庭のシュウメイギクが咲き始めました。一枝倒れて泥にまみれていたので、切って花瓶に挿しました。
ちょっと淋しい感じがしたので、やはり下枝で日陰になっていたミズヒキ草も添えました。
「みじめな思い出が人生で貴重な財産となる時もある」・・・これは、いつか新聞で読んだ五木寛之の言葉です。
生きて入れば、みじめな思いをすることだらけです。
ささいなこともあるけれど、打ちのめされて立ち上がれないほどの思いをすることもあります。
勝つ人があれば必ず負ける人があります。
合格する人の傍らには不合格の人がいます。
入選する人のかげにはたくさんの落選する人がいます。
負ける人がいるから勝つ人が光り輝きます。
人は、多くの人は、光り輝くときより、みじめさを味わうことの方が多いような気がします。
私もみじめな経験は数限りなくあります。
じっと歯を食いしばって耐えてきました。
その思いは、たまたま光り輝く立場に立った数少ない時でも、浮かれる気持ちにはなれませんでした。
スポーツでも、みんな日々の血のにじむような鍛錬を重ねてきても金メダルを取れるのは一人。
優勝できるのは、一人(1チーム)。
それならば、勝てなかったほとんどの人は無駄だったか?
決してそんなことありませんよね?
あれ?
そもそも私は何をいいたかったのかしら?
倒れて泥にまみれたシュウメイギクも私の心を楽しませ、慰めてくれているんです。