昨夕、ポストの中に見慣れぬ封書が。エアメール、なんとパリに住むとっちゃんからのものだった。
とっちゃんと私は生まれたときから、東京郊外で川を挟んでの斜め向かいに住むご近所さんだった。いや関わりはまったく古く、50年以上前、私はとっちゃんちのお母さんの有り余る母乳を飲ませてもらった仲なのだ。乳兄弟と言える。
三番目の男の子(とっちゃん)を生んだばかりのとっちゃんのおかあさんは私のことをめずらしがったといいます。折りしも母は前の赤ちゃん加代子ちゃんを生後2ヶ月で亡くしたばかりだったから、私をどうしても生かしたくってもらい乳をしたのだろう。
まだ戦後ともいえる時代のことだ。
学校区域が川を隔てて違った時代があり、小学校5年から中学校3年までは一緒の小学校、中学校に通った。とっちゃんはからだが大きく、学校でも一番高いくらいな人でおとなしく確かスポーツが得意な人だったと思う。ただし口数は少なく何を考えているかはわからない人だったかもしれない。
小学校のクラス会を開くべく、私はみんなの消息を調べ始め、わたしはとっちゃんのお兄さんからとっちゃんが高校を出てから、ヨーロッパに渡り、今はパリの日本料理店で雇われ支配人をしていると聞いた。奥さんはチリの人で子どもは二人いて
日本には一度しか帰っていないと。
この消息にはみな一様に驚いた。おとなしいとっちゃんからは想像もできない大胆な行動だからだ。
去年と今年私はクラス会の集合写真とみんなの名簿を彼にも送った。
去年と同様今年も返事は返ってこないだろうと思っていた。
ところが彼は今年返事をくれた。
彼はもう浦島太郎のようだと書いていた。
子どもは二人とも成人し、孫までできたが、わけあって、22年連れ添った奥さんとは別れることになったと書かれていた。
でも同封された2枚の写真には彼と新しいモンゴルの美人若奥様がにこやかに写っている。
幸せそうな彼の顔は、私の知っているとっちゃんのお父さんにそっくりだ。
人生なんてこんなものだよととっちゃんは結んだ。そうか、とっちゃんは苦労しつつ自分で切り開いた人生だったんだね。
私もとっちゃんがまだパリの料理店にいるのなら行ってみたいよ~
私はこんなオバサンになってるけど平平凡凡なんですよ~
「○ちゃんはどうしてる」って彼が聞くから私も夫婦の写真送らなくちゃ駄目かな~やせっぽっちだった私はこんなにオデブになりましたってね。
うれしい手紙を受け取りました。