ひまりんのつれづれ日記

感じるままに何でも書けたら・・・

年賀状どうしよう

2005-11-29 19:36:51 | Weblog
そろそろ年賀状の季節だけど、どうしようかな。デジカメで写真とろうかな。子どもが小さかったときのように家族写真にしてしまおうか。15年ぶりくらいだから好評かもね。子どもが恥ずかしがるかな。私が撮った写真だと私が入ってないからわたしははずかしくないし。
でも風景とか花にしといたほうが無難かな。犬は飼ってないしな~

Enjoy yourself!~好きなことば

2005-11-28 18:30:09 | アメリカでの思い出
アメリカ人はエンジョイ・ユアセルフということばをよく使うと思う。
私たちの家の右隣はミニーという名の60代くらいの白人のおばあちゃんだったので、私たちが旅行に出かけるときには、いつも言ってくれた。
「楽しんできて」という意味だろうが、この日本語にはない、ユアセルフというところに 自分を楽しませろ→何が何でも楽しんで来い という意味を感じてしまうのは私だけであろうか。エンジョイ・ユアセルフといわれるたびに、私はそうだ、楽しんでやろうという気になった。
誰を楽しませるのでもなく自分を楽しませる。
アメリカで旅に出ると時々不都合なことが起きたり、ハプニングがあったりしたけどそれも旅を忘れられないものにするものの要素だと気づいたら、旅行中に腹を立てたりすることも少なくなった。まあ私一人じゃアメリカ旅行はできなかっただろうけど。子持ちだったせいか、犯罪にあうこともなく、無事に過ごせたともいえるのかもしれない。
あと好きなことばは、THAT'S IT! エレベーターが満員になったとき、最後の人がいわれていた。ITなんてしゃれてるな~と思い忘れられない。
ちなみに私は英語ペラペラではない。6ヶ月もすればみんな誰でも聞くほうはできてくる。しゃべるほうはそれとは別らしく、しゃべりたい人はうまくなる。
私は駄目、口下手だから。まあ私が英語を使うときはお医者さんの予約と旅行の予約。そして主人がゴルフなどでいないとき子供と行ったマクドナルド。だから日本に帰ってからもマクドナルドに行くとちょっと緊張した。

西海岸でのお勧めは

2005-11-26 17:05:00 | アメリカでの思い出
アメリカに4年半いて楽しかったことは、やはり旅行に行けたことだろう。完全週休2日制だったし、夏休みは2週間取れたので、アメリカ生活に慣れるにつれ、いろいろなところに行けた。中でも一番行ったところはラスベガスとグランドキャニオンだ。どちらもアメリカらしいところである。ロサンゼルスから車で6時間くらいかかったと思う。ガソリンスタンドもまれにしかない砂漠を走ってのドライブ、私は運転が苦手だったので、どんな遠いところを行くにも、主人が一人で運転した。
アメリカ人は何もないところにアミューズメント施設をつくるのが得意である。ラスベガスは砂漠の真ん中にある、不夜城の楽園だ。真っ暗の砂漠を走った後急に現れるラスベガスの街の灯にいつも息を呑んだものだ。
私は子持ちなのであまりラスベガスは楽しめないのであるが、時々むこうのベビーシッターに子どもを預け、スロットマシーンくらいはしてみた。
本場のショーも楽しめるので、フランク・シナトラやサミーデービスJRなども見れた。チップの効果的な渡し方を先輩に習い、フランク・シナトラのショーはまん前で見ることができた。
子どもたち用には昼間、恐竜の博物館を見せることができた。向こうの子どもは
みんな恐竜が好きだ。ダイナソー、ダイナソーといっていた。
グランドキャニオンもお勧めだ。息を呑む。吸い込まれそうだ。何箇所もビューポイントがある。
韓国ドラマの「オールイン」でラスベガスやグランド・キャ二オンがでてきたのでそういう意味でも楽しめた。
西海岸に行くのならぜひラスベガスとグランドキャニオンまで足をのばしてほしい。おすすめ

