一言だけのつもりだったけど、なんだか私の認識とあまりにかけ離れた議論しか見かけないので、ほのめかし的に書いてしまおう。人の噂も75時間だしね。
確かにマスコミは「報道しない自由」を行使したと言えると思う。けれども、そこには事態の「隠蔽」とかの意図は感じられない。そもそも週刊誌が実名で取り上げ、複数の大手配信元が実名ではないにせよニュースとして流した段階で、「隠蔽」はない。
では実際には何が起こっていたのか。D通とか893とか闇の勢力とかが圧力をかけたのか。もしそんなものが実在するとすれば、そもそも週刊誌ネタになったり配信されることはないし、そのての「陰謀論」はほぼ妄想というか茶番に過ぎない。情報管理とはその出どころが重要であり、そんな凄い組織があるんなら、そもそも表沙汰にすらならずに握りつぶされていたことだろう。
というか、去年の話が今頃出てくるあたり、むしろ実は一度隠蔽さてたんだけど、何らかのほころびがあって、リークされて週刊誌ネタになった、くらいの話の方がよほど信憑性を感じるというもの。私的には、それすらないと思うけどね。
以下「報知芸能デスク日誌(削除済み)から引用********
7日夜=澤辺
たかみな母が淫行で逮捕の週刊文春ネタでバタバタ。基本スルーで始めていたものの、時事が配信し、そのうち7時前には共同も配信してきて、さぁ困った。
こっちだけでは決められないので局次の柴矢さんに相談に。とりあえずこちらの事情としては、今後のことを考えてやりたくない旨を伝え、羽田から説明を受けていた「半分レイプまがいの被害者的側面もあるらしいこと、今後逆に訴訟を起こすことも考えていると事務所が言っていること」といった背景も説明しました。
局次長ズラリの中、意見も様々でしたが、社会面で共同の原稿をそのまま入れる(たかみなの名前も出ない)、見出しは2D以内にすることで決着しましたが、そのうち局次長席から電話があり「そっちがやりたくないのなら入れなくてもいいよ」とのことで、入れないことになりました。局長も了承済みとのことです。責任を丸投げしたのが結果的には良かったのか…。
共同配信ということで、そのうちネットなどにもアップされるだろうと思っていましたが、2ちゃんでは盛り上がっても、ネットは全くどこも触れず。サンスポがアップしながら、あっという間に削除されたようです。読売早版は記事は1行もありませんが、文春の記事下はハッキリと載っています。
羽田によると、東スポも触れないとのこと。どうなることやら。
以上引用****************
以下引用YUCASEE MEDIAから引用********
スポーツ紙幹部は「某スポーツ紙がそのことに触れたブログを慌てて削除していたり、みんな慌てていたのがよくわかる」と話す。また、産経のサイトから消えたことについて、サンケイデジタル社員は「取材部門から(削除の)声が出たのだろう」と話す。
取材現場の記者からは「今後の付き合いを最優先したのでしょう。事件は同情する点もかなりありますし、事務所も法的な対応を含めて検討していることや、また、本人ではないという点もあります。それに、彼女はいつも『神対応』をしてくれるので、本当に気の毒です」という声も出るほどだ。
以上引用****************
これらの記述に嘘はないんじゃないか。つまりは現場判断、現場の声ということ。デスクなどは「事件」の内容が微妙なんで、第一線の記者の意見を聞いた、逆に記者は「ある思い」を胸に、デスクに打診した。そういうことではないか。
もうちょっと噛み砕こう。編集長などの責任ある立場としては、AKBの扱いには慎重にならざるを得ない。取り上げようによっては社会問題になりかねないし、経営的な判断も必要になる。よく言われる「業界」のしきたりみたいなのもあるかもしれない。一方現場の記者としては、彼女がいかなる存在なのかを熟知してるし、何よりその人間性を知っている。
取り扱いに憂慮する上司の優柔不断に対し、部下は個人的な思いとして取り上げたくない、できるなら触れたくないことを進言する。そこには取材対象としての付き合いがあり、彼女の日頃の行いがある。
温度差はあれ、類似のやりとりがあちこちで行われ、意図せざるシンクロニシティが実現してしまった、結果、マスコミが揃って右ならえでスルーを決め込んだかのようになってしまった、そんなところではないか。
さらには、ひとたびこのようなことが実現してしまうと、とりわけ現場記者には、確信犯的な意図せざる連帯感すら芽生えた可能性がある。ヲタさんと同じだね。回りをこっそり見渡しながら、小声で俺たちが彼女を守ろうみたいな。もっともマスコミがどのように動こうとも、実際にはネットは祭だったわけで、何の意味もなかったとも言えそうだけど。
視点を変えて、彼女自身はどうかと言えば、実の母親ゆえ逃げも隠れもできないんだけど、どんな行動をとろうとも、どこかに、誰かに累が及んでしまうことになる。謝罪会見を、とか言う人がいるけど、それは母親を追い込みかねず、そもそも既に罪を償ってるのだから、そんな必要があるのか。
その前に誰に謝罪するのか。ファンに、と言うことであれば、彼女のファンならその必要すら感じないだろう。それどころか、型にはまった物言いとみそぎのセレモニーこそ彼女には似つかわしくない。48グループの誰にとっても、スタッフにとっても、それは同じであり、やはり必要としないだろう。CMクライアントとかは難しいところだけど、ここは彼女の個人的な対応ではなくて、正にスタッフの力量なのであり、こうやって一つ一つ見ていくと、「謝罪」の需要はどこにもないのではないか。
であればこその「沈黙」が正解だろうし、Google検索ワードとか見るに、スタッフはできることは全力でやってくれてる。残る心配なのは、いつも全力120%の本人なのであり、乗り切ってくれることを願うしかないし、だからこそのtgsk氏の「大丈夫です」なんではないかなと思う。
