AKB48の旅

AKB48の旅

「秋元イズム」

2017年04月04日 | AKB
秋元康氏、革新を起こし続けてきた男の頭の中
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/033000127/033100001/

秋元:放送作家をしていた30代の頃、「この時間の視聴者はこういうものを欲しがっているはず」といった考えで番組を作っていました。とても驕っていたと思います。でもある時、自分も大衆の一人であることに気が付いたのです。見えない大衆に向けて「こういうのがウケるんだろうな」と思って何かを作るのではなく、大衆の一人でもある自分が面白いと思うものを作ろうと。それからは、時代とかマーケティングとか全く気にせず作るようになりました。

アイドルが大衆を変えたり、時代にあった仕掛けをしたりするわけではありません。大衆が望んでいるときに、それを登場させることが重要なんです。夕方部活でお腹を空かせた野球部員に、タイミングよくカツカレーを出せるかどうか。これこそが、ブレイクの境目です。おニャン子のときは素人に、AKBのときは成長するアイドルにシンパシーを感じることが、大衆の“お腹具合”だったのだと思います。

AKBグループのオーディションも少し変わっています。普通は審査員が何人かいて、それぞれルックス何点、表現力何点って点数性にしてやるんですけど、うちは全く違います。審査員が誰であれ、誰かが「この子いいね」と言ったら、他の全員が「えー!」と言っても必ず合格させます。なぜなら、その人と同じ感覚で「いいね」と共感してくれるファンが必ずいるからです。それを点数が高い順に上からとってしまえば、平均化した集団になってしまいます。誰かのツボは必ず誰かのツボなんです。

つまり、アニメもディズニーとは違うし、アイドルも外国では概念が違います。ガラパゴス市場の中で、自分たちの好きなものをただ作ってきた。そこに強さがあると思います。だからこそ、ネットが普及して世界中の人々が日本のガラパゴス文化を見たときに「なんだこれ」と驚くのです。

 ですから、日本のガラパゴス文化が海外に出て行く際には、ローカライズする部分はあっても、基本スタンスは変えないべきだと思っています。例えば、納豆を海外で売るために納豆の臭みと糸を引く部分を排除してしまったら、それはもう納豆ではないですよね。納豆は納豆のままだからいい。世界に出て行くときに一番必要なのはこの点で、“ガラパゴス”で成長したコンテンツであると自信を持つことが最も大事なのです。

VRやスマホのアプリで何か作って欲しいと言われることが多いのですが、そういう話を聞くたびに、なんだか「容器のことを先に言っている」と感じます。料理を作るときに、何を作るのか、ではなく、何に盛り付けるかを重要視しているのです。僕たちが作らなければならないのは、決して皿に合わせた料理ではありません。おいしい料理を作らなくてはならないのに、あまりにも皿側に目が行ってしまっているなと感じています。今後日本がクールジャパンとして海外市場に打って出ていく際に、日本企業が持つこの視線をもっと変えなければならないと思っています。


長文のインタビューだけど、巧みに誘導あるいは編集されてる感じで、たいへん読みやすい。そして何より、正に「秋元イズム」のバイブルのような内容になってる。上記つまみ食い引用部分だけでなく、全文を通して読むだけの価値があると思う。

秋元氏という人は、非常に(異常に)誤解され曲解され続けてる印象だけど、こういう記事が読まれることで、それがいくらかでも解消に向かってくれたらと思う(←別に回し者とかではないよ、と為念)。