の停留所に着かないくらいの道路の混雑。
豊島清掃所前で、数人の乗客とともにバスを降りる。赤羽駅へは1時間くらいで歩けるらしい。
歩いている途中ドンキに人が並んでいる。何かなと見てると、皆自転車を買い求めていたらしい。

歩く。途中で警官に合い赤羽駅の方角を聞く。あわてて方向を変える。私は方向音痴。
携帯を持たない私は家に連絡を取ろうと思うが公衆電話が空いていない。
やっと連絡取れたのは8時20分。

出てきた次男に持病を持つ主人のことを頼む。
公衆電話に入れた110円は受話器を置くともどってきた。今日は無料で通話ができるらしい。

歩いていると周囲の人が電車の復旧は出来ないらしいと話している。
そうかそれなら表示にさいたまとあるからさいたま市に向かって歩くか。大宮駅からなら深夜バスもあるし・・・
赤羽駅にはいかず17号を歩いて行き、とうとう川のところまできた。
この橋を渡れば埼玉県。戸田市だ。川のそばは冷たい風が吹いている。

コンビニには2回寄ってトイレを借り、コーンスープ、南高梅のおにぎりを買った。こんなときコンビニはまったく有り難い存在だ。

戸田でははじめの自転車屋さんをみると自転車19800円くらいで売っていた。
歩くのもきつくなってきたし、
まだ埼玉県に入ったばかりということもショックである。
お金が足りないなと思いまた歩きはじめる。
2軒目の自転車屋さん。10時30分ころ通過。
18800円と値が付いている。
少し安くなった。迷いながらももう一度たずねる。今日はお金をたまたま持っていた。
登録料がかかるから19,300円らしいが、19000円にしてもらって買うことにする。
これで財布の中には小銭ばかりだ。
何だか自転車を買うために持っていたような気がしてくる。
先客の人は上尾まで帰るという。市ヶ谷から歩いてもう限界だと。
気をつけていってくださいと声をかける。
知らない人と話すのが苦痛でなくなってきた。
75歳くらいの自転車屋さんは今まであがったりだったのに今日はもう20台くらいさばけているらしい。
息子さんが手伝いに来ていた

11時ごろからこぎ出して自転車は軽いので大宮まで12時くらいにはついたのかもしれない。
だんだん人もまばらになってくるので、方向音痴の私はどちらへ行けば自宅の方かわからずやはり自転車の人に尋ねる。

それでも間違ってしまい、こちらではないことに気づいて歩いてきた人に白岡までの道を聞く。
戻って左に曲がればよいと教えてくれた。
今度は見なれた道となってきた。家の方へとさいたま栗橋線を自転車ですすむ。
途中歩道橋を渡らねばならないときに身体が疲れてきて自転車を持ち上げるのがきついし、お尻が痛いのに気づいた。

歩道はでこぼこが多く走りにくかった。でも見なれた道に出てきたのは力強い。どこで曲がろうかといろいろ思案する余裕もでてくる。スーパーのところで曲がることとし真っ暗だけど間違えようもない新幹線の下を通ることにする。
学校の横を通る。真夜中なので真っ暗なのだが学校は何かお化けでも走っているような気がする。
クリーニングのおじさんの家ののまえを通るときにはうれしくて<おじさーん>と心で叫びながら走る。

家にたどり着くと鍵がかかっているではないの。娘がお母さん?と言って出てきた。
おお、2時20分ではないの!
歩きはじめてから10時間の行程だった。
一度災害訓練で家まで歩いてみたいと思っていたが、実地訓練ができたなという感じ。
家はあまり被害もなく、
次男もよくやってくれ、
娘はバイト先で食料をたくさんもらってきていた。
お風呂にはいってあったまる。
無事に帰りついてよかった。。
(軽く別れた長男は、その後私のことが心配になり、ちょっと私を探しまわったらしい(笑))



写真は今日のポカポカ天気を楽しむモモちゃん。


地震は思ったよりもひどいので被災した方へお見舞い申し上げます。
早く復興しますようにお祈りいたします。