AKB48の旅

AKB48の旅

モラトリアムと巣立ち

2012年02月24日 | AKB
「AKB改革」の一の矢は内部改革、つまりはバンド要素の新たな拡張だった。二の矢は外部改革、つまりは乃木坂46だった。そして三の矢は退路を断つ、そして過去の清算にも当たる、つまりSDNの解散だった、私はそのように見ている。根拠はラストシングルの歌詞にある。秋元康はこれまでも繰り返し、それを歌うメンバーに対する「指導」を、歌詞そのもので指し示してきた。

「負け惜しみコングラチュレーション」の歌詞は、秋元康から見たSDNメンバーへの視線ととらえることができる。AKBで「柱」といえば劇場のことであり、この不自然に思える「柱」の演出展開、古い柱と新しい柱という対比は、SDNが、もうもどることのない過去の記憶となったことの比喩となっている。さらに「結婚」は人生の不可逆点の象徴であり、別の道へと進むことを示すと同時に、それは同時に「日常への回帰」をも示唆していると思う。「ああ今も愛しい人よ 僕には出来なかったけど幸せになれ 」は、正直な心情の吐露だろう。

これを思いっきりドライに翻訳すれば、そして諸般の事情から思いっきりドライに解釈するのが正解だと考えるけど、秋元康はSDNのプロデュースを終了する。君たちの成長の物語は終わった。大人になろう、日常へ帰ろう。・・・つまりは引退勧告ではなかったか。

しかし、生身の人間が相手だけに、そして人気稼業なだけに、話がとんとん拍子に簡単に進むはずがない。昨日の秋元康ぐぐたす発言には、ある種の迷いが感じられた。。

以下引用****************
SDNの全員卒業の撤回を求める嘆願書、届きました。あんなに沢山の署名を集めていただいたことを、本当に嬉しくお願いします。

みなさんの気持ちを、しっかり受け止めたいと思います。

ただ、問題は、
SDNはAKBと違って、“卒業のタイミング”を自分で決めにくいということです。
基本的に、年齢制限がないので、ずっと、SDNでいられるわけですから。
誰を残して、誰を卒業させるなんてできないので、全員に新しい道を用意しようと考えました。

いろいろ、考えます。

みなさん、ありがとう。
以上引用****************

最良の方策は、ここで冷たく切り捨てて、できれば引退させたい、本人達はそう思っていなくても、SDNはモラトリアムと化しているのではないか、だからそこから追い出して、大人の道を進ませる、平凡な日常へと追い立てる、理屈ではそうだと分かってる。けれども人情と世間体がそれを阻むという構図。

「全員に新しい道を用意」するというのは、確かに秋元康にならできるのかもしれない。けれども、それこそ誰もが忌避しているはずの権力者秋元康の姿そのものではないか。

もっとAKB補完計画

2012年02月23日 | AKB
なんか舌っ足らずというか、書き漏らしたことがたくさんあるので、あらためて。

いわゆるアイドル20才定年説というのがあるけど、まずはあれを論破しておきたい。確かにアイドルの価値はかわいさにあり、かわいいは子供属性だから、年齢の影響を強く受けるのは事実。けれども、そういうときの「子供」って何よってこと。

以前書いたように、欧米的価値観による子供/大人対立を、日本人である私たちが特に有り難がる必要もない。そもそも日本のアイドル文化は特異なもの、敢えて言い切れば「独創的」なものであり、もっと日本的な価値観を大事にしても良いんじゃないか。つまりは子供=不完全な大人、ではなくて、子供=成長するものという視点。

成長するということは、つまりは変わり続けること、動的平衡の破綻状態であり、不安定ということ。さらにはまだ見ぬ未来へと分け入ることであり、予測できない、つまりは防御姿勢をとれない、否、防御姿勢では視界が開けないので無防備で矢面に立ち続ける、そういうことでもある。こういうのって類似の経験のある方なら分かると思うけど、ものすごく辛い。

けれども、この成長するものという概念には、直接的には年齢というディメンションはない。もちろん成長はいつかは止まらざるを得ない。誰にも寿命があり、生理的限界というものがあるけど、それは必ずしも年齢とは相関しない。持って生まれた資質と、あとは本人の努力次第なのであり、実年齢との関係は相対的なものとなる。「定年」などあろうはずがない。

