田引城
城名 |
田引城 |
読み |
たびきじょう |
住所 |
松阪市飯高町田引 |
築城年 |
不明 |
築城者 |
田引氏 |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、堀切? |
規模 |
頂部10m×10m |
城主 |
田引庄六郎家清 |
一族 |
北畠家臣 |
標高 270m 比高 85m |
歴史 川俣谷の戦い |
天正4年(1577)春、北畠具親は織田信雄軍と川俣谷において死力の戦いを行った。 |
鳥屋尾氏、家城氏、峯氏、波多瀬氏、野呂氏、滝野氏らの諸将は森城に具親を迎え一同心を固く結び意気益々高まった。 |
一方信雄軍は日置大膳以下、滝川、柘植、長野、本田、木造、秋山、沢らが大軍を率いて川俣の谷へ攻め寄せた。 |
北畠軍の諸氏は果敢に織田軍に挑むが多勢に無勢、赤桶城(閼伽桶善四郎)、九曲城(粟野半六郎)に加えて田引城(田引家清)もことごとく攻め落とされていった。 |
余談 |
この時、妻子は近江へ逃げることができその子孫が現在に至り、最近この地を訪れてご先祖を弔われたと聞く。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
和歌山街道と櫛田川を同時に望むことができる。 |
東方170m先の舌状丘頂には愛宕砦がある。 |
現地 |
円錐状の斜面はガラ場が多く上りにくい。傾斜も見るより急峻だ。現在は山の神が祀られている。 |
初心者の訪城は十分気を付けたい。 |
注1 |
田引庄六郎家清は天正5年春死去したという。
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地図;
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