クリスマスのイルミネーション

2005-11-24 16:52:15 | アメリカでの思い出
昨日だか、松井が女優さんとパリへいったと言う記事が出た。娘に「残念だね、松井も決まったみたい」と言うと、娘は「意味わかんない」と言う。私は松井のような誠実なタイプが好きだが、娘はどうも面食いらしい。きっと眼ぱっちりの細面の人が好きなんだ。
報道ではパリのきれいなクリスマスのイルミネーションがでていた。
ああいう、ロマンチックなものを見に行ったとしたら、きっと恋人同士なんだと思ったしだい。

ロスで初めてクリスマスイルミネーションを見たとき、ほんと夢みたいと思った。最近では日本でもイルミネーションが盛んなようだけど。ほんとパサデナだかで見たイルミネーションは白雪姫のお城みたいに感じた。
だからイルミネーションを見にこの季節に行くのはお勧め
12月いっぱい見られる。その代わりロスのお正月は寂しい。ローズパレードがあるくらいだった。

ヤマシーフードのヤマさ~ん

2005-11-23 17:48:45 | アメリカでの思い出
ブログ書いていたら、ロサンゼルスのサンゲーブルで日本の食料品店を開いていた
ヤマさんのことを思い出した。ヤマさんは85年当時、35歳くらいの男性で、人なつこいほうだし、独身みたいだったので、私たちそこら辺に住む奥さん方には結構人気があった。とにかく日本語がしゃべれる、日本食が買える場所なので私たちの憩いの場所だったのかもしれない。
ロサンゼルスの気候が好きなのか、ゴルフが安くできるのが好きなのか、理由はわからないけど、あちらで食料品店を経営している人だったわけだ。元気がないと心配してくれたし、大福などを買おうとすると、「太るよ~」なんて言ったりしていた。うん、あの頃より10キロも太っちゃったよ。
もう日本の企業も引き上げているみたいだから、日本人がぐっと少なくなっているらしいから、まだお店あるのかなあ。
もしロスにまた、行くようなことがあったら訪ねて行きたい場所だねえ。
帰る2年前くらいかな、ヤマさんは年上の人と結婚したと言うことを聞いた。私もお店で一度その人にあったことがあるけれど、商品を渡すときに笑顔とともに両手で丁寧に渡すような人だった。さすがヤマさんが選んだ優しげな人だな~と納得した。幸せにやっていますか?ヤマさん情報など知っている人いたら教えてください。

最初の難関は

2005-11-22 14:12:34 | アメリカでの思い出
今日も天気がいい。
この明るさはカルフォルニアと似ている。
ロサンゼルスでは子ども以外みな車の運転ができなくては不便なので、私までもが運転免許を取らねばならなかった。最初はママチャリで子どもおんぶで買い物に行ったりもしたけど、さぞ奇異に見えたことだろう。
(ヤマシーフードのやまさんが笑っていた)
現地で運転免許を取るときは(日本語ペラペラの)韓国人の先生がボロのホンダの小型車で迎えに来た。
教習所に行くのではなく、始めから路上運転である。
子どもをベビーシッターに預け、2時間50ドルだかで教えてくれる。
(2時間終わったときに小切手で払う)
私はまったくの運動音痴でこわがりで、判断力がないので、本当に苦労した。みんな1ヶ月あまりで取れるというのに、私は3ヶ月以上かかったと思う。
会社の人から「もう中古車が買えるくらい使ったね」と言われた。
長くかかったおかげで韓国人のLEE先生ともよく話し、注意力散漫だとか、今子どもの子と考えてるでしょとか言われた。先生はアメリカに来て10年はたっていると思われ、駐在員やその奥さんたちはみな習うような人だ。先生は「この国にはマスターがいない。(みな平等)だから好きだ」と言っていた。
試験はダウンタウンの近いところのDMV(車両省)で3回落ち、会社の人のアドバイスもあり、住宅地のパサデナのDMVに変えてもらってやっと受かった。
アメリカでは車検がないのでみな結構ボロの車で運転している。みな結構自分で車を直したりもするようだった。先生の車もメーターがこわれていた。
先生は車の買い替えをどうしようか迷っていた。「日本車は壊れないが、すわり心地が悪い」なんて言っていた。でも結局また日本車を買ったようだった。
行ったときはそうでもなかったけど、帰る頃(90年)には日本車が半分くらいに見えた。
うちの車も一台ビューイックの中古車だったが、故障が多く、トヨタカムリ新車に買い換えた。日本の製品は何でも優秀に思えた。