麻里子様がなによりの好例となるだろう。一般的な意味での大人の女性として振る舞うことなく、たかみなと同じ目線に立って走り続けてる。日々新たな課題に取り組み、守りには入らない。若いメンバーに追いつかれるどころか、差は開くばかりではないか。これ以上は無理だ、そう感じて立ち止まる時まで、「定年」はやってこないのだし、年齢だけ見てると本質を見誤るだけだと思う。

さて、子供=不完全な大人なのか、子供=成長するものなのか、その価値観の転換こそがAKBムーブメントなんではないか、このブログではずっと底流でそんなことを仄めかしてきた。その象徴的なできごとが、先日指摘した「それでも好きだよ」と「シンクロときめき」の対比だった。

さっしーとまゆゆの直接比較は、いささか残酷なものだろう。かわいい属性で見る限り、さっしーに勝ち目はない。かわいい属性意外でもほとんどの項目で、まゆゆ優位か、せいぜいが互角までだろうと思う。それくらい私が力説する必要がないほど、まゆゆのアイドルとしてのスペックは高い。もちろんこれは極めて個人的な感想なんであって、意見を押しつけるとかの意図はない。一つの見方ぐらいのスタンスで付き合っていただけたらと思う。

けれども「それでも好きだよ」のさっしーは輝いてた。定常状態の静的さっしーからのジャンプアップが半端なかった。それに対して「シンクロときめき」は定説通りのまゆゆだった。そのままだった。両者とも王道アイドル路線なんだけど、さっしーの振れ幅というサプライズに対し、まゆゆは単なる「古典的」に見えた。さっしーのハードルがもともと低いから、というネガティブな見方もあるけど、それでも自身のスペックの遙か高みを飛ぶというのはたいへんなことだと思う。

つまりは、「それでも好きだよ」はダイナミックであり、「シンクロときめき」はスタティックだったと言うこと。前者が「成長」と親和的なのは言うまでもなく、後者が子供であり続ける=不完全な大人属性に依存してるという説明も、ロリ的な視点と絡め、そんなに暴論でもないと思う。さっしーは「新しい」アイドル像を確立しようとしている、少なくとも私はそうとらえてる。これは革命なんだと。

一方で、まゆゆの「古典」的性格、それはちょうど乃木坂のスタンスでもある。まゆゆが今後どういう方向性を選ぶのかは分からないけど、「乃木坂へ移籍」なんてネタが振られるのも宜なるかなと思う。当然ながら秋元康は見通してるということだよね。

秋元康の通信簿

2012年02月22日 | AKB
GIVE ME FIVE!のカプリング曲のメンバー割の件。既に議論百出なんで今更なんだけど、それでも実は今日、ようやくタイプAとタイプBのDVD見たんで、こんなタイミング。遅出しじゃんけんにもほどがある。ちなみに劇場版は買ってないよ。

これってそのまんま、秋元康(そして運営)からの評価、通信簿だろうね。当たり前っちゃあ当たり前だが。つまりは、セレクション6は「たいへんよくできました」。スペシャルガールズAは「これからに期待します」。スペシャルガールズBは「もうちょっとがんばりましょう」。

これまで同様、歌詞の内容がそのまま評価内容になってるのが面白い。「スイート&ビター」は、CM曲ということで、要するに何も注意とかはなし。「NEW SHIP」は、恐れずに船を出せ。先輩をまねるな。「羊飼いの旅」は、今の地に止まらず歩き続けろ、まだ見ぬ明日を、未来を掴め。「ユングやフロイトの場合」は、声が聞こえない、どうしたら良いのか分からない。

Baby blossom西武ドーム握手会バージョン

2012年02月21日 | AKB
たかみな、JR、さや姉out、島崎遥香、多田愛佳inということで、これまで既に判明していたとおり、Jのアンダーはきたりえスライド、Rのアンダーは置かれずトランペットはゆいはん1本のみ。

そしてそして、ついにたかみなの欠場、予想通りアンダーは置かれず、サポートメンバーの女性(たかみなの指導に就いてた人かな)がリードギター担当だった模様。やはりバンドの中心を担う4人はアンダーを置かないんだろうな。

生演奏生歌だったようなので、テレビ以外(除MUSIC JAPAN)は基本、生で行くということではないかな。ぐぐたす見ても、少なからぬメンが楽器練習をしてるようなので、予定されてる全国コンサートとかでは、チームメンバー構成による生演奏が聞けるのかも。これは凄いことになりそう。

AKB補完計画

2012年02月20日 | AKB
乃木坂46の存在様式がなんとなく見えてきたように思うので、乃木坂46論を、ひいては表裏となるAKB48論にも言及してみようかと。加えて、なぜ秋元康が乃木坂46を「公式ライバル」と呼称したかについても考えてみる。

