小原冷泉館跡
おはられいぜいやかたあと
城名 |
小原冷泉館跡 |
住所 |
松阪市嬉野小原町 |
創立 |
元亀年中(1570~1573) |
形式 |
居館 |
現状 |
寶徳寺 |
遺構 |
屋敷地 |
規模 |
東西90m×南北60m |
城主 |
小原冷泉 |
標高 250m 比高 20m |
一族 |
藤氏近衛家の末裔。京の関白近衛公の連衆(れんじゅ)に連なる冷泉家の一族 客殿・多気の公家として京より迎えられ小原に住まいした。嫡男以外であったため地方に下向させられたという説もある。 |
資料 |
大嶋内蔵頭書 北畠家臣帳 |
戦国南伊勢国人名事典 |
船江城に籠城する本田美作守を助けるべく小原冷泉らは援軍として駆けつけ織田信長の先鋒に夜襲を掛けこれを蹴散らす活躍をした。信長が船江城の輩を嫌って攻撃を後回しにしたという説となる。 |
現地 |
寶徳寺の南80mに中村川を見下ろす緩斜面にある。この居跡から南300mの山頂には詰城の一つ小原城出郭(西城)が目の前に見える。 |
出郭(西城)から更に東250mの山頂に主郭がある。冷泉は日常は居館に住みいざという時の詰城と中継用・監視用である見晴らし台の出郭を持ったと考えられる。 |
経緯 |
平成28年8月22日 小原城の遠景を撮影しようと現地に行く。広い路肩に車を止め三脚とカメラをセットしていると電動車いすのご老人が傍を通りかかった。会釈をすると声を掛けられた。「小原城の写真を撮らせてください」というと、「ここは出城じゃ、城は向こうにある」と明言されてビックリした。小原の在所に近衛冷泉の城跡があるという。 |
色々お話をお聞きするにほぼ半時間位、炎天下のもと二人で汗をかきながら過ごすに至った。なんと90歳とのこと。これ以上引き留めては問題あり。お礼をして見送った。 |
宝徳寺がそうらしい。寺伝での「元亀年中(1570~73)近衛冷泉卿が創立」が老人の言葉の裏付になっているのかもしれない。 |
感想 |
館跡より西1.5Kmにある髯山の狼煙台の番は小原城主、冷泉の役目であったのかもしれない。居館と同じ尾根筋であるし、近辺で一番近い城主である。 |
地図;
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