天正少年使節・クアトロ・ラガッツィ(4人の少年)はスペインで大歓迎を受け、1585年3月1日に
あこがれのイタリアに到着します。彼らの派遣を企図した宣教師ヴァリニャーノのなるべく華美に
ならずにという願いとは裏腹に、イタリアの都市国家がいっせいに使節のご当地誘致運動を始めた
ことによって各地を全部まわらざるを得なくなりました。少年たちはグレゴリオ教皇と謁見し、栄
光の極致に達します。
しかし、彼らが数年の歳月をかけ日本に帰国の途上で、国内事情は大きく様変わりし、布教を応援
した信長は死に、秀吉、家康、そして家光によってキリシタンは迫害を受けることになります。特
に徳川の治世になり、スペインがキリスト教布教を旗印に力を持って日本を奪いに来るとというオ
ランダの諫言に、江戸幕府のキリスト教迫害は凄惨を極める事となります。
それまでの経緯は本書に詳述されていますが、私が期待した天正少年使節の生い立ちから、その生
涯に関しての記述は長編に関わらず、簡単なもので残念でした。著者が美術、芸術の専門家で西洋
思想が東洋思想に勝ると思える書き方も気になりました。確かに科学的思考は論理的で分かり易く、
鎖国政策を取ったことで、徳川時代に日本が世界から大きく遅れたという指摘には頷けますが、西
洋思想があくまでも優位だとは思えません。現代の紛争の元には西洋的価値観が大きく影響してい
ると感じるからです。
日本史では、どうしても国内の動きが中心になるのは致し方ない事ではありますが、特に戦国から
幕末にかけて、当時のヨーロッパの大国同士による勢力争いが、東南アジア、中国、日本国に多大
なる影響を与えたことは、私たちが知らなければならないことです。
クアトロ・ラガッツィ㊦ 若桑みどり 集英社文庫
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