まず感じ入ったことは、乃木坂のルックスのレベルの高さ。ほれぼれするほどかわいい子ばっかりを揃えている。それでいて、センターの生駒里奈が、素朴で穏やかな雰囲気を醸し出していて、抵抗感とか警戒感のハードルを思いっきり下げてくれてる。

SONYによる万全のバックアップのもと、最初っから冠番組にCMタイアップと恵まれ過ぎな上に、デビュー曲の「ぐるぐるカーテン」も良曲ということで、これはヒット間違いなし。パフォーマンスも、品の良い、それでいてあざといスカートアクションを織り交ぜる、ある意味王道アイドル的な作り。今後の展開は未知だけど、現状、定型的なアイドル路線を狙ってるように見える。かわいいは正義。

となると「かわいい」を絶対条件にアイドルを楽しむファンにとっては、必然的にAKBよりも乃木坂の方が魅力的に感じられるはず。急激に、ではないかもしれないけれど、じわじわとAKBファンが乃木坂に「推し変」するというのは確実ではないか。ちなみに「クラスで5番目」的な話はとりあえず置いとく。

一見、AKBの自殺行為ともとれる乃木坂の「設計」。けれども、それこそが秋元康の狙いなんだろう。つまりは、アイドル=かわいい、かわいいは正義、ここを崩しにかかったんではないか。

例によってもう少し噛み砕く。「かわいい」とは要するに子供属性であり、だから年齢という要素が決定的となる。誰が決めたわけでもないと思うんだけど、二十歳を過ぎると「卒業」しなければならない、なんかそんなルールがあることになってる。でもちょっと待て、AKBのコンセプトは「かわいい」ではなくて「成長を見せる」ではなかったか。確かに未熟は子供属性だけど、未熟だからかわいいは成り立つけど、それは等価ではない。

ならば、AKBから「かわいい」を引きはがしたら、否、「かわいい」要素のみのファンを引きはがしたら何が残るのか。もちろん「かわいい」要素がなければ、人は関心すら持ってはくれない。だから、かわいいを否定するのではなく、より優位なものを用意した。乃木坂の特徴、それはAKBよりかわいい、比較の問題としてのかわいい優位にあるのではないか。

単純に考えれば、かわいさのみを求めるファンは確実に乃木坂に推し変していくことだろう。とすれば、AKBに残るのは、かわいい=未熟な女の子の努力を、挑戦を、成長をこそ愛でるファンということにならないか。もちろんファンあってのアイドルなんで、こういう誘導的な物言いは傲慢そのものなんだけど、言わばAKBバブルと言って良い現状、バブル崩壊の受け皿的な仕組みを用意するというのは、戦略として間違ってないだろう。

そしてそれが、コンセプトの先鋭化、敢えて言い切ろう、ファンの絞り込み、よりコアなファン、どこまでもついてきてるファンへの注力という方向性を指向するなら、それは正しい判断と言い切れるのではないか。努力と成長の物語を共有するファンをこそ大事にしよう、そうではない、疑似恋愛中心のファンには新たな選択肢を用意しよう・・・。そしてそして、ここからが最大の味噌なんだけど、この方向性で、具体的に、決定的に影響を受けるイベントがある。総選挙だ。

今年、総選挙があるとして、その票数がどこまで伸びるのか予想はつかない。しかし乃木坂が期待通りに伸びてくれれば、票数の伸びは鈍化、もしかして減少することすらあり得る。そんな票数の変化で、一番影響を受けるのが「かわいい」属性にコミットするファンということにならないか。秋元康の発言「『推しメン以外は興味ない』というファンが急増しているとしたら、僕は何らかの手を打たなければいけなくなるかもしれません」正にそういうことではないか。

もちろんファンの動向を読み切ることはできない。けれども秋元康は戦略的に大きく舵を切った。「AKB改革」とは内部的なものだけでなく外部的にも、なのであり、乃木坂はAKB改革の「外部性」という性格を帯びていることになる。この「変革」のターゲットはまず間違いなく「かわいい」属性なのであり、それは旧態依然の「アイドル」という記号への挑戦でもある。

とすれば、これは改めて持論の補強になるんだけど、46という数字の意味も自ずから明らかになりはしないか。AKBコンセプトの申し子は、以前にも述べたようにたかみなでありあっさんだ。従って、この二人は乃木坂のライバルとはなり得ない。最初から対象外なんだ。だからこそのマイナス2。