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どうやって死ぬんだろう

2019-11-10 | お知らせ
こんばんは。

唐津赤十字病院主催
市民公開講座に行ってきました。

エンドオブライフケア協会でご縁があり
つながることができた、

鹿児島県 喜入 きいれ浜田クリニック院長 浜田 努さんが講演に来てくださる!

是非、行きたい!

念願かなって、小1の娘と共に
第一部から参加させていただきました。


浜田さんの話は
いのちってなんでしょう?
人生ってなんでしょう?

当たり前に口にする言葉の意味を改めて問うところから始まり、

聴衆の挙手がなければ
唐津のスーパードクター笠原先生がつかまり回答を求められるという素敵な光景が何度かあった。

私だったら、
何て答えただろう。

実は、タイトルのようなことを
人生のさまざまな節目に
考え、また考え、結局避けてきた私。

特に、父と祖父母を続けて亡くしたときだった。



浜田さんの講演や、その前のご遺族のお話を聞き、色んなことを思い出した。

家族の死は、予期できるものも
比較的早く、病気が進んで別れが来たものもあったけど、
どちらが良かった、とか言うものではなく、どちらにしても後悔が残った。


私も、暗い病院で、痛みや苦しみの最期を迎える。いつしかそんな風に、未来の自分の姿を確信していた。

ほんの数年前までそこだけがクローズアップされ、どうやって死ぬんだろう。

思い出す病室の暗さと、怖さと不安から
考えないようにしていた。

でも思い出す作業をしてみると
意外な事実に気づく。

父は、ほんとに苦しかった最期の何週間かは病院だったけど、そういえば、病気が分かり、このままでは余命半年と診断を受け、一旦日程まで決まっていた手術をとり止め、余生を楽しむことに決めてから、
自宅に帰り、ちょっとの入退院を除き1年半、いろんなところに旅行に行ったり、お世話になった方へ手紙を書いたり、お見舞いに来てくれた人からもらった手紙をアルバムにしたり。そういう時間を選ぶことができた。

記憶とはとても不思議で、
断片的には、痛く苦しい最期を苦く思い出したりもするのだけど、
一方で穏やかな気持ちで思い出せることもある。

自分の意思がはっきりしている間。
約1年半、父は選べる自由があり、
上記のようなことがたくさんでき、それを亡くなった今でも娘が思い出せるほどに、残してくれた。

私が感じていた後悔や、苦しみは、
私のもので父のものではなかったんだ。

父にとってはもしかしたら
出来る限りの尊厳が守られ
多くの人とかかわり過ごせた時間だったのかもしれない。

それは、父なきあと、
引き出しから見つけた新しい日記帳と、数々の、手紙。

自分が意思で伝えられる間に、
備えをし、出来る限りのことをし、
自分がいなくなったあと家族が生きるために、友が生きるために、備えてくれたのだと思うと

私自身の後悔と長年の苦しみは少しだけ
小さく思えた。苦しみ以上の、温かな想いで、父に守られている気がした。

人生とは、自分らしい選択を積み重ねること。

でも、人生の最終段階。
選べない。できることが少なくなっていく。
その中でも自分らしくするためにはどうしたらいいか?

それを考えることが

「人生会議」。

人間の尊厳を守ること とも言える。



私にはまだまだ、選べる自由がたくさんあることに気づく。



人生は、有限の時間であり

私たちは無意識に色んな選択をしている。

死を意識すると
いのち=時間は有限であり

何にその時間を使うか
いつ、誰と、どこで、、、

出来る限り、私らしく、生きたいと思うようになる。

互いの価値観に関心をもち、
くりかえしくりかえし共有する。

そういう仲間が身近にいることが
とても温かく感じられた。

今の私は、どうやって死ぬんだろう、と心配する人生から

有限の時間を、どう生きたいか、
互いの大切なものを、定期的に話し合う人生へと確実にシフトチェンジしている。

浜田さん
ありがとうございました!