歳時記

日々楽しく日々笑顔で

思い出はゆりかご

2020年02月04日 | 音楽



ずっと綴りたかったのですが、なかなか気持ちの整理ができずに文字にすることができませんでした。

もう日が過ぎてしまったのだけど、1月22日はひろたんの命日でした。
2011年だったのであれから9年の年月が過ぎました。

その間に、やはり同じ仲間だった吉村ママともお別れをしています。

そして昨年末に3度目のお別れのはがきが届きました。

2000年の年に以前勤めていた会社を退社して、半年間フリーで過ごした時期がありました。
その間に今では当たり前になっていますが、当時はまだちょっと特殊だったネットの世界。
そこで2人の友達と知り合いました。

一人は福井県でお店を営んでいたご夫婦
さだまさしファンです(笑)
インターネットを見ていたある日、そのお店を見つけました。
「銀河食堂」
実はこの名前、当時のさだまさしファンならピンとくるものでした。

こんな近くにさだまさしファンの方のお店があるんだと驚き
ある時に思い切ってそのお店を訪問しました。

そこで。。。

さだまさしネタ炸裂で盛り上がった初対面の日

電話で予約をする時に初めてマスターとお話をしました。

予約をしたいのですが。。。

実はさだまさしファンでネットで見つけました。。。

お店の場所は地図で確認をしたのですが云々

マスターのお返事です。今でもはっきり覚えています。

あのな、芦原の駅を背にしての、最初の角を曲がったら時々走って2分と15秒はかからんの~
迷ったら電話したら迎えに出るでの

↑ これもさだファンならピンとくる^m^

とにかく楽しくて初対面とは思えない盛り上がりで素敵なご夫婦でした。
思えばあんなふうに初めて会った人とおしゃべりできるなんて当時の自分は考えもしてなかったです。

そんなことがきっかけで仲良しになり
その後知り合ったひろたんという人を連れて行くことになるんです。

このことがきっかけで私は大きく変わりました。
いろんなイベントを計画するきっかけをもらったり、たくさんの仲間ができて
素晴らしい人たちと知り合うことができました。
書きつくせないほどの経験ができたんです。

この出会いがなければ今の私はもっともっと違っていただろうなってそう思います。

地方で静かにさだまさしのファンをしていました私^m^
公表なんてしていません。
こっそりコンサートを楽しみ、音楽を楽しんでいただけなの
いわゆる、隠れファンだったのよ。

銀河食堂のご夫婦も同じでしたが
もっとコアなファンでした(笑)
お互い、この話題を振ってこたえてくれるなんて最高やの~と大はしゃぎしました。
今でも思い出すと笑みがこぼれます。

銀河食堂では
いわゆるオフ会という名の宴会やギターを持ってやってきた人たちとさだ三昧
そのうち、さださんにご縁のある方の落語会やライブ
挙句に、当時は雲の上の方だった坂元昭二さんとも知り合い
ライブのお手伝いから始まり主催
今振り返ればまるで夢のような日々でした。

そんな素敵な宝物のような場所や時間を提供してくれた銀河食堂
9月にマスターが亡くなられたと連絡をもらったのが12月
久しぶりに届いたマスターのお兄様からのラインでした。

あなたの猫を見るたびに知らせようかと思ってましたが
私がまだ弟のことを思い出すとつらくなるのでためらっていました。すみません。
そんな内容から始まった内容を読みながら涙で途中から読めなくなりました。
その翌日、奥様から喪中のはがきが届きました。

1年間闘病をしながらご商売をされていたということでした。
享年62歳
信じられない訃報でした。

それと同時に、闘病すら知らず過ごしていたくらいのご無沙汰に心から後悔をしました。

お店に行けば当たり前のようにいてくれて
ひめちゃんようきたの~って声かけてくれて
くっだらない冗談で笑わせてくれて
暖かい愛嬌ある笑顔で、かんぱ~いって

たくさんの思い出が一気によみがえってきて困りました。
思い出とともにマスターの人柄やエピソードも増えていきます。

お別れをした人に必ず話しかける言葉があります。

「また会おうね。それまでちょっとお別れだね」

そう口に出したら悲しみも少しだけ軽くなるような気がします。

あちらの世界ではきっと
銀河マスターとひろたんが、酒を交わしながら語り合い
その横で吉村ママがニコニコときいている

ひめちゃんうらやましいだろう。早くおいで!
そう言っている

まだ行かんわい^m^

そうつぶやいてみる。。。

亡くなった人たちに無性に会いたい気持ちがこみ上げる日もあるね。