もう終わってしまったかもしれないが、
東京の国立博物館で巨匠の対決という展覧会があって、
話題になっていた。
それを知ったのは、だいぶ前、
京都の博物館にチラシが置かれていたからだ。
「風神・雷神」の宗達、光琳の対決から、
応挙対芦雪、若冲対蕭白、永徳対等伯などなど、
日本の巨匠と言われる画家たちの代表作が勢揃いした、
ゴージャスな対決だ。
でも、この展示は、
名作が見られるというほかには大したメリットのない展覧会という気がした。
というより、デメリットの方が大きいのではないのだろうか。
だが東京だから見には行っていないが、
もし近くでこの展覧会があれば行っていたかもしれない。
とにかく、
巨匠の名だたる作品がずらずらと展示されているのだから、
それだけで目が眩んでしまう。
でも、それでも複雑な思いがしたと思う。
博物館の学芸員にとっては、
こういう企画は一度はしてみたいものだろう。
企画しながらワクワクしていたのではないか。
しかし、結局それは学芸員の自己満足だけだと思う。
第一に、「巨匠」たちは、
自分たちが誰それと比較されたくて、
対決したくて絵を描いたわけではない。
「風神・雷神」すら、宗達は、
のちに光琳がこれをなぞって描く、などと思いもしなかっただろう。
光琳はともかく、
宗達にとっては、並べて飾られることは本意ではないはずだ。
永徳と等伯の対決は、
確かに彼らはライバル同志だったので、
ある程度意味があることかもしれない。
だけど、その作品を並べて飾ることで、互いが引立つのだろうか?
互いが相殺されて、
その絵画の本来の値打ちが両者とも下がってしまうような気がしてならないのだ。
その前に、その二つの作品が、
並べて飾られることに意味のある作品だろうか?
結局博物館の、
ウチはこんなに沢山作品を持ってますよという自慢か、
これだけ集めましたという自慢にしかすぎないのではないだろうか。
とても、作品にやさしい展示の仕方とは思えない。
まあこんなことを思うのは、
東京の博物館に対する僻みなのかもしれないけれども。
僻みといえば、
他にも東博では六波羅蜜寺の仏像を展示しているようだ。
さすがに空也上人の像は出品されていない。
でも教科書に載っている、平清盛像や運慶像、
毛を持っている地蔵菩薩像など、
六波羅蜜寺の代表的なものが一堂に会している。
そして秋には大琳派展があるそうで、
それには光琳の燕子花図から、
宗達の風神・雷神から何から何までずずずいっと出るようだ。
何と、私の大好きな宗達・光悦のコラボ「鶴下絵三十六歌仙」が、
そして、何と何とあの養源院の宗達の板絵の白像図が、
板戸をはずして持って行くようなのだ。
京都からそれだけ根こそぎ持って行くのは、まあ構わない。
いくらでも持って行くが良いさ。
けれど、京都にも貸してくれよと思う。
光琳の燕子花図、酒井抱一の夏秋草図屏風、
光琳の風神雷神、光琳の八つ橋硯箱。
京都からいとも気軽に持って行くのだから、
そういうのを京都に貸してくれても良いだろ。
一度でも良いからさあ。
「紅白梅図屏風」貸してくれよう。
減るもんじゃなし(減るかもしれないが)。
自分らだけ勝手に借りやがって。
ちょっとは貸せよ。
なに、檜図と唐獅子を貸してやっただと?
それはそれ、これはこれ。
琳派を貸せっての、この野郎。
京都からあんなにいろいろと持って行くんだからさあ。
京都からだけじゃない、
奈良からも、阿修羅像が出ていくんだぜ。
こんなの許せる?