ドライブで日光へ

2005-11-20 08:05:27 | Weblog
昨日は主人が今日は紅葉を見に行こうと誘ってくれたので、日光、東照宮まで行って来た。家から高速で2時間くらいなので行こうと思えばすぐ行ける。
子どもが小さいときには3人つれてよく来ていた。紅葉がまっさかりのときは車の混雑でにっちもさっちもいかなくなるところだ。昨日は紅葉は少し過ぎていたので
そんなに混んではいなかった。東照宮には外国の観光客が多い。中国語、韓国語、英語、ロシア語らしきものも聞こえた。
家にはやっと卒論の制作に取り掛かり始めた長男を残していった。私たち夫婦の今のところの悩みだ。今年はちゃんと卒業しろ~とわめきたい気持ちだ。
不器用でのろまで主体性のないところは、まったくの私似でトホホの心境である。
途中のサービスエリアで、次男からの電話を受ける。23万の中古車を買ったので保険をどうしようかの相談だ。21才の免許取立てだと保険料が1万とかいわれたらしい。青森ではもう雪が積もっているので車は必需品なのかもしれない。
こどもたちがなんとかそれぞれの場所でやっていってくれれば、私たち夫婦は心穏やかでいられるだろう。
ドライブで少し心が晴れた。

中年の悩み

2005-11-19 10:54:10 | Weblog
少し悩みがあるので、ブログ書けないかもしれない。
<わが青春には悔いはなし>なんだけれども、わが子育てには悔いばかりなのだ。
 でも気分やなのでなんか書けるときもあるかもしれない。
今日はいい天気だ。どこか出かけたい。

今日は光ファイバーがやってきた

2005-11-17 20:40:29 | Weblog
今日は何もできなかった。家でしたいことがあったんだけど主人が封筒の宛名書きをしてくれというし、午後は光ファイバーの工事の人が来た。自分で接続できるかな~と不安だったけど、やっと7時56分に接続できた。ああ、よかった。インターネットができないと困るなんて、主人がプレッシャーかけてくるし、プロバイダーからの肝心なIDやら書いた紙をどっかにやってたし、ああ疲れた。
でもよかった。これから快適になるかしらんね。

恋はいつまで?

2005-11-15 00:07:29 | Weblog
姉と一緒に山梨の母のところへ行って、近くの温泉に行って来た。3人で温泉に入って、ゆっくり寝て、次の日朝ごはんの後、近くをお散歩してから、母の家に帰ってきた。なんだか知らないが、畑のサトイモを掘ることになり、少しフラフラしながらサトイモの株と格闘。親芋の周りにサトイモがくっついていて、2株で50個くらい収穫できた。う~ん初体験!
母は近所の柿を一本分、とらせてもらうことになっていて、近くに住む叔父にも来て貰って、今度は柿もぎ!今回の山梨行きは充実だな・・・
母は干し柿を作るつもりなのだ。ダンボールの箱2箱とった。叔父が脚立からバランスをくずして地面におちた、柿の木の下の地面がやわらかくてよかった。
姉とびっくりして、「もう帰ろう」
叔父は昨日病院から退院してきたばっかりだし、歳も76だ。

小さい頃はそうは思わなかったけど、久しぶりに会うと叔父は歳のわりにはハンサムで、いい男だ。5、6年前叔母に先立たれた叔父には甲府と茨城と東京にガールフレンドがいるという。今甲府のケアハウスにいる95歳のガールフレンドが叔父に来てくれ、ケアハウスで一緒に住もうといっているらしい。
「そんなところに行ってもすぐ亡くなっちゃうよ」と口の悪い私が言うと、
「骨を拾ってやるのもいいかなと思って・・・」などと答えるのだ。
本気かな・・・
叔父には40代の一人息子がいて、息子の家族が敷地内に住む。孫娘も二人いる。
それでも若夫婦の世話にはなりたくない心境になっているようだ。
母の畑の野菜をダンボールにつめ、結局叔父さんが宅急便のところに持って行ってくれた。ごめんね、叔父さん。なんかこきつかちゃったよね。

これから待っていてくれる人のところへいくのかなあ。「温泉民宿のおばさんが、亡き叔母さんに似ていたよ、会いに行ったら」なんて、私言っちゃったから叔父さん気ぃ悪くしたかなあ。
恋っていつまでできるのかなあ。