確かにマスコミは「報道しない自由」を行使したと言えると思う。けれども、そこには事態の「隠蔽」とかの意図は感じられない。そもそも週刊誌が実名で取り上げ、複数の大手配信元が実名ではないにせよニュースとして流した段階で、「隠蔽」はない。
では実際には何が起こっていたのか。D通とか893とか闇の勢力とかが圧力をかけたのか。もしそんなものが実在するとすれば、そもそも週刊誌ネタになったり配信されることはないし、そのての「陰謀論」はほぼ妄想というか茶番に過ぎない。情報管理とはその出どころが重要であり、そんな凄い組織があるんなら、そもそも表沙汰にすらならずに握りつぶされていたことだろう。
というか、去年の話が今頃出てくるあたり、むしろ実は一度隠蔽さてたんだけど、何らかのほころびがあって、リークされて週刊誌ネタになった、くらいの話の方がよほど信憑性を感じるというもの。私的には、それすらないと思うけどね。
以下「報知芸能デスク日誌(削除済み)から引用********
7日夜=澤辺
たかみな母が淫行で逮捕の週刊文春ネタでバタバタ。基本スルーで始めていたものの、時事が配信し、そのうち7時前には共同も配信してきて、さぁ困った。
こっちだけでは決められないので局次の柴矢さんに相談に。とりあえずこちらの事情としては、今後のことを考えてやりたくない旨を伝え、羽田から説明を受けていた「半分レイプまがいの被害者的側面もあるらしいこと、今後逆に訴訟を起こすことも考えていると事務所が言っていること」といった背景も説明しました。
局次長ズラリの中、意見も様々でしたが、社会面で共同の原稿をそのまま入れる(たかみなの名前も出ない)、見出しは2D以内にすることで決着しましたが、そのうち局次長席から電話があり「そっちがやりたくないのなら入れなくてもいいよ」とのことで、入れないことになりました。局長も了承済みとのことです。責任を丸投げしたのが結果的には良かったのか…。
共同配信ということで、そのうちネットなどにもアップされるだろうと思っていましたが、2ちゃんでは盛り上がっても、ネットは全くどこも触れず。サンスポがアップしながら、あっという間に削除されたようです。読売早版は記事は1行もありませんが、文春の記事下はハッキリと載っています。
羽田によると、東スポも触れないとのこと。どうなることやら。
以上引用****************
以下引用YUCASEE MEDIAから引用********
スポーツ紙幹部は「某スポーツ紙がそのことに触れたブログを慌てて削除していたり、みんな慌てていたのがよくわかる」と話す。また、産経のサイトから消えたことについて、サンケイデジタル社員は「取材部門から(削除の)声が出たのだろう」と話す。
取材現場の記者からは「今後の付き合いを最優先したのでしょう。事件は同情する点もかなりありますし、事務所も法的な対応を含めて検討していることや、また、本人ではないという点もあります。それに、彼女はいつも『神対応』をしてくれるので、本当に気の毒です」という声も出るほどだ。
以上引用****************
これらの記述に嘘はないんじゃないか。つまりは現場判断、現場の声ということ。デスクなどは「事件」の内容が微妙なんで、第一線の記者の意見を聞いた、逆に記者は「ある思い」を胸に、デスクに打診した。そういうことではないか。
もうちょっと噛み砕こう。編集長などの責任ある立場としては、AKBの扱いには慎重にならざるを得ない。取り上げようによっては社会問題になりかねないし、経営的な判断も必要になる。よく言われる「業界」のしきたりみたいなのもあるかもしれない。一方現場の記者としては、彼女がいかなる存在なのかを熟知してるし、何よりその人間性を知っている。
取り扱いに憂慮する上司の優柔不断に対し、部下は個人的な思いとして取り上げたくない、できるなら触れたくないことを進言する。そこには取材対象としての付き合いがあり、彼女の日頃の行いがある。
温度差はあれ、類似のやりとりがあちこちで行われ、意図せざるシンクロニシティが実現してしまった、結果、マスコミが揃って右ならえでスルーを決め込んだかのようになってしまった、そんなところではないか。
さらには、ひとたびこのようなことが実現してしまうと、とりわけ現場記者には、確信犯的な意図せざる連帯感すら芽生えた可能性がある。ヲタさんと同じだね。回りをこっそり見渡しながら、小声で俺たちが彼女を守ろうみたいな。もっともマスコミがどのように動こうとも、実際にはネットは祭だったわけで、何の意味もなかったとも言えそうだけど。
視点を変えて、彼女自身はどうかと言えば、実の母親ゆえ逃げも隠れもできないんだけど、どんな行動をとろうとも、どこかに、誰かに累が及んでしまうことになる。謝罪会見を、とか言う人がいるけど、それは母親を追い込みかねず、そもそも既に罪を償ってるのだから、そんな必要があるのか。
その前に誰に謝罪するのか。ファンに、と言うことであれば、彼女のファンならその必要すら感じないだろう。それどころか、型にはまった物言いとみそぎのセレモニーこそ彼女には似つかわしくない。48グループの誰にとっても、スタッフにとっても、それは同じであり、やはり必要としないだろう。CMクライアントとかは難しいところだけど、ここは彼女の個人的な対応ではなくて、正にスタッフの力量なのであり、こうやって一つ一つ見ていくと、「謝罪」の需要はどこにもないのではないか。
であればこその「沈黙」が正解だろうし、Google検索ワードとか見るに、スタッフはできることは全力でやってくれてる。残る心配なのは、いつも全力120%の本人なのであり、乗り切ってくれることを願うしかないし、だからこそのtgsk氏の「大丈夫です」なんではないかなと思う。