長崎に原爆が投下されて60年。
NHKスペシャルで「赤い背中」という特集をやっていました。
60年前の赤い背中の少年。放射線で遺伝子まで侵された火傷の背中は治らないんだそうです。
生死の境をさまよい、60年苦しみ続け、そして核兵器が無くなることを祈り続けた背中からボクらは目ををそらしてはならないですね。
みなさん、ハローです。ホディです。
被爆者だけの問題ではありませんが、世の中、不平等です。
何の罪もない子どもがある日、ピカドンに襲われる。一方、島根の片田舎で恵まれた生活を得られたボクがいる。
先天性の障害、病気、交通事故、生まれた家庭環境、才能、運・・・
人それぞれ、人生いろいろ、今を感謝する気持ちが持てれば幸せだと思います。
でも、人の欲望は果てしない。
上を見れば上がいる。
国威を争い、核兵器の開発を急いだ国がある。それに対抗した国もある。それに続けと暴走する国もある。
決して誰も歩みを止めない、終わりの見えないいたちごっこ。
発展しつづけることでしか、ヒトは満足を得られないのでしょうか?
しかも得られた発展が幸せかどうか分からないのに。実はそれでも幸せは得られないことがわかっているのに?
そしてボクはその「発展症候群」の典型だったりします。現状維持と後退を恐れる小市民。
いつものように話は大きくそれます。今日(8/9)の日経新聞の夕刊4面、「十字路」というコラムがありました。
ある公的金融機関の方が、税制改革について意見を述べられていました。
拙い要約ですが、このような内容です。
「税制論議は感情論になりがちである。政府の税制調査会の報告について、ことさらに増税を訴えているわけではなく、サラリーマンの控除対象の拡大と事業所得者の経費適正化の議論や、配偶者控除の問題点と子育て支援の強化などいろいろな論点で考えられている。にもかかわらず、消費税の引き上げは?とか、歳出の削減は?とか、個人所得税制のゆがみや不公平を放置して財政の先行きへの疑心暗鬼が影響する。財政論議に不安をぶつけ、問題を棚上げすればツケを将来に残すことになる。」と。
最後は、「税制専門家による論点整理を正面から受け止めて議論を深めるか。説明の言葉じりやうがち過ぎの憶測にこだわり、一時の溜飲を下げて満足するか。どちらが社会の器量だろう。」と締めくくられています。
税制の不公平の是正。
確かに個人税制についての議論としてはおっしゃるとおりだと思います。
ただ、個人税制の不公平を正すことが、財政の改革や税制の根本(法人税率、直間比率)の見直しなどに比べて優先することだとはボクは思いません。
公平、不公平を測るの物差しの違いは奥が深い。
そもそも所得を得る仕組みの違う事業所得者とサラリーマンは公平なんでしょうか?
そして、税制は広く、しかも社会のシステムの一部であることを忘れてはいけません。
法人と個人の税率は公平なのでしょうか?
税金は公平に使われているのでしょうか?
公を守るために、税金を取りすぎてはいないでしょうか?
民から税金を取りすぎて、公や一部の権力者が必要以上の財を得ているのであれば、それこそ不公平です。
また、年金、介護、医療、雇用保険・・・事業所得者とサラリーマンの公的支出は公平なのでしょうか?
お書きになられた方が、公的金融機関のお偉いさんなので、ボクは“うがち過ぎの憶測”をしているのかも知れませんね。。。
総選挙の暑い夏、少しテンションが上がりすぎたようです。
平等や公平を語るのは難しいと思います。
天に唾する今日のボクが思ったのは、不平等や不公平をどれだけ許容できるか?これこそ「社会の器量」だとボクは思います。
長崎の日に、不平等な世の中の生き方を考えるホディでした。
そうですよね~
役人らしい厳格な公平論かもしれませんが・・・
反面、これも役人らしい視野の狭い公平論になっている気がします。
個人的には増税もやむを得ないと感じつつも、「公平」のためと言われると、持ち前の理屈っぽさがニョキニョキと顔を出してしまいました。