落合恵子さんの講演「老いることはイヤですか?」@朝日カルチャー横浜。
高校受験時も大学受験時も、良く聞いた彼女の深夜放送セイヤング。その彼女に(デモでたまに見かけたけど)、近くで会って話しが出来るとは人生は面白い。
たまに彼女のラジオ番組に五木寛之と野坂昭如がゲストで来ていた。当時五木寛之と司馬遼太郎を貪り読んでいたので、五木寛之が来る時は全部聞いていたと思うのに、当時何を話したか全然覚えていない。(何しろ40年以上前)
それでも五木寛之は「野坂昭如がこの間スタジオに来た時に、鼻くそを机の下に付けておいたと言っていたが、あった」と言ったのを覚えている。
野坂の場合は、一条さゆりのひとしずくの話ししか覚えていない。
その後五木寛之は他力本願に行ってしまったが、野坂はずっと批判精神を忘れなかったらしい。何しろ「火垂るの墓」の作者だし戦争で妹を亡くしているから。
その野坂さんは元気な頃、最近まで落合恵子さんのラジオ番組にゲストで来て、「絶対に第一線には出るな。俺たちの世代(井上ひさしさん、大江健三郎さんや寂聴さんとか)が、第一線で頑張るから、俺たちがいなくなったら頼む」と話していたと落合さんが言っていた。(第一線だと仕事はなくなるし)
「そんな彼らもいなくなってしまいました。誰が私達の後を引き継いでくれるのか、後ろを振り返ったらシールズの大学生や高校生達がいたので頼もしい。」
71歳の彼女を引き継ぐのは10代、20代では寂しい。
最後にサインをもらう時「ちゃんと引き継いで行きます」と言って握手してもらった。
「ありがとう、よろしくね」と。握手してもらった右手は、小さくて柔らかくて。
高校受験時も大学受験時も、良く聞いた彼女の深夜放送セイヤング。その彼女に(デモでたまに見かけたけど)、近くで会って話しが出来るとは人生は面白い。
たまに彼女のラジオ番組に五木寛之と野坂昭如がゲストで来ていた。当時五木寛之と司馬遼太郎を貪り読んでいたので、五木寛之が来る時は全部聞いていたと思うのに、当時何を話したか全然覚えていない。(何しろ40年以上前)
それでも五木寛之は「野坂昭如がこの間スタジオに来た時に、鼻くそを机の下に付けておいたと言っていたが、あった」と言ったのを覚えている。
野坂の場合は、一条さゆりのひとしずくの話ししか覚えていない。
その後五木寛之は他力本願に行ってしまったが、野坂はずっと批判精神を忘れなかったらしい。何しろ「火垂るの墓」の作者だし戦争で妹を亡くしているから。
その野坂さんは元気な頃、最近まで落合恵子さんのラジオ番組にゲストで来て、「絶対に第一線には出るな。俺たちの世代(井上ひさしさん、大江健三郎さんや寂聴さんとか)が、第一線で頑張るから、俺たちがいなくなったら頼む」と話していたと落合さんが言っていた。(第一線だと仕事はなくなるし)
「そんな彼らもいなくなってしまいました。誰が私達の後を引き継いでくれるのか、後ろを振り返ったらシールズの大学生や高校生達がいたので頼もしい。」
71歳の彼女を引き継ぐのは10代、20代では寂しい。
最後にサインをもらう時「ちゃんと引き継いで行きます」と言って握手してもらった。
「ありがとう、よろしくね」と。握手してもらった右手は、小さくて柔らかくて。