断じて許せねえ。
よし、分かった。
京都から広隆寺の弥勒菩薩を貸してやろうじゃないの。
それと、東寺の不動明王だ。
何なら兜跋毘沙門も持ってけ。これでどうだ。
だから貸してよう。
「燕子花」と「八橋」と「紅白梅図」と「夏秋草図」をさあ。
いけねえ、ガラが悪くなって来たのでこの辺で
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東京の国立博物館で巨匠の対決という展覧会があって、
話題になっていた。
それを知ったのは、だいぶ前、
京都の博物館にチラシが置かれていたからだ。
「風神・雷神」の宗達、光琳の対決から、
応挙対芦雪、若冲対蕭白、永徳対等伯などなど、
日本の巨匠と言われる画家たちの代表作が勢揃いした、
ゴージャスな対決だ。
でも、この展示は、
名作が見られるというほかには大したメリットのない展覧会という気がした。
というより、デメリットの方が大きいのではないのだろうか。
だが東京だから見には行っていないが、
もし近くでこの展覧会があれば行っていたかもしれない。
とにかく、
巨匠の名だたる作品がずらずらと展示されているのだから、
それだけで目が眩んでしまう。
でも、それでも複雑な思いがしたと思う。
博物館の学芸員にとっては、
こういう企画は一度はしてみたいものだろう。
企画しながらワクワクしていたのではないか。
しかし、結局それは学芸員の自己満足だけだと思う。
第一に、「巨匠」たちは、
自分たちが誰それと比較されたくて、
対決したくて絵を描いたわけではない。
「風神・雷神」すら、宗達は、
のちに光琳がこれをなぞって描く、などと思いもしなかっただろう。
光琳はともかく、
宗達にとっては、並べて飾られることは本意ではないはずだ。
永徳と等伯の対決は、
確かに彼らはライバル同志だったので、
ある程度意味があることかもしれない。
だけど、その作品を並べて飾ることで、互いが引立つのだろうか?
互いが相殺されて、
その絵画の本来の値打ちが両者とも下がってしまうような気がしてならないのだ。
その前に、その二つの作品が、
並べて飾られることに意味のある作品だろうか?
結局博物館の、
ウチはこんなに沢山作品を持ってますよという自慢か、
これだけ集めましたという自慢にしかすぎないのではないだろうか。
とても、作品にやさしい展示の仕方とは思えない。
まあこんなことを思うのは、
東京の博物館に対する僻みなのかもしれないけれども。
僻みといえば、
他にも東博では六波羅蜜寺の仏像を展示しているようだ。
さすがに空也上人の像は出品されていない。
でも教科書に載っている、平清盛像や運慶像、
毛を持っている地蔵菩薩像など、
六波羅蜜寺の代表的なものが一堂に会している。
そして秋には大琳派展があるそうで、
それには光琳の燕子花図から、
宗達の風神・雷神から何から何までずずずいっと出るようだ。
何と、私の大好きな宗達・光悦のコラボ「鶴下絵三十六歌仙」が、
そして、何と何とあの養源院の宗達の板絵の白像図が、
板戸をはずして持って行くようなのだ。
京都からそれだけ根こそぎ持って行くのは、まあ構わない。
いくらでも持って行くが良いさ。
けれど、京都にも貸してくれよと思う。
光琳の燕子花図、酒井抱一の夏秋草図屏風、
光琳の風神雷神、光琳の八つ橋硯箱。
京都からいとも気軽に持って行くのだから、
そういうのを京都に貸してくれても良いだろ。
一度でも良いからさあ。
「紅白梅図屏風」貸してくれよう。
減るもんじゃなし(減るかもしれないが)。
自分らだけ勝手に借りやがって。
ちょっとは貸せよ。
なに、檜図と唐獅子を貸してやっただと?
それはそれ、これはこれ。
琳派を貸せっての、この野郎。
京都からあんなにいろいろと持って行くんだからさあ。
京都からだけじゃない、
奈良からも、阿修羅像が出ていくんだぜ。
こんなの許せる?
断じて許せねえ。
よし、分かった。
京都から広隆寺の弥勒菩薩を貸してやろうじゃないの。
それと、東寺の不動明王だ。
何なら兜跋毘沙門も持ってけ。これでどうだ。
だから貸してよう。
「燕子花」と「八橋」と「紅白梅図」と「夏秋草図」をさあ。
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